松田武(大阪大学教授)
北村稔(立命館大学教授)

 アメリカの対日占領政策については、これまで多くの研究がなされてきた。アメリカの本音は、日本が二度と再び武器をとって立ち上がることのないよう、その“背骨”をへし折ることだった「日本精神」の中枢は神道であり天皇にちがいない――。
 目的を達成するためには手段を選ばない。私信の開封、メディアへの事前検閲、映画演劇への容喙など、あらゆる手法で戦後日本をマインドコントロールしようとした。
 一方で冷戦がはじまっており、日本を弱体化するだけでは、まずい。西側の一員として対共産圏への防波堤にしなくてはならなくなった。そこに対日戦略のさまざまな相貌があらわれてくる。

1 ジャパン・バッシング


 ――松田先生が書かれた『戦後日本におけるアメリカのソフト・パワー』を読むと、アメリカが戦後の日本に対し、何をどうコントロールしようとしたのか、そのプロセスがよくわかります。知識人へのアプローチや教育などの「文化戦略」によって、うまく統治をしていった。これを研究テーマに選ばれた動機は何だったのでしょうか。

松田 1980年代、経済摩擦により発生した「ジャパン・バッシング」がきっかけです。ジャパン・バッシングがおこった際、日本のアメリカ研究者に、なぜかくも厳しいバッシングを日本が受けるのか、国内むけに説明してくれという社会的な要求があったのに、彼らは沈黙を保ったんですね。知識人として果たすべき本来の役割や義務に対して彼らは腰砕けだった。それは、「The Complicity of Silence=口をつぐむ事による知と権力との共犯関係」になるんです。

 そのときに、「私たちは何のためにアメリカを研究しているんだろう」と、大変なショックをうけた。それが80年代に強烈にインプットされました。

 私は、アメリカの研究生活をとおして〈研究者たるもの、今がたとえ望ましい状況であっても、よりよい状況を醸成しようとする精神を養成する必要がある〉と若いときから言われてきました。それを日本のアメリカ研究者たちは実践してないんですね。「なぜ口をつぐむのか?」と考えたときに、深い根があるように思えました。それを研究テーマにすえたとき、アメリカによる「ソフト・パワー」に屈し、また一方では、それに迎合してしまった日本の対米依存体質が見えてきました。

 ――欧米のジャーナリストたちは、経済力ばかり巨大化して国際的な分野では積極的な発言をしない日本をとらえて、「口のしびれた巨人」なんて言っていました。

松田 日本アメリカ学会の会長を務めた斎藤眞先生は『アメリカ史の文脈』(岩波書店)の中で、日本の姿をこのように指摘しています。

〈日米関係の基底には、どうも日本のアメリカに対する甘えの姿勢が流れており、そのことが対米依存や、逆に対米反発を招いているように思われる。1970年代の後半より、日米関係史の文脈が現実に変わりつつあるのに、意識の構造はあまり変わりないようである〉

 先輩の少数の先生方は、おかしいおかしいと感じていたわけです。私の本にこれまでになかった利点があるとするならば、それを実証的に裏付けたということですね。

 ――「ソフト・パワー」とは何をさすのでしょうか?

松田 もともとこの言葉は、さきごろ駐日米国大使候補にあげられていた、ハーバード大学の政治学者、ジョセフ・S・ナイ二世によって紹介されたものです。

 「ソフト・パワー」という言葉は、「人や制度への敬愛=文化力」によって、相手に自分の望むような行動をとらせることです。しかし、文化力だけでは強制力がなく、たんなる説得にしかならない。ソフト・パワーだけでは人の行動を望む方向に変えることはできないのです。

 パワーというのは、したくないことを相手にさせる能力です。ソフト・パワーの役割は、軍事・経済などのハード面を補完することですね。

 軍事力、経済力は有無を言わさぬ強制力がある。しかし、それにつきものの抵抗を抑えるために、ソフト・パワーとしての文化力があるのです。

 つまり、軍事力・経済力・文化力、この三つがそろって、はじめてパワーが機能するのです。

 アメリカは覇権国家となるために、このソフト・パワーを利用して日本国内に親米派の知識人をつくり、彼らに一般国民に対しアメリカについて親和感を抱かせること、そして冷戦における支援者となってもらうことを目的としました。

 日米文化交流事業として、日本の知識人によるアメリカ研究振興、フルブライト交流計画、国際文化会館の創設、東京大学とスタンフォード大学共催による『アメリカ研究セミナー』などが実施されました。アメリカ研究者にたいして、合衆国から潤沢な資金援助がされたのですが、それが後々大きな禍根を残すことになります。

 ――戦後の対日ソフト・パワー戦略には、国務長官のジョン・フォスター・ダレスの存在が大きいと言われていますね。

松田 戦後、対日講和条約の交渉担当官だったダレスは、20年代、30年代の対日戦略の失敗から、文化の力を大変重要視していました。ダレスは、第一次世界大戦のヴェルサイユ講和条約のときも、アメリカ講和使節団の一員として出席しています。それ以来、日米関係をずっと観察しているわけです。

 51年のサンフランシスコ講和条約のときには、すでにそれを十分知っていたので、戦後日本に対して早速ソフト・パワーを使おうとしたわけです。

 1920年初頭は、戦争の影響からたちあがった栄光の20年代と言われるだけあって、世界経済が浮揚していました。

 その範囲において、日本とアメリカもワシントン体制という友好関係にあって、一緒に中国を開発しましょうということだった。

 20年代前半の、アメリカによる日本の単独行動を抑制するメカニズムはなんだったかいうと、経済的なテコ、資本の輸出、そして技術導入であり、幣原喜重郎はじめとする日本の指導者とアメリカの指導者の世界観が一致していました。リベラル・インターナショナリズム(自由主義的国際主義)です。しかし、その後のウォール街の株価大暴落、それに続く1931年の満洲事変を皮切りに、日米関係は崩壊していきます。

 この間の日米関係の成功と失敗、そしてその原因を考えた結果、第二次大戦後においては、1920年代にはあまり意識していなかった文化の力をフルに動員して、親米派をつくることを重要視しました。

 そしてダレスは、「脱亜入欧」という明治維新以来の、西欧世界の仲間入りをしたいという日本国民の願望を見抜いていました。そこで「アングロ・サクソン民族のエリート・クラブ」の一員として、日本を平等に、正当に扱うことにすれば、日本を“抱き込む”ことができると考えていたのです。

北村 ご本の中には、ダレスが頻繁に出てきますね。ダレスはこんなに日本人のことを知っていたのかと、びっくりしました。パリ講和会議のときから日本を見ていたからよく分かっていたんですね。

ロックフェラー三世の役割


 ――日米文化交流事業において、重要な役割を果たしてきた人物に、ジョン・D・ロックフェラー三世がいます。彼の思想と役割についてお聞きしたいのですが。

ジョン・D・ロックフェラー3世
松田 ロックフェラー三世がロックフェラー財団の理事をしているときに、理事長を務めたのがダレスでしたので、二人は非常に親しい間柄でした。ダレスは、これからの外交というのは政府対政府、官僚対官僚ではなくて、people-to-people diplomacy、すなわち民間外交が重要になると思っていました。民間の人の心をまないと、いくら経済力と軍事力を行使しても、日米の友好関係は長続きしないと考えたのです。そこで、文化の力が重要になった。文化交流を通して人々に影響を及ぼし、国民の政治的な行動を変えようとしたわけです。

 そこで、東アジアに造詣が深く、教育・文化にも強い関心をもつ慈善家として広く知られていたロックフェラーに白羽の矢がたったのです。その意味でダレスとロックフェラーは同じ価値観を持っているんですね。

 ダレスは51年、サンフランシスコ講和条約の締結のため来日する際、ロックフェラーを文化関係の責任者として「ダレス講和使節団」に入れています。

 しかし、ロックフェラーは、国家戦略による文化交流がはらむ潜在的に危険な問題、「文化帝国主義」の危険性に気づき、慎重に行動をします。

 その結果、文化交流の原則として、「双方向性」ということを唱えました。日本文化には他国に提供しうるものがあるのだから、「双方向性」の原則は「文化帝国主義」の批判からアメリカを守れるだろうとの思惑もありました。

 また、彼は知識人へのアプローチというものを強調します。権威主義の強い日本において、一般国民へ影響を及ぼすには、指導者である知識人を通すことが効果的であるという理由からでした。

北村 ダレスとロックフェラーのコンビが、対日ソフト・パワーの両輪だったということですね。

2 アメリカ文化の強大な引力圏


松田 自由主義的国際主義=リベラル・インターナショナリズムには、いい面もあるということを認めなければなりません。しかし一方で、「負の側面」もある。

 私のこの本の英訳タイトルは「Soft Power and Its Perils(ソフト・パワーとその危険性)」なんです。落とし穴があるということですね。意図的にそうしているわけではなく、知らず知らずにアメリカ文化の強大な引力圏に引き寄せられてしまい、結果として依存体質に陥ってしまう。それに日本人もアメリカ人も気づいていなかった。

 ソフト・パワー自体は意図的に日本人を骨抜きにしようとしたわけではありません。それはダレスもロックフェラーも同じです。というのも、アメリカ側が相手にしたのは、「親米派」であり、かつ「自らの価値体系や行動様式を自分の手で構築」できる知識人でした。

 しかし、受け手側の日本の留学生たちが、アメリカのソフト・パワーとしての「資金や留学の機会」を、自分達の帰国後の社会的ポジション獲得や権威づけに使った。彼らは「親米派」であるけれども、「精神的に弱々しい、権力を受容する」タイプの日本人となっていった。それは資金提供者としてのアメリカが意図したものとは、微妙にズレがあります。

 そして、親米派養成のため費やされた「カネ」は、日本の研究者のアメリカ批判の抑止につながり、それが冒頭にお話をした、ジャパン・バッシングの際のアメリカ研究者の態度にも伝統として表れてしまった。

 それは、日本のアメリカ研究にゆがんだ影響を与えただけでなく、米国の権威・資金への依存体質を生み出してしまいました。

 ――吉田茂をはじめ、戦後の日本の政治家がソフト・パワーをうまく利用した面もありますか?

松田 日本の占領期、アメリカにはグローバルなインタレストと、日本の再建という二本立ての目標があった。そのためには、アメリの目指している国際秩序のもと、平和主義的で民主的な日本の再建を行うという枠組がもっとも望ましいわけです。

 日本にとっても「寄らば大樹の陰」で、アメリカから甘い汁を吸って、そこで発展をしていくという方法は魅力的だったでしょう。

北村 アメリカのソフト・パワーを上手に使っていけば、国を再建できるという思いが、日本の指導者たちには当然あったでしょう。冷戦の最中にあっても、中国・ソ連とは正面から向き合わずに経済発展だけ考えて、安全保障はアメリカに任せておけた。

松田 そうです。また、アメリカにとっては日本を太平洋戦争の戦利品として自由主義世界に抱き込むことにより、ソ連側につかせないということ。そういう点で利害が一致したのでしょう。しかし、日本側の、ソフト・パワーとそれによる権威を甘受するという姿勢が、「対米半永久的依存体質」をつくった原因と言えるでしょう。

日本人がいる「鉄の檻」


北村 アメリカ研究をしている人たちで、アメリカに対しcritical(批判的)に冷静に、モノを言う人ってあまり見当たりませんね。それを言ってしまうと、自分の研究がアメリカにおいて取りあげてもらえなくなるからでしょうか。

松田 彼らは慎重に内容を選んで、議論を展開していますね。アメリカの政治文脈の中でサバイブしようと思えば、思うとおりのことは言えない。これは難しい。批判するのはやさしいですが、きわどい路線を歩まなければ生き残れないですね。

北村 「言論の自由の国」だといっても、アメリカには全体としてはまとまった路線というのがキチッとあって、それから外れると相手にしてもらえないでしょう。

松田 アメリカのリベラリズムというのは思想の幅が広いんですが、そうかといって社会主義を目指す人達にはものすごく冷たい。対決姿勢をとります。社会主義者には教職もないし、村八分にされてしまう。

 戦後の日米安保体制というのは、アメリカのヘゲモニーのもとで、アメリカのエリートの指導者と、吉田茂のようなエリートの指導者の間の共同作業によって築かれたわけです。戦後日本の政治、経済、社会、文化の幅広い領域に及んで、日本社会全体を支配する巨大な秩序界でありました。 
 言い換えれば、日本国民の圧倒的多数がそのもとに生まれ、その殆どが好むと好まざるとに関わらず、その中で生きていかなければならない、言わば、「鉄の檻」のようなものです。そして、アメリカを主たる権威の源とするこの巨大な秩序界は、国民の中から、日米安保に必要な人間をつくり育てます。

 そのことは、知識人を例にとると分かりやすい。もし、ある知識人が、その規範に適応できない、あるいは適応しようとしない場合、さらにはそれに反して行動する場合は、その知識人は正当な思想領域から逸脱者と規定され、彼の政治的行動を極小化するために、知的共同体から追放されるか、あるいは知的集団の周辺に追いやられ、遅かれ早かれ淘汰されることになります。

 この巨大な秩序界は、淘汰の過程を通して、国民の中から、日米安保体制維持に必要な人間をつくり育ててきただけでなく、多くの知識人はアメリカの権威に強く依存するようになった。これが私の基本的な視点なんです。

北村 驚いたのは、本書の第八章「分権か対抗か—京都アメリカ研究セミナー」で詳しく述べられている、アメリカのソフト・パワーの受け入れ窓口になった日本知識人の代表である大学人のあいだで、当初セクト主義による凄まじい軋轢が発生し、アメリカ側が当惑していた事実です。
 東大と京大を二大軸とする関東と関西の対立、さらには同じ関西軸の中の京大と同志社の対立、また京大と同志社双方による関西軸からの立命館大学の放逐など、大学間交流の進む現在の状況からは、考えられない事態が起こった。

 このようなセクト主義は、積年の日本アカデミズムの学閥による閉鎖的人事が生み出したものですが、アメリカ側は資金援助を切り札にして、やがてこのセクト主義体制を新たに再編するかたちで、日本の大学の中に自らのソフト・パワーの受け入れ体制を作ってしまいますね。

 ――要は助成金の“ぶんどり合戦”を演じたのですね。東大の南原繁など、京都勢を牽制して「特許の侵害行為」とまで言っている。

日米関係を提示せよ


北村 私も学生のとき、「安保粉砕」「闘争勝利」と騒いだことがありますが、しばらく考えたら、「安保条約があるから現体制がある」ということが分かりました。安保を粉砕するということは全部を変える、つまり「革命」をするということです。それは、どうやったって不可能だと思いました。そうなると、この状況の中で自分は保守的に生きていくのかと思い悩みました。七〇年代のことです。そしてそこから、自分の生存基盤と矛盾しない「良き保守の思想」とは何かを模索し始めたわけです。

松田 日米関係を維持するというのと、日米安保体制というのは区別して考える必要があると思います。好むと好まざるとに関わらず、日本とアメリカは隣同士ですから、関係は保っていかないといけない。どのような関係を保っていくのか、ということが知識人に問われているのだと思います。

 戦後の日米体制はベストなのか。日本が世界のなかで、尊敬され、かつ生きていくためには、どういう日米関係が望ましいのか。

 これを知識人は100%の正確さではなくても、提示すべきだと思うんです。

 日本の知識人が、構想力を発揮して提示するということと、それがアメリカに100%無修正で受け入れられるかは、別です。国対国の力関係がありますから。ものによってはアメリカはつぶしに来ると思います、あの国はそういう厳しい面をもった国です。

 ――冷戦が崩壊して、日米同盟も大きく揺らいできました。日本の自立を確保しつつ、同盟を実のあるものにすることが求められているのでしょう。

3 日本の知識人の怠慢


北村 日本人が世界に誇れる「売り」、これだけは負けないぞというものを、もっとアピールするべきだと思いますね。例えば国民の知識レベルがおしなべて高いとか、国内が安定しているとか、危機に際しての団結力があるとか。そういうところをもっと発信して、アメリカへの従属的な立場に甘んじていてはならないのに、それを変えていこうという気概さえないですね。今でも、官僚はアメリカに留学する人が多い。

 ――霞ヶ関の官僚をはじめとする、日本からのエリート留学生は指導教授から言われるそうです。「お前は日本という小さな窓でしか世界を見ていない。それが日本の研究者のウィークポイントだ」と。アメリカというグローバルな視野をもつ国と、日本という島国の視野をどう重ね合わせるか、ということでしょうか。

松田 多くの血税を予算の形で計上して派遣しているわけですけど、彼らのいくところはアカデミックにみても質のいいところです。アイビーリーグのハーバード、プリンストン、イエール……。しかしそこに集中しますと、二つのことが起こります。

 一つは、彼らはアメリカに行ったとしても、図書館にこもりきりになりますから、実際のアメリカは知らない。市井の人と交流せずに、担当教授とばかり交流する。そして二つ目、彼ら官僚をアメリカに呼ぶのは、日米関係を良好にしたいという人たちです。ということは、彼らアメリカ側と日本からの留学生である官僚が、権力を補強し合っているとも言える。そういう人たちが、アメリカの日本研究者であって、日本のアメリカ研究者だという事です。

 だから、カリフォルニアなどの太平洋岸地域や中西部の人たちの気持ちっていうのは、日本にあまり伝わってこないし、日米関係に反映されないんです。「実際のアメリカと、伝わってくるアメリカが違う」というのは当然のことなんです。そういう非常に歪んだ研究なんですね。

誇れるものがあるのに


北村 確かにわれわれはアメリカのことを、実はあまりよく知らないんじゃないか。ハリウッド映画なんかで見るアメリカと、実際にいってみて見るアメリカはだいぶ違うと思いますね。アメリカも、東部と中西部では全く違う。皆が自動車に乗ってハデな生活をしていると思っているけれども、アメリカの実像が上手く日本に入ってきてませんね。

松田 最近アメリカにいって、ワシントン、ウィスコンシン……と各地で知識人をはじめ、農民、大工などいろんな人たちと交流をしてきました。その方たちの中で日本でホームステイをしたり、軍人として駐留したり、留学したりと、何らかの形で日本と触れ合ったことのある人たちが、日本のことをどれだけほめることか。

 彼らは、日本人の親切さ、きめ細かい配慮、清潔さ、組織力など、日本のよさを十分に、そして正確に把握して評価しています。

 ところが日本の論壇の一部の人たちは、自国のことを叩くばっかりで、いい所に言及しない。マゾヒズムか知りませんけど。「いい所はいい」と言って我々は自信をつけるべきです。

 それと、日本に来たことがある人は、日本の良さを十分にわかっているんですが、そういう人たちはアメリカの人口の1%にもなりません。そうではない99%の人たちは、日本のことを知りたいと思っている。敗戦後、なぜあんなに短期間で成功したのか、犯罪率がなぜあんなに低いのか、理由を知りたいと思っている。生活の背景にある日本人の考え方、価値を知りたいと思っています。日本の知識人はそのメッセージを伝えていません、怠慢と言えますね。

 そして日本政府は、東部だけでなく、中西部や山岳部にも留学生を派遣して、日本のことをもっと知らしめれば、今のようなジャパン・パッシング、ジャパン・バッシングは起きないと思います。

 私は世界中を見てまわりましたが、日本には誇れるものがたくさんあるんですよ。

北村 日本人が世界に向かって、もっと自らのメッセージを伝えなければならない点については、私も同感です。日本人に何故それができないのか……。例えば、西洋人には宣教師の伝統がありますよね。外に向くベクトルが歴史的にある。

 一方で日本人は、外にむかって文化を発信していこう、という姿勢ではなく、外からいろんな文化を吸収して自分たちで発展させよう、という内向きのベクトルです。しかしこれからは発信をしていかなければ。

松田 日本人の中には、「わび」「さび」なんて外国人に説明しても分からないだろう、という思いがあると思います。しかし、現在はアニメに代表されるジャパン・ソフトパワーというものが世界的に認識されている。世界的に、老いも若きも熱中している。そしてそこから更に進んで、日本人の考え方、価値観を知りたいと思っているんですよ。

 それにはアメリカ東部の大学だけに留学し、交流するだけでは不十分なんです。「ギアチェンジ」が必要ですね。

無視された江藤論文


 ――以前、江藤淳さんが『閉された言語空間』(文藝春秋)という本でアメリカによる検閲の実態を書かれましたが、このときの日本の論壇の反応は、非常にクールでした。むしろ「無視しよう」という空気だった。「アメリカの検閲によって、大した被害を受けていないのに、なぜ江藤はそんな本を出すのか?」と。占領期の問題について先取りしたような形でしたが、今日ようやくその当時のことが注目されるようになりました。松田先生の本の版元である岩波書店が『占領期雑誌資料体系』を刊行しているのも、そのいい例ですね。

松田 1930年代後半から40年代にかけて、アメリカは第二次世界大戦に入りますね。戦時下において、アメリカの自由主義思想、言論の自由、良心の自由という建国以来の原則が、国家のサバイバルのために一時曲げられました。戦争遂行のために、プロパガンダ活動をしたわけです。

 ドイツのゲッベルスに代表される、中南米における反米プロパガンダに対抗するという理由でした。それは真珠湾攻撃後の、対日プロパガンダでも同様です。

 しかし、これは例外的な特別措置で、戦争が終われば解除するということだったのに、45年からアメリカとソ連との関係が険悪になってくると、ソ連が行った心理戦争に対抗するために、カウンター・プロパガンダとして、アメリカも文化政策というものを本格化してくるわけです。

 少なくとも第二次世界大戦までは、政府主導の文化政策というのはなかったんです。それまでは、民間の宣教師や、医師、技師たちに任せていた。それを国務省が中心となって、民間の活動を補助するという形で政府が介入するようになりました。

ジョン・F・ダレス
 日本の場合、日本の1945年から46年にかけて、アメリカの国家目標と日本の国家目標が一致したんです。それは何かというと、「非軍事化」「民主化」ですね。二度と日本がアメリカの脅威とならないために、構造を変えていこう、心の中も変えていこうとした。そのためには、外から入ってくるアメリカやGHQに批判的なプロパガンダ、これをコントロールしようとした。民主化という大義のためにも、これは当然だとしました。そして第二に、冷戦が始まったことで、政府が情報をコントロールする責任があるとしました。

 47年から48年、「逆コース」という言葉が出てきます。それまでは日本の民主化、社会構造の再構築化、という方向でやってきたけれども、四七年に入ると、冷戦という新しい世界戦略が出てきます。民主化がスローダウンして、それ以後はイデオロギー戦争に入っていくわけですね。そしてアメリカは二極化する世界で、日本の技術力と工業力を、絶対に失うことはできないと考えました。「世界の将来は、西ドイツと日本をその支配下に置けるかどうかにかかっている」というダレスの言葉も残っている通り、共産主義との戦いに勝つための鍵は、ドイツと日本にあると考えた。

 そして、アメリカは日本に民主主義の思想を伝播させるために、「非民主的な」検閲でもってそれをコントロールしました。そこにアメリカの自己矛盾がある。しかし、第一の目標である非軍事化、民主化のために押し通したのだと考えています。

 ――検閲の過程をみると、日本の伝統的なものの考え方を必要以上に壊してしまったんじゃないか。これはソフト・パワーの負の側面ではないでしょうか?「骨抜きにするつもりはなかった」かもしれないが、後遺症は残った。かなり民族的な損失を被ったんじゃないのでしょうか?

北村 封書の開封を平気でやって、占領軍に対する批判的意見をチェックするのを手始めに、死者の霊魂とか、死にまつわる儀式などまでチェックしたようですね。精神面に立ち入っていますよね。

松田 アメリカは日本に対して精神革命をもたらすという意識でしたからね。アメリカは徹底主義者で、根こそぎやろうと思っていたのは確かです。

 ――神道に代表される伝統的なもの、イコール軍国主義という考えでした。

北村 それはひどい誤解ですよ。

あとで「しまった」と気づく


松田 アメリカは分かっていなかったんですね。

 ――忠臣蔵まで“仇討ちもの”として禁止したのは、狂信的すぎますね。

松田 そうですね。そのために日本国民、あるいは知識人の間に「精神的な真空状態」を作ってしまった。日本の軍事的敗北、天皇の人間宣言によって、日本人にとって自らが拠り所にするもの、外部に対して抵抗する力がなくなってしまった。そこへ共産主義が入り込む危険性が出てきて、アメリカは「ああ、しまった」と思った。

 それは後から気がつくんですね。

北村 アメリカではフロイトが流行りましたけど、余りに明快な精神分析はヨーロッパでは流行らなかった。ちなみに「政治学」はアメリカでは「political science」です。あくまで科学なので、1+1=2という明快な答えが出なければならない。しかし、イギリスだと「political studies」。種々の要因が絡み合って存在するという基本認識があります。アメリカ人は単純な合理性がともなわないと政治ができない。

 アメリカが日本と戦争するぞと政策転換をしたときも、日本が1938年の11月に、日・満・支(国民政府)による「東亜新秩序建設」というブロック経済圏構想を打ち出したら、中国での機会均等を補償する九ヵ国条約違反だと言い出したりして、相手がこう出れば自分はこう出る、といったように、ギアをガチャンと変えて、その後はずっとそのまま進んでいきます。

 日本の占領政策の場合でも、日本をこう変えようと決めたら、そのようなギアをガチャンと入れてしまって、おし進める。

 物事を非常に単純化して進めてしまう癖があるから、取り返しがつかないことになる。

松田 占領当初は、日本にとってもいい効果はあったと思います。戦前・戦中に、日本国内で民主化の気配はあっても、実際はできませんでしたからね。戦後、アメリカの力を借りて達成したことを考えると、そうマイナスのことばかりではないと思います。

アメリカは被害妄想の国


まつだ・たけし 1945年生まれ。
米国ウィスコンシン大学大学院
歴史学研究科修了(Ph.D.)。現在、
大阪大学大学院国際公共政策
研究科教授。専攻はアメリカ史、
アメリカ対外関係史、日米関係史。
主な編著書に『ヘゲモニー国家と
世界システム』(共編著・山川出版社)、
『現代アメリカの外交』(編著・
ミネルヴァ書房)などがある。
松田 アメリカ人の考え方には、「good(善)」と「evil(悪)」、敵か味方か、という二項対立的なマニ教的思考があります。これは、近代の価値が持っている内面的な矛盾とも言えます。

 「自由」という言葉には、活動の自由、労働の自由、財産形成の自由……と、よい面もありますが、一方で財産を手に入れた途端に他者に奪われてしまうのではないかという、不安感、他者への不信感など負の面も内包します。自由=略奪、自由=差別、自由=排除・武力行使……。これが近代の価値観には同居しているわけです。これをいかに超克するかというのが問題なわけです。

 戦後、日本のアメリカ研究の主流は、日本の社会を民主化するというニーズから、アメリカの近代の価値がもっているいい面、明るいところを取り入れようとした。しかし、アメリカの価値というのは、いいとこ取りができない。善と悪、陰と陽、二つの側面をみながら、どうアメリカ像を構築して伝えるかが、我々の仕事なんです。

 また、ピューリタンたちはイギリスからアメリカへ渡ってきて、丘の上に町をつくるわけです。そして「ユートピアをつくった」という思いをもった。でも、まわりにはインディアンもいるし、イギリス以外からも人が流入してくる。いつなんどき、油断をしたらこのユートピアを崩されてしまうかもしれないという「包囲心理」がありました。自由なんだけれど、敵が包囲している、だから常に軍事力でもって守るということになる。その近代の価値が持っている矛盾が、今もずっと続いています。

 戦後から91年のソ連の崩壊までは、アメリカはコミュニズムという敵をつくりました。そして今度は、アルカイダというテロリストをつくった。そして次は……。そういう心理構造がアメリカにはある。

 私は、あなたたちにはそういう心理構造がある、だからもっとリラックスをして自由になってほしい、ということを伝えたいんですね。それが研究テーマのひとつでもある。

北村 アメリカ人は No. 1になるのが好きな国民性なのかと思っていましたが、いつなんどき襲われるのではないかという、被害妄想からきているんですね。日本は海に囲まれた島国で安全でしたから、国民性も能天気で危機感がない。全く違いますね。

松田 彼らの考えの底にあるのは、自分たちは世界にはないユートピアをつくるんだという使命感で、実際にそれをつくり、豊かになりました。そして、その原点は間違っていないという信念があって、それを世界に広めたいんですよ。

北村 ピューリタニズムはまだ生きているんですね。今の言葉でいう「グローバリゼーション」ですね。

松田 このピューリタニズムの考え、そしてロックの自由主義、いわゆる資本主義の思想とが、あるときには手を携え、あるときには対立しながらアメリカを支えています。

北村 アメリカの高等教育の中では、そういう伝統構造を変えることなく、教育しているのでしょうか?

松田 大学に行くまでに、家庭、教会、それに学校で教え込まれます。

北村 アメリカは自由主義だと言いますけれど、そういう確固たる信念を叩き込むわけですね。

松田 それを「アメリカの信条」という言葉で表しているんですね。それに対して、異をはさまない。そこが大前提になっているんです。

4 膨張とピューリタニズム


松田 アメリカ人は「善意」を強調するんですけど、その善意には条件があるんです。ディーン・アチソン元国務長官いわく「私たちはあなたたちを助けたい。アメリカの歴史をみるとこれだけ成功してきた。助ける上の条件としては、アメリカ人がやった方法で助けたい」。つまり、自由市場経済制度を適用するということです。ウッドロー・ウィルソン大統領の有名な十四カ条の一つ、self determination(民族自決)はアメリカの方法を学べば認めましょうということ。リベラリズムの大きな「枠」「檻」の中にいるならば、アメリカは「善意・寛大」になるということです。

北村 その「檻」を出ようとすると、叩いてくるわけですよね。

松田 それは何故かというと、ウィリアムズの歴史哲学ですが「アメリカ国民の繁栄、福祉、民主主義の発展は膨張することで成り立っている」ということなんです。アメリカの膨張がストップする、あるいは抑制されると、国内で失業を生み、暴動を生み、社会不安になって、財産追求の自由も侵害される。

 膨張がストップするというのは、世界中に社会主義、共産主義の国ができるということです。アメリカのカネ・モノ・サービスが自由に入っていける空間があるうちは、アメリカは助かるんですね。戦後の日本を西側に入れたのも、当然ですよね。

北村 アメリカによる「人権外交」というのも、そういうことですよね。「内政干渉」という外交次元の論理を超越する「人権」という価値観を錦の御旗にして、他国へどんどん入っていく。

アメリカは怖い国


松田 political economyという言葉がありますが、政治と経済、アメリカの民主主義とfree market economyというのは、同じことなんです。分けることができない裏と表なんです。

きたむら・みのる 1948年、京都府
生まれ。京都大学文学部史学科卒業、
同大学院博士課程中途退学。
三重大学助教授を経て立命館大学
文学部教授。法学博士。専門は
中国近現代史。主な著書に
『第一次国共合作の研究』(岩波書店)、
『「南京事件」の探求』(文春新書)、
『中国は社会主義で幸せになったのか』
(PHP新書)など。
北村 そうしてみると、アメリカというのは恐い、扱いにくい国ですね。

 中国共産党も膨張していますが、基礎になっている経済発展は、共産党が外国企業に安い労働力と土地を提供するブローカー業の所産であり、内実は脆弱で、国内矛盾もいっぱい抱えています。

 しかしアメリカの場合は、膨張主義の歴史が長いですね。バックボーンにはピューリタニズムという宗教的なものもありますし、確信的です。

松田 アメリカの行動、世界観を変えるためには、やはり高等教育を変えないといけないと思います。外国のアメリカ研究者の役割は何かといったら、そこに入り込むことですよ。

北村 批判的に分析をして教えてあげるということですね。

松田 そういうことです。それをしなくてはいけない。

北村 向こうの情報を入れるだけではダメですよね。こちらから発信し、批判して教えないと。でも、今の文科省の言っている英語教育では、単なるビジネス英語どまりですよ。まずは日本語の国語教育を徹底して、発信のための内面世界をつくり上げなくてはダメです。

 日本人は戦後、アメリカの占領政策に対して、柔道ではありませんが、押したり引いたりしてうまく対応してきました。冷戦構造の中で、アメリカという支配者をうまく使ったといってよい。そして昨今では、アメリカの「枠」や「檻」が役に立たなくなってきて、どうしようかとは迷っているのだけれど、ズルズルと現在まで来てしまっている。

 関係を再構築できていないから、アメリカの国債を買ってご機嫌を取り結んでいる。

カネと技術に期待


松田 決してアメリカの庇護はタダではないということです。アメリカの行動原理はギブ&テイク。たとえキリスト教関係の団体であっても、完全な持ち出しはないのです。

 ――湾岸戦争のとき、日本の海上自衛隊の掃海艇をアメリカがとても評価しましたね。他の国はどこもできないきめ細かい技術を、日本の海上自衛隊は持っていますから。

松田 アメリカが日本に求めているのは、カネと技術力ですね。それがアメリカのグローバル戦略を補強する形で使えればいいと考えている。民族自決の問題で言えば、日本人が独自の意思と考えで技術とカネを使った場合、アメリカから“注文”がくるでしょう。それとどう交渉していくかが、これからの世代の責任と義務、技量とセンスでしょう。

北村 アメリカによる日本の位置付けをひと言で言うなら、「お金と技術を提供してくれて、アメリカの言うことについてきてくれればいい」ということなんでしょうか。

松田 そうです。「アメリカ合衆国は日本を対等で重要なパートナーと見なしている」というセリフがアメリカ高官からよく発言される一方、日本は多少の不満があってもアメリカについてくるしかないので、日本の利益を無視しても大過なくやっていける、という考えをアメリカはもっています。しかし今後もそれで日本の国民が納得するかどうかでしょう。指導層とそれぞれの国民の間の考え方に、あまりにもギャップがあると思います。

北村 しかし今、すでに冷戦構造が崩れてしまったために、日本はアメリカとだけ上手くやっていけばいい、という従来のやり方が通用しなくなりました。

 今後どうやって独自の道を切り開いていくのか、喫緊の課題ですね。