井上和彦(ジャーナリスト)

 朝日新聞以上に自国の歴史や国家の名誉や威信を傷つけてきた新聞が他にあるだろうか。一連の慰安婦報道や吉田調書報道に関する問題以後、もはやそれは衆目の一致するところと思う。これまで朝日新聞がふりまいてきた害毒は数え上げればきりがない。とりわけ国防・安全保障に関する報道は常軌を逸している。命がけで国民を守る自衛官の心と名誉をどれだけ傷つけたことだろう。彼らの報道で実は国民の命が危険に曝されている点も忘れてはならない。紛れもなく日本の安全保障の最大の脅威のひとつが朝日の報道である。本稿では朝日新聞の安全保障に関する偏向報道の手口を紹介したい。

集団的自衛権行使容認閣議決定


 まずは「集団的自衛権」に関する報道だ。

 集団的自衛権の行使容認が閣議決定された翌日の平成26年7月2日の朝日新聞は、朝刊1面で『9条崩す解釈会見』と大見出しで真っ向から批判した。

 《1日は自衛隊発足から60年。第2次世界大戦で多くの犠牲と反省の上に立ち、平和国家の歩みを続け、「専守防衛」に徹してきた日本が、直接攻撃されていなくても他国の戦争に加わることができる国に大きく転換した日となった》

2014年7月1日、集団的自衛権の行使容認について、会見で
説明する安倍首相
 記事では「1日は自衛隊発足から60年」「第2次世界大戦で多くの犠牲と反省の上に立ち、平和国家の歩みを続け、専守防衛に徹してきた日本」などと並ぶ。

 しかし、日本が第二次世界大戦の反省に立ってこれまで専守防衛に徹してきたからといって未来永劫世界の平和構築のために積極的に関与しなくてよい理由にはならないだろう。

 それは、軍拡著しい中国から日本を守るうえで最善の策とされる集団的自衛権の行使を否定する根拠にもなり得ない。朝日は、日本が専守防衛に徹してさえいれば、平和と秩序が保てると考えているのか。日本を覆っている中国の軍事的脅威を払拭できると思っているのだろうか。

 この記事の隣に掲載された連載『日本はどこへ 集団的自衛権(1) 「強兵」への道 許されない』では編集委員、三浦俊章氏が《来年は戦後70年にあたる。そのときに日本の選ぶ道が、「強兵」への復帰でよいはずはない》と結んでいる。だが、集団的自衛権の行使容認と来年が戦後70年であることとがどう関係するのか。感傷的な記述からは伝わらない。

 社説でも《戦後日本が70年近くかけて築いてきた民主主義が、こうもあっさり踏みにじられるものか》と冒頭から怒りをぶつけ、独善的な“暴走”が始まるのだ。

 《「東アジアで抑止力を高めるには集団的自衛権を認めた方がいい」「PKOで他国軍を助けられないとは信じがたい」
 一連の議論のさなかで、欧米の識者や外交官から、こうした声を聞かされた。
 だが、日本国憲法には9条がある。戦争への反省から自らの軍備にはめてきたタガである。占領政策に由来するとはいえ、欧米の軍事常識からすれば、不合理な制約と映るのだろう。
 自衛隊がPKOなどで海外に出ていくようになり、国際社会からの要請との間で折り合いをつけるのが難しくなってきていることは否定しない。
 それでも日本は9条を維持してきた。「不戦の国」への自らの誓いであり、アジアの国々をはじめ国際社会への宣言でもあるからだ。「改めるべきだ」という声はあっても、それは多数にはなっていない。
 その大きな壁を、安倍政権は虚を突くように脇からすり抜けようとしている》

 本末転倒―その一言に尽きる。こちらが恥ずかしくなるほどの論理である。では聞こう。

 朝日新聞は「抑止力を高める必要はない」「PKOで助けなくてもよい」とお考えなのか?

 朝日新聞が憲法9条をこよなく愛していることはわかった。しかし、憲法9条を守っても国民の命を守らなくて良いという免罪符には成りえない。安倍首相の最大の使命は国民の命を守ることである。

 憲法9条の制約から集団的自衛権が行使できず、世界の平和を維持するためにPKOの現場で共に汗を流す他国の軍人の命を助けなくてよいという理屈もまた通らない。朝日新聞は「9条を守る」ことだけを強調するが、その結果、国や国民にもたらされる害毒に責任を負えるのか。

 憲法9条を改めるべきだというアジアの声が「多数にはなっていない」ともあった。これもおかしい。では多数に達したら変えてもよいのか。日本国憲法の変更には外国の承認が必要とでも言っているようで綻びだらけの立論なのだ。

 さらに暴走は続く。

 《首相はきのうの記者会見でも、「国民の命を守るべき責任がある」と強調した。
 だが、責任があるからといって、憲法を実質的に変えてしまってもいいという理由にはならない、国民も、そこは見過ごすべきではない》

 《この政権の暴挙を、跳ね返すことができるかどうか。
 国会論戦に臨む野党ばかりではない。草の根の異議申し立てやメディアも含めた、日本の民主主義そのものが、いま、ここから問われる》

 戦争にならないよう抑止力を高める。そのために集団的自衛権行使容認を閣議決定したのだ。抑止力を高めれば、わが国への侵略意図を未然に挫くことにつながる。“他国の戦争に加担する”ためでは断じてない。わが国と国民の生命を守るためなのだ。そういう論理を頭から全否定して始まる朝日新聞の報道こそむしろ“暴挙”ではないのか。

 産経新聞は『「積極的平和」へ大転換』と大見出しをつけ、『首相「今後50年 日本は安全だ」』と題した記事で、閣議決定の目的を正確に伝えた。主張も《戦後日本の国の守りが、ようやくあるべき国家の姿に近づいたといえよう》と切り出し《反対意見には、行使容認を「戦争への道」と結びつけたものも多かったが、これはおかしい。厳しい安全保障環境に目をつむり、抑止力が働かない現状を放置することはできない》と書いた。わが国をとりまく安全保障環境は劇的に変化している。それに間断なく対処せねばならない。防衛体制に不備があれば当然それは是正する責任がある。

 読売新聞も『集団的自衛権 限定容認』と、閣議決定内容を正確に伝え、田中隆之政治部長の『真に国民を守るとは』と題した記事があった。

 《今回の見解にあるように一国では平和を守れない。日本が集団的自衛権を限定的に認め、対米連携を深めることが不可欠だ。それこそが真に国民を守る手段となる。時代にそぐわない憲法解釈を安倍首相が正したことは高く評価できる》

 閣議決定の目的と主旨を正確に伝えている。社説でも《今回の解釈変更は、内閣が持つ公権的解釈権に基づく…いずれも憲法の三権分立に沿った対応であり、「立憲主義に反する」との批判は理解し難い》として解釈変更に何の問題もないと指摘している。

 しかし、朝日新聞は、こうした冷静な報道を一顧だにしない。社会面に『不戦 叫び続ける』と題した記事を掲載、若者の「びびってます」とか元兵士の「限定的でも引きずり込まれる」といった声をちりばめて『列島 抗議のうねり』と牽強付会にあおるのだ。

 日本列島が反対一色であるかのような記事だが、福井市のJR福井駅前での“市民団体”の呼びかけに応じて集まったのは、わずか「30人」だったらしい。これのどこが『列島 抗議のうねり』なのだろう? 日本列島が抗議のうねりに呑みこまる状況など一体どこに存在したのだろう。