京都・東山の霊山護国神社。幕末の志士、明治維新の元勲らの墓碑や先の大戦の慰霊碑が数多く並ぶ。そこにラダ・ビノード・パール博士の顕彰碑がある。

 パール博士は、東京裁判(極東国際軍事裁判・昭和21~23年)で、戦犯として訴追された25被告に対して「全員無罪」を判事11人のうち唯一主張したインド代表判事として知られる。初秋の清明な空気が流れる今月20日、碑の建立17周年式典が行われた。

ラダ・ビノード・パール博士
 式典には、建立に尽力した近畿偕行会員、インドのアシーム・マハジャン駐大阪・神戸総領事、陸上自衛隊幹部ら約70人が参列した。東京裁判で死刑判決を受けた7被告の一人、木村兵太郎陸軍大将の長男、太郎氏(83)の姿もあった。碑はインド独立50周年記念で建立され、名だたる多くの協賛企業の社名が刻まれている。

 博士はよく訪れた京都をこよなく愛したという。先月末から来日したインドのモディ首相は京都にまず入った。出迎えた安倍晋三首相とこの顕彰碑をもし訪れたとしたら、両国の絆を内外に示す絶好の機会となっただろう。東京・迎賓館でのスピーチで、モディ首相が「パール判事が東京裁判で果たした役割は忘れていない」とたたえた。留飲が下がる思いだった。

 歴史家、田中正明氏の名著に『パール判事の日本無罪論』がある。法の支配と史実からの「無罪」の判示が明晰(めいせき)につづられる。

 博士が判決後に案じ続けたのは、日本の断罪が判示されたいわゆる「東京裁判史観」が、影を投げ続けていくことだった。

 博士は昭和27年10月の2度目の来日時に、羽田空港での記者会見で前年に調印されたサンフランシスコ平和条約と日本の独立について質問され、次のように答えた。

 「日本は独立したといっているが、これは独立でも何でもない。しいて独立という言葉を使いたければ、半独立といったらいい。いまだにアメリカから与えられた憲法の許(もと)で、日米安保条約に依存し、東京裁判史観というゆがめられた自虐史観や、アメリカナイズされたものの見方や考え方が少しも直っていない。日本人よ、日本に帰れ、とわたくしはいいたい」(『パール博士のことば』田中正明著から抜粋)

 博士は判決内容が国際的には法学者らの間で問題視されていたことを示し、来日時の大阪弁護士会での講演では次のように述べた。

 「肝心の日本ではいっこうに問題視されないのはどうしたことか。これは敗戦の副産物ではないかと思う。すなわち一つに戦争の破壊があまりに悲惨で、打撃が大きかったために、生活そのものに追われて思考の余地を失ったこと、二つにはアメリカの巧妙なる占領政策と、戦時宣伝、心理作戦に災いされて、過去の一切があやまりであったという罪悪感に陥り、バックボーンを抜かれて無気力になってしまったことである」(『パール判事の日本無罪論』から抜粋)

 「過去の一切があやまりという罪悪感」との至言は、戦後の日本の言論空間に靄(もや)のようにかかり続けるいわゆる「自虐的論調」にもつながる指摘だ。日本と中韓との間に漂い続ける歴史の澱(よど)み。集団的自衛権など国の守りに対する基本姿勢。ひいては「国家観なき国家」…。博士の言葉の数々を今こそかみしめる時ではなかろうか。(近藤豊和)