岡部伸(産経新聞編集委員)

米国の反日研究者


 連休の最中の5月2日、天皇制を批判し、日米同盟の強化も危険と論じる米国の日本研究家がまた「日本悪玉論」を説教めいて語った。TBSの「報道特集」に「戦後70年 歴史家からの警告」と題して登場した『敗北を抱きしめて』の著者、マサチューセッツ工科大学のジョン・ダワー名誉教授である。

 「日本には行き過ぎた愛国主義者が存在しているので、戦争が日本にもたらした結果や日本人がアジアで行ってきたことに真摯に向き合えなかった。未だに向き合えていない。『あれはひどい戦争だった』という声にもう一度耳を傾けるべき」

 行き過ぎた愛国主義者のせいで反省が出来ないと叱った。いつもの自虐史観の押しつけである。「アジアへの加害者責任」と謝罪を唱えるのは、まるで従軍慰安婦や南京虐殺などで反日プロパガンダを繰り返す中国と韓国の代弁者のようだ。同じ頃に慰安婦問題などを取り上げて安倍政権に「侵略の過ちを清算せよ」と叱責する米国の日本研究者ら「187人(さらに賛同者が増え5月末までに457人)の声明」にも名前を連ねたダワー教授が日本に「過去への反省」を訴えるのは初めてではない。『朝日新聞』2008年12月22日付朝刊には「田母神論文『国を常に支持』が愛国か」と題して寄稿している。

〈アジア太平洋戦争について、帝国主義や植民地主義、世界大恐慌、アジア(とくに中国)でわき起こった反帝国主義ナショナリズムといった広い文脈で論議することは妥当だし、重要でもある。(中略)しかし、一九三〇年代および四〇年代前半には、日本も植民地帝国主義勢力として軍国主義に陥り、侵攻し、占領し、ひどい残虐行為をおこなった。それを否定するのは歴史を根底から歪曲するものだ〉

 日本が「悪者」で、「南京大虐殺」「従軍慰安婦」を事実と決めつけ、「帝国主義」国家が「侵略」し、人民は抑圧されたとみなす。それ以外の史観を、「歴史修正主義」と排外視するのはなぜだろうか──。

E・H・ノーマン
 ダワー教授が日本研究家として大先輩であるハーバート・ノーマンを敬愛し、日本を「解体すべき危険なファシズム国家」と位置づけるノーマン理論を引き継いでいるからだ。英国立公文書館所蔵の秘密文書でMI5(英情報局保安部)が共産主義者と断定したノーマンの歴史観は自虐史観というよりマルクス主義史観である。

 ダワー教授の著作を見れば明らかだ。2002年に加藤周一編『ハーバート・ノーマン 人と業績』で、「この領域(近代日本史研究)の欧米の学者として、ずば抜けて鋭く最も影響力ある地位を確立した。実際、彼以前にそのような偉業をなし得た人物はいなかった。他に誰がなし得ただろうか」とノーマンを絶賛し、2013年に上梓された『忘却のしかた、記憶のしかた』では、第一章を「ノーマン再評価」にあて、「戦後や占領後の学界の傾向は、『明治国家の権威主義的な遺産』というノーマンの考えにたいし、根源的な敬意をもっていた」と指摘した上で、「(ノーマンは)一九三一年以降の日本の侵略が、(中略)日本という国家の性格がまねいた結末でもあった(と解釈して)(中略)、明治維新の不完全な性格や、軍国主義的な政策、権威主義的な構造から生まれた問題こそが、彼(ノーマン)の近代日本分析の核心だった」と深い敬意を持って論評している。

「未完の占領政策」


 「戦前まで封建社会にあった日本は専制的な軍国主義国家がすべて悪い。容赦なく国家体制を解体し人民を解放すべし」というノーマンの「暗黒史観」は日本を弱体化させる占領政策を進めていたGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)のニューディーラーたちに重宝された。ところが冷戦が始まり、米ソ対立が激化すると、マルクス色が強い赤い「民主化」政策が変わる。いわゆる「逆コース」である。

 1949年に共産中国が誕生し、翌50年に朝鮮戦争が勃発し、米国は日本を東アジアの共産主義の防波堤に活用した。懲罰的な占領政策は取りやめて日米安保条約を結んで日本を同盟国に格上げしてサンフランシスコ講和条約発効とともに西側自由主義陣営の一員として経済復興を支援するようになる。この政策転換を支えたのが駐日米国大使となったエドウィン・ライシャワーの理論だった。「戦犯裁判や公職追放を通じて一部の軍国主義者たちを排除した結果、日本は再び民主主義国家として再出発できる」と対米従属の日米安保条約のもとで、日本を同盟国として扱うことを正当化した。蜜月だった日本共産党は非合法化され、徳田球一も野坂参三も中国に逃亡する。公職追放が解除されて旧政財界人等の復帰がはじまり、レッドパージにより、保守勢力の勢いが増した。マッカーサー命令による警察予備隊の編成が再軍備の端緒ともなった。

 米国内でノーマンが共産主義者でソ連のスパイではないかとの疑惑が広がるのは、ちょうどその頃である。50年にカナダ外務省は46年8月から駐日カナダ代表部主席を務めていたノーマンを解任する。カナダ外務省本省からカナダの国連代表となったノーマンに対して米上院司法委員会国内治安小委員会が共産主義との関連を追及するのは51年8月からだ。ここに来てようやく米国ではノーマンは「アジアの共産化を企てる共産主義者」と批判されるようになり、学問的影響力を失う。カナダ政府は、ノーマンは共産党員でもソ連のスパイでもないとして、ニュージーランド高等弁務官、エジプト大使に昇進させたが、1957年4月、ノーマンはカイロで生命を絶った。

 その後、「忘れられていた歴史家」ノーマンが米国で再び注目を集めるのはベトナム戦争が終結した1975年ごろからである。前述のダワー教授が同年に『近代日本国家の起源─ノーマン選集』の形で99ページに及ぶ解説をつけて『日本における近代国家の成立』(1940)と『日本政治の封建的背景』(1944)を再刊行して、ノーマンの歴史観の再評価を訴えたからだ。

 評論家の江崎道朗氏によると、ノーマン復権を唱えたダワー教授の理論の下敷きになったのが米国でベトナム反戦運動を展開したニュー・レフト(新左翼)だった。彼らは、ソ連の支援を受けた北ベトナムが勝利し、共産政権ができれば、東南アジアにも共産主義政権が誕生し、世界共産化が進むと考えた。ところが1965年のインドネシア共産クーデターが阻止され、反共を掲げる東南アジア諸国連合(ASEAN)が創設された。そこでニュー・レフトの理論的指導者、カリフォルニア大学のヘルベルト・マルクーゼ教授が1969年、『解放論の試み』を出版し、アジア・アフリカ諸国で共産革命が進まないのは、革命闘争を欧米の資本主義国が豊富な資金と武器援助によって抑圧するためと分析し、アジア・アフリカの解放には、共産勢力の強化より、資本主義国の弱体化が必要と訴えた。

皇室解体と加害責任追及


 このマルクーゼ理論を基にダワー教授は、ベトナム、ひいてはアジアの民主化を阻害する米国の帝国主義者たちがアジアで影響力を保持するのは、日米同盟と日本の経済力があるからだとして、日米同盟を解体し日本を弱体化することが、アジアの民主化につながると考えた。そしてダワー教授らは次のように訴えた。

 「占領政策で日本の民主化は進んだものの、日本の官僚制を活用する間接統治と『逆コース』で占領政策が骨抜きとなり、『天皇制』など戦前の専制体制が温存された。さらに昭和天皇の戦争責任を不問にするなど東京裁判が不徹底に終わったため、日本は『過去の侵略を反省できない、アジアから信頼されない国家』になった。そこでもう一度、徹底した民主化(憲法の国民主権に基づく皇室解体)と東京裁判のやり直し、アジア諸国への加害責任の追及を行うべきだ。そのため民主化と加害責任の追及を行う日本の民主勢力(例えば、家永三郎氏のような『勇気』ある歴史家たち)を支援するべきだ(ダワー教授は1999年、後述する『抗日連合会』や土井たか子元社民党党首らと連携して、家永三郎氏にノーベル平和賞を授賞させる運動を展開している)」

 「暗黒史観」であるノーマン理論を引き継いで「未完の占領改革」を徹底せよというのである。こうして日本の加害責任を改めて追及して日本を弱体化させ、アジアの民主化を促すという世界戦略が米国のニュー・レフトの間で確立されたのである。