「高校生クイズという番組ですが、〝狂えるソクラテスといわれ、たるの中で暮らした古代ギリシャの哲学者はだれ?〟という設問で大丈夫でしょうか」。東京のテレビ局から研究室に問い合わせがあった。高校生には難問と思ったが、答える力のある優等生が集う番組だという。

古代ギリシャの哲学者、ディオゲネスの胸像
 答えはディオゲネス。粗衣粗食に徹し、究極のシンプルライフを追求した最強のホームレス哲人だ。あっと驚くような奇行が多く、一休禅師と同様、風狂と呼ぶにふさわしい。よく知られているのは真っ昼間にランプをともして「真実の人間はいないか」と探し回ったり、世界帝国を築いたアレクサンダー大王から「何か欲しいものは」と聞かれ、「では、たるの前をどいてほしい。日が差さないから」と答えたりしたという伝説である。

 たるとつえと皿以外に何も持たないディオゲネスの裸の人生は人間の根源的な姿そのものだった。子どもが両手で水をすくって飲むのを見ると、「そうか」とうなずき、皿さえも捨てた。そこに、ぜいたく病に取りつかれた現代人の心を癒やす不思議な魅力がある。2300年の時を経て今、ディオゲネスが欧米で脚光を浴びているのは、着膨れした現代文明の行方に不安を感じている人が多いからだろう。
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 現代ギリシャが放漫財政から国家的危機に陥り、欧州連合(EU)や世界経済に影を落としているのは、アポロン神殿に刻まれた「万事、度を超すなかれ」という古代の金言を忘れ、自制心を失ったためだ。

 ユーロ圏への加入には、財政赤字比率などの経済基準をクリアする必要がある。ギリシャは基準を達成できず、第1陣に乗り遅れた。2年遅れて加盟したが、EUの政治判断という面が色濃かった。「ずぼらで自己中心的なギリシャを入れたら、規律が乱れ、危機に直面する」との反対論は当初から根強かった。だが、リスクが大きいとはいえ、西洋文明の礎を築いた偉大な国を見放すわけにはいかなかったのである。

 弱小国を見捨てずに救済するところにこそ、欧州統合の意義はあるのだ。経済繁栄よりも「戦争か平和か」という歴史認識が統合の要になっている。そのために互いに自制し、分かち合う精神を尊重する。そうした共生の土台となるのが自足の心である。

 世界市民思想をいち早く打ち出したたるの中の哲人は、歴史のかなたから現代人にほえ続ける。「際限のない富への欲望は大いなる貧困だ。自制心を持て。欲望に振り回されるな。さもなくば首つりひもを持て」
やまもと・たけのぶ 山梨県立大教授(メディア論)。昭和年北九州市生まれ。九大卒。共同通信フランクフルト支局長、阪南大教授などを経て平成年4月から現職。著書に「地球メディア社会」「ユーロ生誕」など。