シルバーデモクラシーへの関心が改めて高まっている。直接のきっかけは大阪都構想をめぐる住民投票の結果である。出口調査からは、70歳以上の住民だけが際立って反対の傾向が強かったことが伺われ、住民投票全体の否決に結びついたと解釈されているからだ。もちろん大阪市の世代別人口構成のバランスは各地域に比べれば理想に近く若年人口がそれほど少ないわけではない。だが、世代間の意見の差はあまりに明らかだった。今般の住民投票は、賛成・反対双方の運動が盛り上がる中で下された判断として特筆に価する。投入された政治的エネルギーが大きかった分、政策推進を阻まれた側のフラストレーションも一段と強く、シルバーデモクラシーへの不満という形で噴出している。

 シルバーデモクラシーという現象に明確な定義はないようであるが、一般に、民主主義における高齢者の影響力が過剰であることを指す問題として理解されている。その原因については、いくつかの要素が複合的に影響している。

 第一に、高齢化社会の日本ではそもそもの人口構成上高齢者が多くなっていることだ。特に、他世代よりも人数の多い団塊世代が高齢化する中でこの傾向が顕著になっている。

 第二に、日本の選挙制度では一票の格差が温存され、高齢化が一段と進んでいる農村票の価値が高く設定されていることである。

 人口構成については、誰かに責任がある問題ではないが、選挙の度に問題となる一票の格差問題は人為的に作り出された民主主義の欠陥である。しかも、最高裁さえも投票価値を1倍に近づけていこうという発想はなく、衆議院では2倍以内、参議院では概ね4~5倍以内が目指されているに過ぎない。参議院が地域代表としての特性を持つというのは百歩譲ってそうかもしれないが、衆議院についてはかような欠陥を正当化できるようには思えない。

 第三に、高齢者の投票率が高いということが指摘される場合もある。この点は各世代の行動様式の問題であり、過剰代表の原因であるのはそうとしても、以上に挙げた構造上の点と同じ次元で捉えるべきかどうかは微妙なところだろう。

 では、シルバーデモクラシーが、問題である所以は何かというと、民主主義における負担と給付の関係が崩れ、不公正が生じてしまうということに尽きる。

 近代民主主義の根幹には、「代表なくして課税なし」という言葉に代表されるように、負担と給付を均衡させる発想がある。絶対王政下ならばいざ知らず、このバランスが崩れると、「割を食う」集団が現れ、民主主義を長期的安定的に持続させることができないからだ。

 ことがそれほど単純でないのは、ここに福祉国家の理念が重なってくるからである。福祉国家という制度は、負担と給付をバランスさせるという発想を、「能力に応じて負担し、必要に応じて給付する」という発想で修正したものである。そして、近代化の過程では高齢者は弱者であることが多かったため、現行の福祉制度は高齢者を弱者として制度設計が行われている。

 結果として起こってきたのが国民の負担能力を超えた福祉の膨張であり、強者としての高齢者による既得権保護の欲求である。実際、日本でも何十年も社会保障改革が叫ばれているが、現役世代の負担増は進んでも、高齢世代の給付減は少しずつしか進んでこなかった。

 シルバーデモクラシーの問題が根深いのは、民主主義の中で解決することが極めて難しいということである。多数決原理を原則とする限り、上記の負担と給付のアンバランスを克服することが困難だからだ。この困難さは、他国においても日本においても繰り返し証明されている。 

 民主主義を通じて解決が難しいからこそ、民主主義の外側に解決策を求める声も大きくなる。高齢者の過剰代表性の補正を目的とした、一票の重みの調整や世代別の投票制度などである。個人的には、殆どリアリティーのないこれらの提案には懐疑的である。むしろ、問題の本質から国民の目を背けさせ、社会の階層、年代でのセクト化を助長するものとして害があるとさえ思っている。民主主義の欠陥は、民主主義を通じた修正を尽くしてから検討されるべきと考えるからだ。そして、民主主義を通じた解決の前提は、問題の所在を明確にすることである。

 例えば、世代間不均衡の代表例である年金の負担と給付の格差については、年金は損得で考えるべきでなく世代間の助け合いである、という誤魔化しがまかり通ってきたことは問題である。これでは、民主主義を通じた解決は望むべくもない。結果として、年金の信頼感がガタガタとなり、負担する人の割合が極端に低下するというマイナスのスパイラルが生じている。

 住民投票を通じた大阪都構想の否決は、シルバーデモクラシーの問題を先鋭化させた。民主主義を通じた問題解決は、「臭いものに蓋」では進まない。その意味で、一連の経緯を通じて、シルバーデモクラシーの問題が晒され風が当てられたことはいいことだったかもしれない。フラストレーションが高まっている方々にとっても、そう考えることで多少は救いとならないであろうか。もちろん、問題の所在が明らかになった後には、問題の解決に向けて汗をかくリーダーが必要であるのだが。