山下英次(大阪市立大学名誉教授・経済学博士)
馬渕睦夫(元駐ウクライナ大使)

アメリカの失敗


 ──第二次大戦後、とくに米ソ冷戦終結後の世界は、軍事よりもむしろ金融・経済の覇権争いに傾いて、その分野でも連合国のリーダーたるアメリカ主導で行われてきました。中国が設立をめざすAIIB(アジア・インフラ投資銀行)は、軍事のみならず経済覇権をも狙う中国の挑戦と考えられるのですが、まず初めに、戦後のアメリカ主導の経済システムのお話からうかがいたいと思います。

山下 1944年にアメリカのブレトン・ウッズで45カ国が参加して連合国通貨金融会議が開かれ、そこでIMF(国際通貨基金)とIBRD(国際復興開発銀行、世銀)の設立が決議されました。その後の経済体制が、いわゆるブレトン・ウッズ体制です。

 固定為替相場制度を核として、IMFが通貨価値と為替相場の安定を守るというブレトン・ウッズ体制は非常に安定したシステムで、戦後のおよそ25年間は経済成長率が最も高く、インフレ率は低い、間違いなく資本主義の黄金時代でした。資本主義は、1602年設立のオランダの東インド会社以来始まったという見方が有力だと思いますが、今日に至るまで、後にも先にも、世界経済がブレトン・ウッズ期を超える経済パフォーマンスを示した時期はありませんでした。ところが、資本主義の黄金時代は、1971年8月15日のニクソン・ショックで残念ながら約四半世紀で終焉を迎えてしまった。

 IMFや世銀を、ブレトン・ウッズ機関と呼びます。これは構わないのですが、ブレトン・ウッズ体制というのは、ニクソン・ショックを契機に崩壊しました。したがって、今の国際金融体制をブレトン・ウッズ体制と呼ぶのは間違いです。AIIBに関する議論がいま盛んですが、非常に多くの論者がこの点を間違えています。

 ブレトン・ウッズ体制が崩壊した要因は、ひとえにアメリカが国際収支の赤字を出し続けたからです。国際収支が赤字の国は、一国の責任でデフレ政策を採用し、景気を抑えて赤字を減らす、つまり赤字国責任論がブレトン・ウッズ体制の要でありゲームのルールだった。にもかかわらず、アメリカがそれを守らなかったために崩壊してしまったのです。

ニクソン大統領がドルと金の兌換一時停止を宣言したことによって
ニクソン・ショック(ドル・ショック)が起こり、結果として変動相場制に移行した
 ブレトン・ウッズ体制というのは一種の金本位制でした。金とドルがリンクしていて、金1トロイ・オンス(約31グラム)=35ドルという固定平価をアメリカが保証し、アメリカが外国に負っている債務は、金でもドルでもどちらでも好きなほうで返済する。その際の金とドルとの交換比率は、常に1トロイ・オンス=35ドルであると約束していた。だからドルが信用されたのです。

 ところが、アメリカの国際収支の赤字がどんどん膨らんでいく。いずれアメリカはその固定平価(金平価)を守れなくなるにちがいない、つまりドルを切り下げようとするだろう、各国がそう思い始めました。そこで、まずフランス、さらに最後にはイギリスまでもが、ドルではなく金で返せと言い出して、しかたなくアメリカは金で支払い、その結果、アメリカからヨーロッパに向けて金塊がどんどん流出してしまった。

 これは大変だというので、当時のニクソン大統領がドルと金の兌換一時停止を宣言した。いわゆる「ニクソン・ショック」です。金に結びついた縄が首に巻きついて苦しいから、縄を切ってしまえばよいだろうという単純な発想で、金とドルのリンクをはずしただけだから、このときは固定相場制から変動相場制に移行するとは誰も思っていなかった。しかし、この金とドルとの兌換の約束がブレトン・ウッズ体制のまさに要でした。そのせいでドルがすっかり信用を失い、結果として変動相場制になってしまった。いわば、資本主義の黄金時代が、アメリカ一国の身勝手な行動のために終わってしまったのです。

 ところで、固定相場制なら必ず赤字国責任論になる。赤字を続けると、限りある外貨準備がどんどん減っていきますから、大きな赤字を続けてはいけないという国際収支への節度がかかる。それが固定相場制のいいところです。いまはそういう規律がなくなってしまい、IMFは通貨安定という本来の仕事がなくなってしまったので、しかたなく対外債務危機に陥った国に緊急融資をする仕事に従事するようになった。

馬渕 1997年のタイのバーツ下落に始まったアジア通貨危機のとき、大きな打撃を受けたタイ・韓国・インドネシアはIMFの管理下に入りましたが、私がタイで見ていた限りでは、IMFの処方箋、つまり融資条件とは何だったかというと、一言で言えば緊縮財政なんです。もうブレトン・ウッズ体制が崩壊しているのに、IMFは昔の赤字国責任論でとにかく緊縮財政の一点張りだったんですよ。だからタイでは建設途中のビルが全部ストップしたりして、一挙に不況になった。インドネシアもIMFの条件を受け入れて生活必需品の価格を上げたものだから、暴動が起こって当時のスハルト大統領が追い出されてしまった。

AIIBの背景


山下 変動相場制が諸悪の根源であるというのは、私の持論です。ところで、実は中国はずっと以前からインフラ投資銀行のことは言ってきているのです。非公式にはもっと前からですが、2007年にアフリカ投資ファンドを設立しているし、2008年には、「ASEAN+3」13カ国のアジア地域統合に関する枠組として2003年に発足したNEAT(東アジア・シンクタンク・ネットワーク)会議で、アジア・インフラ投資ファンドの設立を提案しています。NEATの日本側窓口が東アジア共同体評議会(CEAC)で、私も以前はそのメンバー(有識者議員)でした。私は、個人的にはその頃は、日本と中国は一緒に何かやったほうがいいと言っていたんですが、日本政府は常に中国の提案を潰そうとしてきました。

 そして、2013年9月に習近平がカザフスタンのナザルバーエフ大学で「シルクロード経済体」(一帯)構想を語り、その翌月にバリ島のAPEC首脳会議で「二十一世紀海上シルクロード」(一路)構想とAIIB構想を打ち出した。「一帯一路」政策といわれるものを、不退転の決意で実現しようと提案しました。

 昨年7月には、BRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)5カ国で、NDB(新開発銀行。旧称BRICS銀行)と1千億ドルのCRA(外貨準備資金)の設立で合意しています。まだ実際に設立されてはいませんが、NDBは世界銀行と競合し、国際収支危機に陥った場合に融通するCRAはIMFと競合する。NDBは5カ国がそれぞれ100億ドルずつ出し、CRAは1千億ドルのうち41%を中国が拠出するということになっています。NDBは、インドが発案したもので、総裁はインド人、本部は上海ということで合意しています。

習近平
 習近平が「一帯一路」構想を正式に打ち出したのは去年の11月。それとは別に12月に400億ドル規模の「シルクロード基金」を立ち上げました。これは中国人民銀行の所管で、一方、AIIBのほうは中国財務部の所管になっています。

 中国国内の体制は、AIIBを「一帯一路」戦略小組が担当することになっていて、そのトップである組長が中国共産党のチャイナ・セブン(政治局常務委員)の一人、張高麗。副組長が政治局員の王滬寧と汪洋です。ここが事実上のエグゼクティブ・ボードとしてAIIBを牛耳ろうとしている。それがまず問題です。

 要するに常任理事会を設けず、各国から選ばれた理事たちは本部ではなくそれぞれの国に留め置いて、実質的な決定権は張高麗が握っている。ということは、その背後にいる習近平がすべてを決める銀行だということになります。これはいくらなんでもまずいでしょう。

 AIIBの背景は、中国国内の過剰生産設備の捌け口という意味が大きい。そういう意味では、これは良くも悪くも「中国版マーシャルプラン」と言えます。ご承知のように、第二次大戦後、アメリカの過剰生産設備の捌け口を求めて、1948年から51年の3年半ぐらいのあいだにヨーロッパ各国に102億ドルから136億ドル、現在の価値にして1千億から1300億ドルの援助を行った。その9割が無償援助だったことは評価できますが、戦後、競争相手がいなくなり、アメリカ製品をヨーロッパにどんどん供給できるようになって、アメリカはこれでようやく1930年代の大恐慌から完全に立ち直ったと言われています。

 中国も、大変な過剰生産設備を持っているわけで、国際収支の経常収支が赤字になる気配もある。そうなると先進国入り前に成長が停滞する「中所得国の罠」にはまりやすくなるので、それを回避するためにも輸出を増やさなければいけない。それにはインフラ投資だという国内事情がある。