政治のメディアに対する圧力が問題となっている。特に最近の自民党議員の暴言というか失言は目に余る。各メディアがこぞって非難するのもむべなるかな、だ。

 しかし、こうした政治家のメディアに対する態度は何も今に始まったことではない。権力はいつもメディアを自由に操りたい、という欲望から逃れられないのだ。自分たちの都合のいいことだけ流し、都合の悪いことは流さないメディアが彼らにとって一番だ。当然だろう。しかし大抵、メディアは彼らの都合のいいように流してはくれない。だから政治家にはフラストレーションがたまる。これはある意味必然である。そもそも権力とはそういうものなのだ。

 特に新聞はコントロールが聞かない。法律で縛れないからだ。しかし、テレビは違う。放送法というものがある。政治的に公平、公正に報道しなければならない、と定めているこの法律は、えてして政治家が介入する口実になる。
衆院本会議に出席後、報道陣の質問に答える大西英男氏
=30日午後、国会内(斎藤良雄撮影)

 政治討論番組では老舗のフジテレビ「新報道2001」はほぼ毎回政治家をゲストに呼ぶが、キャスティングにはものすごく気を遣う。誰と一緒だったら出ない、とか、自分1人だけなら出るなどと我儘を言う政治家もいれば、番組での質問が気に食わないと放送終了後、怒鳴り散らす政治家もいる。

 こんなことがあった。元総務庁長官のベテラン参議院議員(当時自民党)と外資系コンサルタント会社の社長が同席した時だ。放送が終わり控室にゲスト一同が戻って来た時のこと。番組内ではそのコンサルタントが新自由主義にのっとって自由貿易論を展開していたのだが、当の議員はそれがよほど不満だったのか、控室でもそのコンサルタントと議論し始めた。だんだんヒートアップした議員は何を勘違いしたか突然「免許を取り上げるぞ!」とそのコンサルタント氏を恫喝したのだ。隣にいた私も耳を疑ったがそのコンサルタントの人は鼻白んで「私はフジテレビの人間ではありません」とその議員に言った。その議員は驚いた様子だったがその場がシーンと静まり返る中、すかさず私が「フジテレビの人間は私ですから」とやったものだからそれ以上は険悪にならなかった。

 このことからわかるように、政治家はいつでも自分はメディアをコントロール出来ると思っている。番組終了後、機嫌を損ねてへそを曲げた政治家のところに番組プロデューサーや報道局幹部がご機嫌を取りに足を運ぶこともある。

 ことほど左様に政治家のそうした“驕り”はいたるところで顔を出す。何も今回の2年生議員に限ったことではない。政治家になった途端、権力の座についたのだからメディアをコントロールできるとの錯覚に陥るのだ。しかし、現実はコントロールなど出来るわけがない。報道の自由はしっかり担保されているのが日本である。ネット上では報道萎縮などと騒がれてるが、巷の報道は政権批判で溢れているではないか。

 とはいえ、いくら政治家の口先介入や圧力に慣れているといっても、テレビは政治の介入を招くような放送をしてはならない。テレビ朝日の「報道ステーション」のコメンテーター古賀茂明氏の降板問題などはそのいい例だ。反安倍政権の急先鋒である古賀氏に政権批判をさせ、挙句の果てに降板に至る裏話を一方的に番組で暴露された。こうしたことが続けば、政治家を勢いづかせ、テレビをなんとかしろ!などという声が次第に大きくなってくるのだ。

 政権の政策を正当に批判し、その理由を明確にして放送する。それが健全なテレビ報道だろう。放送法は「政治的に公平であること」を求めていると同時に、「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」も求めているのだ。視聴者に考えてもらうために様々な見方、意見、分析などを届けるのが使命と言ってもいいだろう。しかし、情報番組化したニュースを垂れ流すだけで、テレビはその使命を果たそうとしていないとみるのは筆者だけだろうか。

 大阪都構想の住民投票の時も、都構想の狙いをどれだけの市民が理解していただろうか。最後は市を解体し5つの特別区に分割した時の経済効果のあるなしだけに矮小化されてしまったのではなかったか。二重行政による無駄や市民サービスの低下について改革することが本来の都構想の狙いだったはずだがそこは市民に浸透しなかった。結局、都構想はついえ、改革は先送りとなった。これは大阪市民にとっては不幸なことだろう。テレビの責任は重い。

 一方、今国会は安保法制の議論の真っただ中だ。野党は戦争法案だ、日本は米国の戦争に巻き込まれる、と声高に叫ぶが、テレビは法案の中身を丁寧にわかりやすく視聴者に説明しているといえるのか。この法改正は、国の安全保障の根幹にかかわる最重要課題である。しかし、市井の人々の多くは中身がわからない、とぼやく人が多い。それを勉強不足と切り捨てるのは簡単だが、メディア、特にテレビが丁寧に解説し、視聴者に判断する材料を提供すべきだろう。

 政治の圧力を論じる前に、現政権が進めようとしている政策について厳しく評価し、批判すべきは批判し、対案を出すときは対案を出す。毅然としたテレビ報道こそが、今、求められている。政治との緊張関係が崩れている時、“圧力”は顔を出すのだ。