『「日本人と英語」の社会学』 寺沢拓敬氏インタビュー


本多カツヒロ(ライター)

 ビジネス誌をめくれば英語習得法の特集が組まれ、電車に乗れば英会話スクールの広告が必ずと言っていいほど目に入って来る。また、楽天を始めとする企業では、社内英語公用語化が進み、子供たちへの早期教育の効果が喧伝されている。まるで、これからの時代、英語が出来なければ食い扶持に困るとでも言うように。
 果たして、そんなに多数の日本人に英語は絶対に必要なのか。こうした通説や俗説に対し、社会統計データを分析し、実態をつまびらかにしたのが『「日本人と英語」の社会学』(研究社)。そこで著者で、日本学術振興会特別研究員(PD)・オックスフォード大学ニッサン日本問題研究所客員研究員の寺沢拓敬氏に話を聞いた。

―一歩街に出ると英会話スクールの広告が溢れていますし、ビジネス誌などでも英語学習方法の特集が組まれたりと、一見すると日本では英語学習熱が高いように感じます。しかし、実際のデータを見てみると、本書で指摘されているように英語学習に積極的な人たちはそんなに多くないと。

『「日本人と英語」の社会学 −−
なぜ英語教育論は誤解だらけ
なのか』(寺沢拓敬、研究社)
寺沢:そうなんです。JGSS(日本版General Social Surveys)という調査によると、英語を「積極的に学習するつもり」と答えたのは全体の3.1パーセントで、「機会があれば学習したい」「しかたなく学習する」という人を含めても4割に届きません。また、英語を学ぶつもりがないと答えた人は63.7パーセントにも上ります。

 さらに内閣府が行った「生涯学習に関する世論調査」では、過去1年間の生涯学習の経験を尋ねていますが、「語学(英会話など)」を選んだのは全体の3.3パーセントでした。

―そんなに少ないんですね。とは言え、グローバル化した世界では英語を話さなければビジネスで成功しないというような風潮があるようにも思います。

寺沢:ひとつの背景には、英語を日常的に必要な人の割合が少ないからと言って、必ずしも絶対数が少ないことを意味しない、ということがあります。年に数回の使用という限定的な英語使用も含め、就労者の2割、日本人全体の1割しか英語を使用していません。より日常的に英語を必要としている人は1パーセント程度です。ただ、その1パーセントが120万人であるという人口規模は、外交や対外貿易などの政策を考える上では重要な数で、その強化を政府は狙っているのでしょう。

 また、政府は一部の政策を除き、英語教育関係の政策では人口の何パーセントに英語力が必要で、その人たちに集中的にリソースを投下するとは明言していません。ある程度の人数が必要になるから養成すると言っているだけです。その辺が曖昧なため、実態とそれを受け取る我々の間にギャップがあるのかなと思いますね。

―年によって英語使用の頻度に変化はあるものなのでしょうか?

寺沢:06年と10年で、英語使用の増減を比較すると、「インターネット」において微増しているのみで、仕事をはじめ、音楽鑑賞・映画鑑賞・読書、海外旅行と比較可能なデータですべてマイナスになっています。10年の2月に楽天の社内英語公用語化が発表されましたから、ビジネス界や政府の現状認識とは相反しているとも言えます。

―06年と10年で英語使用に増減があるのはどうしてでしょうか?

寺沢:本書で詳しく述べましたが、2000年代後半の世界的な経済危機で説明できます。不況になって貿易や海外旅行者が激減した結果、英語使用が減ったと考えるのが自然でしょう。興味深いことに、この英語使用の減少はグローバリゼーションによって引き起こされた面があります。米国で起きたリーマンショックが金融グローバリゼーションの波に乗って瞬く間に全世界に波及したことは周知の事実です。ありえない仮定ではありますが、もし2000年代の世界がブロック経済化していたのなら、世界的不況にはならなかったでしょうし、したがって英語使用の急激な減少もなかったでしょう。というより、そもそもグローバル化がなければリーマンショックの原因となった金融商品が世界中に拡散することもなかったわけで、リーマンショック自体が起こっていなかったでしょうが。

―そうなると中学校などで生徒が学ぶ動機付けが難しいようにも思います。

寺沢:本書の内容を知った上で、教師が生徒全員に対し簡単に「これからの時代、英語が必要だ」とは簡単には言えないと思います。

 もちろんすべての生徒に英語の必要性が0ではありませんし、20パーセントや50パーセントと比較的少数や半数でもない。将来、英語が必要なのは1パーセントから10パーセントと微妙な割合なんです。さらに重要な点が使用率には人によって大きく差があることです。つまり、英語使用は、年齢や職業、学歴、居住地・就労地、社会階層などによって大きく変わります。誰もが1%〜10%の確率で英語を使うようになるわけではありません。たとえば職人として生きていこうと考えている生徒にとってはもっと低く見積もるのが妥当です。

 この現実を前提に、生徒に対し英語学習の目的を誰もが納得するように回答するのは難しいですね。ですからその生徒が将来、英語が必要な仕事に就きたいというビジョンを持っているなら、そういう社会の必要性を見出せばいいですし、中学生の段階で、英語とはまったく関係のない世界で生きていくと決めているならば、異文化理解や日本語とは構造の違った言語を学ぶことで視野が広がると言うしかないかもしれません。

―実際のデータと、街に溢れる英会話スクールの広告、この差はどうして生まれるのでしょうか?

寺沢:これはあらゆる社会現象にも言えることなのですが、興味のない人は顕在化しませんし、逆に興味のある人は顕在化しやすいんです。たとえば、ある物事に興味のある人が少数であっても、その人たちが大きなお金を落とすマーケットが成立すれば、広告も増え、存在感は一定に担保されます。そこで、もしその物事についてアンチの人が一定数存在すれば相殺されますが、そういった人が存在せず、無関心か関心があるかの二分法になるのです。

―無関心の人たちは、「我々は関心がないのだ!」とあえて声を出さないと。

寺沢:そうですね。そういう力学ですね。

―なるほど。ここまで様々な英語に関する通説と実際のデータの違いに気がついたのはどんなことがキッカケだったんですか?

寺沢:本書で中心的に扱っている英語使用や英語学習熱に関しては、一般的に言われるほどではないと、生活者の実感として、またはまわりの研究者や英語教育に関心の高い人に聞いても感じていました。通説と言われるものも必ずしも万人に受けているわけではないのではないかと。

 そこでデータを分析すれば、今回のような結果になるのではないかと考えました。しかし反面、文部科学省や英語教育学者の一部、あるいはビジネスリーダーと呼ばれるような人たちは英語が必要だと主張しています。だからこそ、そのようなグローバル人材という言葉を全面に押し出す人たちの通説を覆したという意味が強いと思うんです。

―それでは本書をそうしたビジネスリーダーや政府関係者に読んでもらって、現実を知ってほしいと。

寺沢:知ってほしいと思っているグループは政策関係者と英語教育学者、そして実際に英語を教えている英語教師の方々ですね。

 英語教育学に、私も半分は所属していますので内部批判になってしまいますが、英語教育政策に関する研究に関しては決して肯定的な評価をしていないのが正直なところです。ただ、それは英語教育学のクオリティが低いという意味ではありません。英語指導法やテスト理論、あるいは言語習得や外国語コミュニケーションの理論など多くの領域では大変優れた研究がなされています。しかし、残念ながら、政策の意思決定や社会の実態がどうなっているのかについては英語教育学には大した蓄積がありません。そこのギャップを埋めたいなと。心ある英語教育学者は、このギャップをよくわきまえているので、専門でもないのに社会の英語実態や政策のありかたにまで口出しするようなことはしません。これは誠意のある研究者の態度だと思うんです。でも、必ずしも全員がそうであるわけではないのが実情です。

 また、中学高校教育現場の教師の方々が本書に書いたような実態を知っていれば、現状のように英語教育学者が社会の実態について一方的に教師へ教えるという不当な権力関係が改善されるかもしれません。そうすることで、言説が良い方向へ変わっていくのではないかと期待しています。

 そうは言っても、英語教育学の大先生たちの意識を変えるのは難しいでしょう。英語教育学の中で、私のような社会科学的なアプローチの研究は珍しいんです。だからこそ、本書を出すことで、現在の大学院生や学部生たちに、社会科学的な英語教育研究も可能なんだというロールモデルを果たすことができれば、すぐには変わらないかもしれませんが、10年後には変化することを期待しています。

ほんだ・かつひろ ライター。1977年横浜生まれ。2009年よりフリーランスライターとして活動。政治、経済から社会問題まで幅広くカバーし、主に研究者や学者などのインタビュー記事を執筆。現在、日刊サイゾーなどに執筆中。ブログ:http://golazo-sala.cocolog-nifty.com/pinga/