金水敏(大阪大大学院文学研究科教授)

 いかにも大阪弁的な表現は何か、と聞かれて、例えば、つぎのようなフレーズを思い出す人もいるだろう。「なんでやねん」「京橋はええとこだっせ、○○○がおまっせ」「ほんまかいな、そうかいな」「チャウチャウちゃうんとちゃう?」などなど。ここに表れた「…ねん」「おます」「ちゃう」などの要素は、確かに大阪弁的な表現にはなくてはならないもののように感じられる。

 一方で、ここに挙げた表現は、どちらかというと若干古めで、若い人は使わなさそうなイメージもあるだろう。今となってはちょっと古めの、いわゆる「こてこて」の大阪弁は、いつごろ、どのようにして形成されたのだろう。

大坂と大阪、2つのピーク


 歴史を振り返ってみると、江戸時代、大坂は天領となり、非常な繁栄を見た。そのピークは元禄年間(1688~1704年)にあるといえよう。その前後、大坂を舞台にし、あるいは大坂を含む上方のことばを駆使した文芸・芸能作品の傑作が次々に誕生した。井原西鶴の浮世草子や、近松門左衛門の浄瑠璃・歌舞伎がそれである。

古地図「大大阪明細地図」
 江戸幕府が滅び、明治政府が大阪府を置いた後、大阪は工業都市として発展を見せる。市域拡張によって大阪が人口日本一となり、「大大阪」と呼ばれた大正14(1925)年ごろがひとつのピークである。この前後、労働者が安価に楽しめる大衆芸能が大阪で大いに発達し、曽我廼家(そがのや)五郎、エンタツ・アチャコ、初代桂春団治らの人気者も輩出した。

 さて、先に大阪らしい表現として挙げたいくつかの表現を、文芸作品などをもとにして初出の年代をたどっていくと、元禄ごろから使われていたことば、例えば「なんぼ」「…かいな」「あほ」「ほんま」はむしろ少数である。

 18世紀後半には「…だす」「…さかい」「…よって」「おます」が登場、19世紀前半には「…や」「…なはる」「…がな」が出てきて、20世紀になって「…へん」「…はる」「…ねん」「わて」などが姿を現す。

 このように大阪弁らしい表現が出そろったのは、明治から大正にかけての「大大阪」の時代であると考えていいだろう。この時代の大阪弁は、芸能の人気者たちに用いられ、全国的に強い印象を与えることばとなった。この時代のことばは、例えば桂米朝や三代目桂春団治らの演じる上方落語にその典型を聞くことができるだろう。

お笑いのことばは全国区に


 その後、大阪の町は大空襲で焼け野原となったが、昭和35年前後、55年前後に全国的な大阪弁ブームが巻き起こり、特に後者では明石家さんま、島田紳助、ザ・ぼんちらが活躍、大阪発のお笑いのことばは完全に全国区となった。

 さらに、ナインティナイン、ダウンタウン、ハイヒールらの人気者も後に続いた。彼ら、今日50代から30代の芸人たちが使う言葉は、「大大阪」時代の大阪弁とはかなり変化している。「おます」「…でっせ」など「べたべた」な大阪弁は使わず、例えば母親を表す「おかん」、程度が大きいことを表す副詞「めっちゃ」など、戦後に生まれた新方言を多用する傾向がある。

 むろん、芸人のことばは生活の中から生まれたことばであり、また芸人のことばは一般の生活のことばにも強い影響を与えている。古い大阪弁を懐かしみ、今日の若者の大阪弁を嫌う人も少なくないが、しかしことばが変化しているのは、文化が今も生き生きと動いている証拠であり、大阪を愛する人々にとって喜ばしいことといってよいのである。

きんすい・さとし 大阪大学大学院文学研究科教授。博士(文学)。昭和31年、大阪市生まれ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。神戸大学助教授などを経て現職。平成18年、『日本語存在表現の歴史』(ひつじ書房)で新村出賞を受賞。現在、日本語学会副会長、日本語文法学会評議員などを務める。他の著書に『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』(岩波書店)など。