モーガン・ジェイソン(フルブライト研究者)

 ──今は早稲田大学で研究されているんでしたね。

モーガン 法制史をメインに研究しています。早稲田大学の中央図書館には歴史的に貴重な資料が豊富にありますので、毎日資料を探っています。最近は『法律時報』という雑誌のバックナンバーを延々とコピーしています。

 ──どのような内容なのですか。

モーガン この雑誌の編集長は末弘厳太郎でしたが、これを読めば法社会学の輪郭が見えてきます。

 ──早大はいい資料を持っていると聞きましたが。

モーガン 関東大震災で、東大などは資料が完全に全焼してしまいましたが、早稲田は奇跡的に被害が少なかったそうです。第二次世界大戦時もあまり被害がなかったので、古い本もたくさん残っているようです。

 ──モーガンさんのお祖父様は大戦中に日本軍と戦われたそうですね。

モーガン 祖父はプリンストンとボノム・リシャールという二つの空母に乗り、通信兵をしていました。毎日激しい戦闘の中で、パイロットの友人が出撃して戻らないこともあったと言っていました。毎日が死と隣り合わせで、いつ特攻機が襲って来るかわからないことが、一番恐ろしかったと話していました。日本本土に近付いたら、すぐに特攻攻撃に見舞われた。沖縄の上陸作戦には参加していませんが、近くの海域にいたのではないでしょうか。終戦後、数カ月して本州に上陸したときも、殺されるかもしれないという恐怖があったそうです。

 ──日本本土にも上陸されたのですか。

モーガン ええ、一年ほど滞在していたようです。上陸部隊の全員が殺されるかもしれないという恐怖を持っていたといいます。

リンゴの中のムシ


 ──勝ったとはいえ、敵国ですからね。

モーガン ただ祖父はそのときにとても驚いたと言っていました。“大歓迎”ではありませんが、日本人から温かい歓迎を受けたそうです。この国は普通の国じゃないと、そのときに気付いたと言っていました。

 ──どこにおられたのでしょうか。

モーガン おそらく横須賀じゃないかと思います。鎌倉の大仏と写っている写真が実家にありましたので。鎌倉では大仏さんの胎内に入ったと言っていましたよ(笑)。

 ──モーガンさんが日本の歴史に興味を持たれたきっかけはありますか。

モーガン やはり祖父の話を聞いたのが大きかったと思います。今もずっと自分の中で悩んでいることがあるんですよ。……原爆投下の件です。祖父は原爆投下を本当に非人道的な行為であると見ていました。兵士に対して使用したのであれば、話は別だったと思うのですが、一般市民を相手に、何十万人も殺傷したのはあまりにも残酷だと考えていたようです。私自身も初めて原爆の話を聞いたとき、自分の国がそのようなことを行ったことに、驚きと言いますか、信じられない気持ちがありました。そこからなんと言えばいいのか……。一匹の虫がリンゴの中身を食い荒らすのと同じように、原爆投下の事実が、私の心の中を食い荒らしているような感じがするのです。

 ──その“虫”が動きはじめたのは何歳ころからですか。

モーガン 確か7歳か8歳のころだったと思います。私は天皇陛下を大変尊敬しています。普通の人はもちろん、大統領であったとしても桁が違うほど、上の存在だと感じていました。その天皇が治める国に原爆を投下したことは、本当に正しいのか。そのことに私はずっと悩んでいたのです。

 ──誠実なお人柄なんですね。

モーガン 私の弟やいとこは祖父の戦争の話にあまり興味を持っていませんでしたが、私は気になって仕方がありませんでしたので、よく話してくれたのだと思います。

万葉集に出会う


 ──お祖父様が亡くなられたのは……。

米海軍記念碑の前に立つ祖父(左)。隣にいるのは弟
モーガン 2010年ですね。4月の終わりでしたので、もう5年ですか。私はそのころ日本に住んでいましたが、入院したとの連絡がありましたが、わずか数日のうちに、亡くなってしまいました。急いで帰国してお葬式に参列しましたが、顔を合わせて「さよなら」と言えなかったのが心残りです。

 ──お祖父様のお話があったからこそ、日本に興味を持たれたわけですね。ただ、日本で歴史を研究しようというのは別の問題だと思うのですが、それはどのようなきっかけですか。 

モーガン 高校生のときに葛飾北斎や日本の浮世絵に興味があり、美術を勉強しようと思いましたが、大学に入ると、私には才能がないことに気付きました。それで専門をギリシャ語とラテン語に変えて勉強しましたが、ただこれらを学んでも果たして仕事になるのかどうかと疑問に思いはじめました。そのようなときに、日本の万葉集の英訳に出会い「美しいな、この世界は」と感じたのです。

 ──万葉集ですか。

モーガン 大学では日本についての講義がありましたので、受講したところ、日本人の留学生が4人いました。そこで会話の練習相手として、たどたどしい日本語を話しているうちに岐阜県出身の人と仲良くなり、彼が帰国したときに、1カ月ほどホームステイさせてもらいました。岐阜で日本の生活を体験することで、日本という国をもっと勉強したいという気持ちが強まりました。

 ──なにか特別に面白いことがあったのですか。

モーガン たとえばちゃぶ台で座って食事をするときに……。

 ──まだちゃぶ台がありましたか。

モーガン そうなんです。床に座ることもそうですが、人の作法やマナーなど、気になるポイントが自分の国とはまったく異なりますので、その差が面白いと感じましたね。なんというか……、日本はくつろげる国なんですよね。外国なのに。なんだか故郷に帰ったような気持ちになるんです。
 ──日本の空気が合ったんでしょうね。

モーガン そう、空気がいい。ピッタリです。今までに何度も文化の差で苦労をしましたが、一生この国を勉強したいと思いました。

 ──でも、今は歴史ではなく……。

モーガン はい、法社会学と言いますか、法制史ですね。法律制度に興味がありまして。

 ──先ほども伺いましたが、末弘厳太郎さんの研究をされていらっしゃるんですよね。

モーガン 労働法の元祖として知られていますが、関東大震災のあとに起きた隣保館(セツルメントハウス)のこととかに興味があります。

 ──当時は、共産党系の人が多かったですね。そこを拠点にしてオルグ(オーガナイズ活動)をしていたんですね。

モーガン そうですね。意外なことにそのことについて、英語ではほとんど論文がありません。