高嶋哲夫(作家)

 「グローバル化に対応した英語教育改革実施計画」が平成25年12月、文部科学省から発表された。2020年の東京五輪・パラリンピックを見据え、日本でも本格的に小学校における英語教育を始めようというものだ。

共働き家庭などの小学生を放課後に校内で預かる「放課後キッズクラブ」の英語プログラムを視察し、児童に語りかける下村文科相=2014年10月22日、横浜市立中山小学校(小林佳恵撮影)
 現在でも小学5、6年生には週1時間の英語の授業があるが、あくまで「外国語活動」であって、教科ではない。しかし、この計画では、英語教育を始める学年を3年生に引き下げ、3、4年生に対しては週1、2時間、さらに5、6年生になると「教科」として週3時間の授業を行うとしている。正規の教科になれば成績がつく。つまり、現在の遊びの域を超えた英語教育が始まる。

 さらに中学校では英語で授業を行うことを目指し、高校では英語による発表や討論を行うことも目標に掲げている。大学入試では「聞く」「話す」「読む」「書く」の能力を重視し、TOEFLなども活用するとしている。

伝えられなければ意味がない


 僕は数年前まで、通訳や観光業、外国に行ってものを売り買いする商社マンなど一部の人たち以外には、英語はたいして必要ないと考えていた。英語は自分の意思を伝える手段でしかない。だから人は英語という手段を磨くより、伝える内容を充実させることに時間を割くべきだという意見だった。実際、科学の学会では、つたない英語でも内容が先進的であれば聴衆は必死で聞き取ろうとするし、どうでもいい話はいくら流暢(りゅうちょう)な英語であっても聞き流す。

 しかし、現在のようにすべてがグローバル化された時代にあっては、そうは言っていられない。

 いくら世界に誇る素晴らしい技術やアイデアを持っていても、その表現手段が不完全では宝の持ち腐れだ。外国に商品を売りに行っても、そのよさを十分に伝えることができない。学術論文も究極的には、日本語で書いてもさほどの意味がない。英語で書き、世界的な学会誌に発表されて初めて意味をもつ。

 僕個人はアメリカに留学し、夢破れて日本に帰ってきたとき、二度と英語はしゃべらないと心に決めた。基本的には英語以外の能力不足が原因だが、もっと英語ができれば状況は変わっていたかもしれない。

不十分な母語教育の危険性


 僕の3人の子供たちはそれぞれ中学2年、3年、高校1年の時にアメリカへ行った。以後、2人は15年以上アメリカで暮らしている。高校、大学は3人ともアメリカだ。その間、日本にはほとんど帰っていない。

 発音はほぼネーティブと同じだと思う。三女などは日本語が怪しい。僕が普通に話していても、「それ、どういう意味」と聞いてくることもある。駅名など読めないものがかなりある。彼女の場合、アメリカ人と結婚して日本に帰る気がないのだからそれでいいとしても、父親としてはやはり寂しい。

 知り合いの言語学の大学教授は「僕の友人の学者たちは、幼児英語教育や小学校からの英語教育に反対しています。まず母語の教育を十分にしないと、アイデンティティーと絶縁した生活になります」と言っている。たしかに、幼少時から外国語を過度に学ぶことの危険性は以前から指摘されている。日本人としての基礎学力、意識を持った上での英語教育が重要なのは当然のことだ。

 しかし、グローバル化がここまで進んだ昨今、小学生のころから英語を学び始めるのもいい気がする。

 日本がかつて経済大国として発展することができたのは、高い技術力とそれを支える国内市場があってこそのことだ。しかし、そうした製造技術はいまや他国に追随を許してしまっている。途上国に生産工場が集中した結果、低コストに太刀打ちできず、日本が得意としてきたものづくりに影を落としている。おまけに少子高齢化によって、国内市場の成長力は見込めそうにない。

 すでに隣国の韓国などは、日本より早い段階で英語教育に国を挙げて取り組んでいる。日本も、一部ではなくすべての子供が国際的に通用する英語力を身につけるシステムが必要である。日本の小学生に対する英語教育が単なるお遊びにならないことを望む。

たかしま・てつお 昭和24年、岡山県出身。慶応大学工学部修士課程修了。日本原子力研究所(現日本原子力研究開発機構)の研究員を経て、カリフォルニア大学に留学。『イントゥルーダー』でサントリーミステリー大賞・読者賞。著書に『M8』『TSUNAMI津波』『東京大洪水』『原発クライシス』『ライジング・ロード』『首都崩壊』など。