竹内洋(社会学者、関西大学東京センター長)







 今月17日に行われた大阪都構想をめぐる住民投票は、僅差で反対多数となり、都構想は否決された。大阪維新の会代表・橋下徹大阪市長は敗北を認め、市長の任期満了後、政界引退を表明した。大阪府知事に当選し、この引退表明まで7年半の政治家生活だった。

敵に仕立て上げた長袖族


 慰安婦問題発言などいくつも物議をかもし、ハシズムなどといわれながらも人気を保ちつづけてきた。念願の大阪都構想も、橋下人気に乗じて住民投票に持ち込めば、勝利のはずだった。事実、告示前の予想では賛成が反対をかなり上回っていた。しかしその後、形勢は逆転しだした。そのせいだろうが、個人的見解としながらも菅義偉官房長官の都構想支持発言などの梃(てこ)入れがなされ、賛成派が盛り返したが、結局、反対票を凌駕(りょうが)するに至らなかった。

 片方で民意を掴(つか)みとり、もう一方で民意を焚(た)きつけるに巧みな橋下氏が民意の反逆に負けた格好となった。上手の手から水が漏れたのである。いったい何故に初期の予想を裏切る逆転がおきたのか。にもかかわらず、敗北後のあの爽やかな記者会見はどうしてだったのか。

 元祖ポピュリズム政治家の小泉純一郎元首相が抵抗勢力というくくりをつくって民意を動員したように、敵をつくりバッシングするのはポピュリズムの定石である。橋下氏の手法はそれにくわえて大阪ならではのものだった。長袖族(者)を敵に仕立てあげたからである。長袖族(者)とはもともとは袖の長い衣服を着る公家、僧侶、神職、学者などのこと。現代の長袖族は、学者や文化人、メディア関係者などがこれにあたる。
記者会見する橋下徹大阪市長=5月28日、大阪市役所

ホンネ主義と共鳴


 橋下氏は、メディアだけではなくツイッターなどを通じて、彼らを「くっちゃべっているだけの役立たず」などと執拗(しつよう)に糾弾した。

 文化産業従事者が多い東京とちがって、大阪は文化産業従事者が少ない。そのうえに、もともと直截な実用主義が強い所だから、目に見える効能がないにもかかわらず、ご意見番を自任し、上座を当然とする長袖族をうさんくさい輩と思っている。橋下氏はここらあたりの人々の隠れた反感をよくつかんで、長袖族攻撃などで民意を体現するスターの座を維持し続けた。「教育委員会のくそ野郎」というのもあった。過激すぎる罵詈(ばり)雑言だが、ホンネ主義の大阪では訴求力のあるパフォーマンスとなった。

 ひるがえって橋下氏の知事・市長時代の改革となると、歴代の知事や市長よりも劣ってはいなかったにしても、目に見える大きな業績があったとは思われない。橋下氏の功績としては、なにかやってくれそうだという期待感をふくらませたことのほうが大きかった。

 この期待感の受け皿が大阪都構想という手形だった。維新の会を除いて大阪の党派はすべて反対派という状況で、住民の期待感をつなぎとめるために手形の金額を大きくふくらませることになった。

 二重行政を解消すれば、毎年4000億円以上の財源ができる(あとで撤回)という大風呂敷を広げはじめた。

 ところが、手形の額面がふくらめばふくらむほど、現実主義の住民は、そんなうまい話はないだろうと眉に唾をつけはじめる。高齢者は、何十年後の果実より、足元が不安になる。ムードによる脚光と期待はやがて現実主義に引き戻され、懐疑を呼び込む。

会見での清々しさが物語るもの


 それにしても住民投票の結果が判明したあとの橋下氏の記者会見のあの爽やかさはどうしてだろう。僅差にふれるわけでも、反対派に注文をつけるわけでもなかった。大変重く受け止める、僕が間違っていたということなど、まことに潔いものであった。敵対勢力を可視化させ、激しい言葉でののしった同じ人物とはとても思えない、美しい敗北の言で最後を飾った。これについては、次のように推察する。

 1つは、期待をつなぎとめ、反対勢力の壁を突破するためにいいこと尽くめにふくらませた大阪都構想が、実現には多くの困難が伴うものであることをなによりも一番よく知っていたのは橋下氏自身だったからではないだろうか。

 賛成多数で改革実施となれば、お祭り騒ぎのいけいけどんどんだけでは進まない。「堅い板に力をこめて徐々に穴をあけてゆく」(マックス・ウェーバー)ような地味で根気のいる仕事が待っている。そもそも額面が大きくなりすぎた改革手形をどう決済するのか。橋下氏はそのこともよく知っていたはずである。であれば、敗北は一面では安堵(あんど)でもあったのではないだろうか。

 もう1つは、勝利した都構想反対派も、住民投票の過程で府・市の改革は当然とするようになったことである。橋下氏は府と市の改革マインドを都構想反対派の政治家はもとより市民・府民に確実に刷り込んだ。そのかぎりでは完敗とはいえない。橋下氏の敗北後の言葉の清々(すがすが)しさは、このような感慨によるものではないだろうか。

(たけうち よう)

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