鈴木宗男(「新党大地」代表)

 平成17年8月18日、北海道の地域政党(リージョナルパーティー)新党大地を立ち上げた。

 立党の綱領の1つに、差別と偏見にあってきた「アイヌ民族の先住民としての権利確立」を謳った。何故「アイヌ民族」かと言うと、当時小泉政権の政治姿勢は新自由主義で、「強い者が善」、「弱い者は悪」という、格差の広がる過度な市場原理主義、競争主義で国民がやる気を失っていた。(今もその傾向にあるが)


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 新党大地を旗揚げした鈴木宗男氏(右から2人目)と発起人の歌手、松山千春(右)ら=札幌市内のホテル(撮影・高橋茂夫)2005年8月18日 
 私は、政治は恵まれない人の為にある。政治は弱い人の為にあると、小さい時から考えてきた。私自身反省しなければならないのは、橋本龍太郎、小渕恵三、森喜朗政権では、党副幹事長、国務大臣、内閣官房副長官、党総務局長と権力の中枢にいると前しか見ていなかったきらいがある。

 国策捜査に遭い、ふと立ち止まって考えた時、前だけじゃなく横も、特に後ろを、いや声なき声を聞くのが、政治の原点だ、初心に立ち返ろう、と決意した。

 私が小さい時、友達の中にはアイヌ人を見て毛深い、臭い、とか蔑視、差別的発言をした者が沢山いた。アイヌ人は静かに黙って聞いていたが、大変な屈辱と忍従だったと思うものである。私なりの正義感で失礼なことを言った者には、「そういう発言はいけない」「やめろ」と注意したことを覚えている。今振り返っても、もっと強く厳しく仲間を指導、すべきだと反省が先に立つ。

 私自身、天国と地獄を経験した者として、一からスタートしようと考えた時、一番先に思いついたのがアイヌ民族の権利確立、子どもの頃の思いだった。

 私も十分恵まれた裕福な生活ではなく、人並みの生活だったが、アイヌ民族の皆さんの生活は、時には好奇の目で、時には見せ物の様にされていた光景が甦り、私の頭に何とかしなくてはならないという炎がともったのである。

 それがアイヌ民族の権利確立を訴えるスタートとなったのである。

平成17年9月11日の総選挙で、国会に復帰し、新党大地は鈴木宗男たった1人の衆議院議員であったが、質問主意書を提出し続けた。

平成17年10月3日に、第1回目の質問主意書を提出した。次のようなものである。
 それから、アイヌ民族に関する質問主意書は30本にのぼった。

 この答弁書はじめ、その後の質問主意書でも、政府は一貫して「先住民族の定義は国際的に確立しておらず」と言ってきた。私は「歴史の事実」として、根気よく、粘り強く闘い続けた。

 そして、ついに政府は、平成20年5月12日に提出した「先住民族の定義及びアイヌ民族の先住民族としての権利確立に向けた政府の取り組みに関する第3回質問主意書」に対し、平成20年5月20日の政府答弁書にて「アイヌの人々は、いわゆる和人との関係において、日本列島北部周辺、取り分け北海道に先住していたことは歴史的事実であり、また、独自の言語及び宗教を有し、文化の独自性を保持していること等から、少数民族であると認識している。」と答弁している。

 更に念押しの為、次の質問主意書を出した。
 「少数民族」という表現から、「先住民族であるとの認識の下に」と先住民族と明確に認めさせたのである。

 平成20年6月6日、衆参両院において全会一致で「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」がなされた。

 国会議員1人でも、経験と知恵があれば、歴史をつくれることを、私は証明することができた。差別と偏見にあい、苦渋の歩みをされてきたアイヌ民族に、私はこれからも生涯政治家として、共に価値観を共有しながら歩んで参りたい。

 自民党会派所属の、金子快之前札幌市議が「アイヌ民族はいない」という暴言、いや、頭に虫の入ったような発言をされたが、とんでもない頭づくりである。

 そもそも金子元市議は勉強不足である。平成20年6月6日、衆参両院で全会派一致して国会決議がなされたのである。また、私の質問主意書に「日本列島北部周辺、とりわけ北海道に先住し、独自の言語、宗教や文化の独自性を有する先住民族である」と閣議決定による答弁書で明確にアイヌ民族について「先住民族」と認めていたのだ。

 自民党政府で認めたことを自民党所属会派の金子元市議が「アイヌ民族はいない」というのは論外である。

 こうした輩がまだいることに唖然としながらも、まだまだアイヌ民族の権利確立は道なかばと、深く反省しながら21世紀は環境の世紀にと言われるが、自然と一番共生してきたアイヌ民族の歴史、文化を生かしていきたいと、決意するものである。

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