清湖口敏(産経新聞論説委員)

 2月21日に歌舞伎俳優の坂東三津五郎さん、3月19日には上方落語の桂米朝さんと、日本の代表的な芸能を支えてきた2人が相次いで亡くなった。

 三津五郎さんの死去を報じた各紙(東京発行の全国紙)に目を通すうち、ふと、どれもが見出しに「坂東三津五郎さん」と書いてあるのに気がついた。それがどうしたと言われそうだが、40年前の昭和50年に河豚(ふぐ)毒にあたって亡くなった先々代(八代目)の三津五郎さんの死亡記事を思い出したのである。

 あのとき、産経が「坂東三津五郎丈 フグ食べて急死」と報じるなど、いくつかの新聞が見出しや写真説明で「坂東三津五郎丈」と書いた。「丈」が歌舞伎役者の敬称として一般に広く知られていた時代があったことにいささかの感慨がこみあげてき、いま、十代目の訃報に「三津五郎丈」と書けば、はたして若い人は理解できるだろうかと、不安がよぎった。

 米朝さんも、そろって「桂米朝さん死去」の見出しだった。このとき思い出したのは、落語界初の人間国宝となった「柳家小さん」の死去(平成14年)を伝える紙面だった。

 「小さんさん」「小さん氏」「小さん師匠」と、新聞によってこれほど敬称がまちまちなのも珍しかった。産経の編集局内では、「さん」付けの「小さんさん」は読みにくいのではないかとの議論が持ち上がったが、恐らく他紙でも同じような議論が交わされたに違いない。

 米朝さんの死去を受けた朝日新聞の社説は「米朝はん おおきに」の見出しを掲げていた。この「米朝はん」を読者はさて、どのように読んだろうか。

平成21年10月、落語家として初の文化勲章受章が決まり、
喜びを語った桂米朝さん(飯田英男撮影)
 昨今は、大阪を舞台とするテレビドラマなどで妙な大阪弁が出回ることが多く、例えば「女将(おかみ)はん」「旦はん」といったせりふが飛び交っている。とりあえず「はん」を付けておけば大阪弁らしくなるとの安易な発想が透けて見える。

 米朝さんも、その種のいかがわしい「はん」がよほど気になったのか、『「さん」と「はん」』と題する小論(創元社『米朝落語全集』第6巻所収)を著した。大略、次のような原則を示している。

上に付く言葉の語尾がア列やエ列の場合は「はん」が使えるが、イ列やウ列では「はん」が付かずに「さん」。ンで終わるときも「さん」である。オ列のときは原則は「さん」だが、近世になってだんだん「はん」になってきた。「三升」をサンショウと引っ張ったときは「さん」が付くが、大阪特有の言い方で約(つづ)まってサンショとなったときは「はん」となる。鴈治郎も「ガンジロウさん」か「ガンジロはん」である-。

 イ列で終わる「女将」や、ンで終わる「旦」には「はん」が付かないこと、もはや明白だろう。折しもいま、東京の歌舞伎座では上方を代表する名跡、中村鴈治郎の四代目襲名披露興行が催されており、3月29日付本紙(東京発行)文化面の記事も「『翫雀(かんじゃく)』から『がんじろはん』になった」と書いていた。

 「鴈治郎はん」は、何が何でも「がんじろはん」でなければならず、もちろん「米朝はん」も「ベイチョウはん」ではなく、「ベイチョはん」と読むのが正しい。

 と、ここまでは通説をご紹介したが、管見の及ぶところでは、「はん」の使い方は大阪人の間でも必ずしも一致しているわけではない。以下は私の個人的な認識ながら、大阪で衣料雑貨を商っていた父に連れられ、子供の頃から船場の問屋街になじんできた私は、店に入るや店員に「社長(しゃちょ)はん、いてはりまっか」と尋ねた客が、社長に向かっては「社長(しゃちょう)さん」と呼びかけたりするのを聞いた覚えがある(なにぶん子供時分の記憶なので確言はできず、ご寛恕(かんじょ)を)。

 「はん」は、ごく親しい間柄ならともかく、そうでない場合はともすれば、なれなれしい印象を相手に与えかねない。そんな語感をいつしか身につけた私は、友人らとのお喋(しゃべ)りでは「米朝(べいちょ)はん」と言えても、当の米朝さんに向かって「米朝はん」とは“よう呼ばん”-というのが正直な思いである。

 米朝さんのファンではあったものの、ひいき筋を名乗れるほどのおつきあいは残念ながらなかった私はそこで、あらためて申し上げたい。

 「米朝(べいちょう)さん おおきに」