新井克弥(関東学院大学文学部教授)

マスコミへの苛立ちを展開した勉強会?


 自民党国会議員の安倍首相支持者による党若手議員からなる「文化芸術懇話会」。その勉強会での議論が物議を醸している。内容は安全保障関連法案に対する国民理解のなさについてのいらだち(愚痴?)を展開したものだが、ポイントはむしろマスコミの報道の有り様についてのいらだちが中心だった。講師として招聘されたのは作家の百田尚樹氏。大西英男議員は「マスコミを懲らしめるには、広告料収入がなくなるのが一番」、井上貴洋議員は「(マスコミの)スポンサーにならないこと」とコメント。さらに長尾敬議員が「沖縄のメディアは左翼勢力に完全に乗っ取られている」とすると、講師の百田氏は「沖縄の二つの新聞社は絶対つぶさなあかん。……沖縄のどっかの島でも中国にとられてしまえば目を覚ますはずだ」と答えた。

 この辺はすでに報道されているので、どなたもご存じだろう。これについて、当然のことながらマスコミからは一斉の反発報道が展開された。言論の自由を弾圧するような言語道断の発言だ的な脈絡がそれだ。しかし、どうなんだろう?ここで議論されている「マスコミの現状」「現在のマスコミの本質」的なものについて、このメンバーのコメントは、その前提においては当たっていないこともないと考えることも可能だ(政治的なコメントについては、僕の立場からは全く容認できないことをお断りしておく)。そして、その構造それ自体が、今回の報道を生んでいるとも考えられる。

「暴力団に『オマエは乱暴だ』と言ったら殴られた」的状況


 そこで、今回はメディア論的に今回の勉強会を巡る構造を考えてみたい。
衆院平和安全法制特別委員会で、自民党勉強会で相次いだ報道機関を批判する発言を野党側が厳しく追及。審議は一時中断した =26日午前、国会・衆院第1委員室(斎藤良雄撮影)

 まず、はじめにこの勉強会の出席者をヨイショしておこう。つまり、今回の議論について当たっている部分について評価してみよう。それは「マスコミがやっぱりどうしようもない状態にある」という認識だ。自らの視点からすれば都合のよい部分だけを報道し、そうでない部分は一切報道しないという認識。これは十分理解できる。そしてマスコミの「自らの視点」とは、煎じ詰めれば商業主義、つまり視聴率と発行部数、そしてリスク回避にたどり着く。その際の報道のポイントはスキャンダリズム。そのためには弱気をくじき、強気を助けることも厭わない。これに勉強会のメンバーは苛立ち、同様にこれに苛立っている百田氏を講師として招いたというわけだ。

 ただし、この勉強会、きわめてマヌケなものであったことは否めないだろう。自らが批判する構造の中に入り込んで、その構造の餌食になっているのだから。たとえて言えば、暴力的な人間の前で「オマエは暴力的だ」と発言して殴られるようなものである。

 つまり、こうだ。

 前述したように、マスコミの基本的な立ち位置は、もはやスキャンダリズムとしよう。そしてそのことをこの勉強会メンバーが批判した。だが、それを、たとえ私的な勉強会といってもマスコミ報道に触れる形で開催される中で展開し、そこで「マスコミは広告収入がなくなるのが一番」だとか「マスコミのスポンサーにならないこと」なんて発言したら、そりゃ、スキャンダリズムの奴隷であるマスコミにとっては思う壺。一斉に報道して叩きはじめ、メディアイベント的にメディアを賑わすに決まっているし、事実、現在、これが物議を醸すに至っている。当然ながら、彼らはマスコミの餌食になってしまった。

 もちろん、この勉強会ではそれ以外の内容も議論されたはず。だが、例によってそれらをマスコミが取り上げることはなかった。重要なのはスキャンダリズムだから、あたりまえだ。いつも通りのことをやられたのに過ぎない。つまり勉強会のメンバーは批判するマスコミの構造に従って自らが批判=バッシングされてしまったのである。その結果、会の代表で今回の勉強会を開催した木原稔青年局長はら一年間の役職停止処分を受けることになってしまった。何とも、お粗末と言わざるを得ない。

墓穴を掘る百田氏の言い訳


 百田氏はその後、「沖縄の新聞社はつぶすべき」的な発言をしたのは報道陣が退出し、一般には公開されない内輪の席での発言と弁明している。曰く、「飲み屋でしゃべっているようなもの」。ただし、声が大きいので外に丸聞こえになってしまい、それがマスコミの耳に入ったというわけだ。この弁明は「もう報道向けのものは終わったところで内輪話をやっているだけなので、それを報道するのは卑怯だ」というニュアンスだろうが、実はこれは自家撞着に陥っている。

 そんなおおらかなジャーナリズムが通用したのは、もうとうの昔のこと(ただし、このおおらかさを利用して特ダネを取り出す辣腕記者がいたことも事実)。批判するマスコミは、しつこいようだが、今や先ずスキャンダリズムありき。それこそハイエナ的にスキャンダルになりそうなネタであればどんな手を使っても入手しようとする。ということは「内輪でやるので、これをネタにすべきではない」というモノノイイは通用しない。マスコミの構造を知っているのならば(あの批判からすれば知っていなければおかしい)、当然ながらこれに対する周到さがなければならないからだ。彼らはあまりに無防備。自分の言っていることが自分の身に降りかかってくることについての自覚がなかったのだ。

他者への想像力の欠如は政治家の資質を疑わせる


 国会議員、そして百田氏に共通する最大の欠点は「他者に対する想像力の欠如」だ。つまり、前述したように相手が暴力団とわかっていてケンカを売るような状況。だから批判した内容の形式に基づいて、彼らは一斉に批判=バッシングを受けてしまった。マスコミがこうやることがわかっているはずなのだから、この勉強会も完全にクローズドでやる、あるいはオープンでやる場合にはマスコミがどうやってこれを報道するのかを十分考えてからやらないといけない。

 そして、こういった「他者に対する想像力の欠如」は、翻って政治家としての資質に疑問を投げかけるものとなる。この人たちはちゃんと国政が見通せているのか、有権者の意見を反映させる力があるのか……。今回の件は、それがないと言うことを「語るに落ちる」状態で証明してしまったことにならないだろうか。そして、そういった資質(「資質の無さ」という資質だが)が、結果として、今回の乱暴なコメントを生んでしまったともいえないだろうか?

 ちなみに百田氏だが、ま、これはこれでよろしいのではないか?彼は政治家ではないし、小説という「妄想(imagination)を芸術に昇華する」世界で生きているのだから(もちろん、政治の世界に入ってきてしまっては困るけれど。はからずも、今回はそういうことになってしまったので、というか最近はやたらと政治の世界にコミットメントしているので、ちょっと困るが)。問題は、これをことさらに登用する自民党だろう。ここにもまた他者への想像力の欠如が感じられる。物議系の百田氏を使えばどうなるかなんてことは、最初からわかっていなければならない。
(ブログ「勝手にメディア社会論」より2015年6月28日分を転載)

あらい かつや メディア研究者。関東学院大学文学部教授。ブログ「勝手にメディア社会論」を展開中。メディア論、記号論、社会心理学の立場から、現代のさまざまな問題を分析。アップル、ディズニー、バックパッカー、若者文化についての情報も。