平川祐弘(比較文化史家、東京大学名誉教授)

 「教養主義者は嫌いだ!」

 三島由紀夫が言い放った。1968年『批評』誌関係者の席でのことだ。その日は日沼倫太郎が三島の連載『太陽と鉄』を論じ「三島さん、あなたは死ぬべきだ」と思いつめたように叫ぶ。江藤淳主宰の『季刊芸術』の方が売れ行きがいい。そんな話も出ると三島は「江藤は才子だ」と言う。「それなら次号の『批評』は三島さんの責任編集で」と商売上手が提案すると三島が承知し散会した。

大アジア主義にも冷静な目


 小さくなっていた私は、自分が東大教養学部教養学科出身の教養学士だから、それで罵(ののし)られたかと錯覚した。だが、そんな私の履歴など三島が気にするはずがない。さては『批評』誌上で私が河合栄治郎(1891~1944年)を讃(たた)えたのが三島の癇(かん)にさわったのかと後になって気がついた。河合は「教養主義者」だからである。

 だが戦前、自由主義のために戦った河合の「五・一五事件の批判」「二・二六事件の批判」は堂々たる論で、河合は東大教授の職を賭し、生命の危険をも顧みず軍部を批判した。しかし自決2年前の三島は『憂国』や『英霊の声』で二・二六事件で蹶起(けっき)した青年将校を描き、その心情に乗り移ろうとしていた。そんな三島は「教養主義者は嫌いだ」ったのだろう。

 だが私は河合を尊敬する。白人の圧迫からアジア民族を解放しようという青年将校の間に強かった大アジア主義にふれて、『批評』にこんな河合の冷静な言葉を私は引いた。
1月5日、記者会見する朝日新聞社の渡辺雅隆社長=東京都中央区(大西正純撮影)

 「アジア諸国は独立を回復することを熱望することは確かである。然(しか)し日本の力を借りることには賛成しまい。何故(なぜ)なれば英米の宣伝により日本を誤解している点もあろうが、日本の過去の外交史が彼等(かれら)に疑惑を抱かしめるからである。英米を排して日本を代わりに引き込むならば、彼等は寧(むし)ろ英米の方を選ぶだろう。何故なれば日本の内部に於(おい)て同胞に対してさえ充分(じゅうぶん)の自由を与えていないのに、その日本から外国は充分なる自由を与えられることを期待しえないからであり、又(また)英米にはたとえ不徹底なりとも自由主義的思想が浸潤している。異民族を統御するに就いて彼等は日本人よりも妙諦を解しているからである。アジアの諸国に於ける日本の信用をば、吾々は決して過超評価してはならない」

真の自由主義者の系譜


 河合は昭和初年、プロレタリア独裁を肯定する左翼共産主義が盛んとなるやそれを批判した。が満州事変以後、青年将校が暴発し右翼国家主義が台頭するや今度は軍部専横を批判した。真の自由主義者は今でもそうだが、左右両面の敵と戦わねばならない。河合研究会で丸山真男が河合の衣鉢を継ぐ学者だと武田清子が言うから私は真っ向から反論した。右翼には手厳しいが左翼には甘い男が河合の思想的系譜に連なるはずはない。

 河合は首相暗殺をはじめとする軍人の直接行動を敢然と否定した。なぜならそれは「国民と外国との軍に対する信用を傷つけ…軍人が政治を左右する結果は、国民の中には、戦争が果して必至の運命によるか、或(あるい)は一部軍人の何らかの為(ため)にする結果かと云(い)う疑惑を生ずるであろう」。しかし当時のマスコミは犬養首相を殺害した「純粋な」青年将校を「昭和維新の志士」と称揚した。暗殺者は死刑にもならず、日本は滅びた。

思想の自由守り続けた粕谷


 大学を追われた河合は自己の思想信条を懸け裁判に臨んだ。弁明は学術論文のごとく見事である。一旦は無罪となるが結局は敗訴する。だが日本は一党専制のナチス・ドイツや共産国とは違う。河合は罰金刑で戦争中も河合の学生叢書(そうしょ)は広く読まれた。私の姉は『学生と生活』を昭和14年に、兄は『学生と教養』を19年に古本で求めている。その年に河合は満53で早世した。生きていれば敗戦後は首相に推されただろう。私は戦後『学生に与う』を読み、溌剌(はつらつ)とした精気と明るさに驚いた。とても苦境に立たされた人の文章とは思えない。私は河合が説く「友情」や「自我」の言葉に酔いしれた。

 1960年、マスコミは一斉に「安保反対」を叫び、国会包囲のデモ参加者を「純粋な」学生と称揚した。そんな時、まだ30代の粕谷一希(1930~2014年)は事態を冷静に見ていた。粕谷は『中央公論』の編集長に抜擢(ばってき)されるや周囲の突き上げにもかかわらず思想の自由を守り続ける。その勇気に私は感心した。後年、粕谷が評伝『河合栄治郎』(1983年)を書くに及んで合点した。粕谷も若くして河合を読み、闘う自由主義者の系譜に連なったのである。この夏死去したが編集者として後世に名をとどめるだろう。

 では朝日の慰安婦検証記事の関係者はどうか。「朝日撤稿」は中国紙でも先日大きく報ぜられた。それなのに、若宮啓文氏は「朝日の報道によって国際世論に火が付いたという批判はおかしい」(文芸春秋10月号)とまだ言い張っている。こんな朝日の前主筆も後世に名をとどめるだろう。ただしその悪名によって。