『朝日新聞』は村山答弁に学べ


 また、『朝日新聞』は4月30日付朝刊の一面に立野純二論説副主幹が「対米・対アジア 二つの顔」の見出しで次のように書いた。

 「『希望の同盟へ』と題した安倍首相の演説は予想通り、『未来志向』の言葉に満ちている。『侵略』も、『おわび』も、ない。そこから強くにじむのは、前世紀の日本の過ちが残した歴史のくびきを解こうとする安倍氏のかたくなな執念である」

 「対米関係というレンズを通してしか世界を見ない日本外交こそ、『戦後レジーム』ではないのか。侵略など国際的に広く共有された歴史認識への言及をひたすら避ける安倍氏の演説は、そんな皮肉を感じさせる」

 侵略とおわびのくだりでの不自然な句読点の打ち方から、立野氏の苛立ち、侵略とおわびへの愛着が伝わってくるようだ。

 そもそも、戦後70年もたつ現在、そろそろ歴史のくびきを解こうとすることがなぜ「かたくな」と表現されなければならないのか。『朝日新聞』はなぜ、日本をかたくなに歴史のくびきにつないでおきたいのか。

 記事では、「侵略など国際的に広く共有された歴史認識」と根拠不明なことが述べてあるが、立野氏には次の言葉を送りたい。

 「侵略という言葉の定義については、国際法を検討してみても、武力をもって他の国を侵したというような言葉の意味は解説してあるが、侵略というものがどういうものであるかという定義はなかなかない」

 これは平成7(1995)年10月12日の村山富市首相(当時)の衆院予算委員会での答弁だ。村山氏は同年8月15日に、過去の植民地支配と侵略をおわびした「村山談話」を発表したあとの国会答弁で、侵略に定義はないと明言しているのである。

 村山談話を聖典かドグマのように奉じている『朝日新聞』は、この村山答弁も神託としてありがたく受け止めるべきだろう。安倍首相は以前、周囲にこう語っていた。

 「自国が侵略したなどといっている国は日本以外にない。侵略というなら、なぜ英国はシンガポールやマレーシアにいたのか。同様になぜオランダはインドネシアにいたのか。日本は英国やオランダを侵略したのか。日本が侵略したというのなら、欧米はみんな侵略していたといわなければならない」

 安倍首相は、昨年7月8日のオーストラリア議会演説でも、今年4月22日のアジア・アフリカ会議(バンドン会議)での演説でも、米議会演説でも「侵略」や「おわび」といった「キーワード」は使わなかった。その真意について、首相周辺はこう解説する。

 「安倍首相は、先人たちが悩み、迷い、苦しみ、将来に夢を描き、家族を慈しみ、友人たちを信じ、さまざまな思いと苦労のなかでそれぞれの人生を生き抜いた時代を、後世の政治家が勝手に『侵略』という一言でくくることなどできないと考えている」

 一理も二理もある見解だと思う。安倍首相は国会答弁などで繰り返し、「歴史問題については政治家は謙虚でなければならず、歴史家や専門家に任せるべきだ」(4月1日の参院予算委員会)と発言しているが、その背景にはこうした考え方があるのだろう。

 それに比べて、自身の社会党的で特殊、偏狭な政治信条を村山談話に反映させた村山氏も、韓国にすり寄り、根拠もなく慰安婦募集の強制性を認めた河野談話を平成5(1993)年8月に出した河野洋平元官房長官も、歴史に対してまったく謙虚ではない。

 政治が恣意的に歴史を定義しようと試みた彼らのやり方は、むしろ傲慢で身の程知らずだともいえる。

どこに談話の効果が?


 村山氏は近年、自ら村山談話について「国是みたいなもの」と持ち上げるようになり、執拗に安倍首相に踏襲を迫っている。今年四月二十二日の講演では、こう自賛もした。

 「村山談話が出てから今日まで、歴史問題で日韓・日中関係がガタガタすることはなかった」

 4年前の平成23(2011)年9月発行の『村山富市の証言録』(新生舎出版)では、のちの首相も村山談話を踏襲すると思ったかと聞かれ、このように答えていたにもかかわらずだ。

 「いやいや、そんなことまでは想定してませんでしたね。(中略)後の首相が踏襲してくれるだろうというような、期待はあったにしても、誰がなるかわからないのでね、そこまで考えて談話を出したわけではないね」

 だが、村山談話が出てから日中・日韓関係に歴史問題は生じなかったとの言い分は明確に事実に反する。村山談話が発表されてからいまに至るまで、歴史問題は中韓からつねに提起されつづけている。むしろ、村山談話以降、その傾向は強まっているのではないか。

 村山談話発表から3週間もたたない平成7年9月3日、中国の江沢民国家主席は「抗日戦争勝利記念日」の演説で、次のように激しく日本を批判した。

 「ここ数年、日本では侵略の歴史を否定し、侵略戦争と植民地支配を美化しようとする論調がしばしば出ている。日本は真剣に歴史の教訓をくみ取り、侵略の罪を深く悔い改めてこそ、アジアの人民と世界の理解と信頼が得られる」

 この言葉のどこに村山談話の効果が表れているというのだろう。村山氏は現在、いったい何を根拠にああも胸を張っているのだろうかと不思議になる。江主席はこの年11月に韓国の金泳三大統領(当時)と会談した際も、こう主張した。

 「戦争終結から半世紀たっても、日本国内には誤った歴史観に立ち、日本軍国主義が中国、その他のアジア諸国に対し侵略戦争を発動した事実を否定するいくらかの人がたしかにいる」

 これに金大統領も同調し、「今度こそ、日本の態度を必ず、改めさせる」と高飛車に述べた。ここに村山談話が歴史問題で何かの役に立った跡は見当たらない。

 日中関係も日韓関係も、日本側が「侵略」だとか「おわび」だとか言い出す以前のほうが良好だったという見方もできる。村山談話は中韓による対日要求のカードとして利用されてきただけではないのか。