維新が国会に安保法制の対案を提出しました。政府提出の安保法制が、重要法案の審議時間の目安とされる80時間を越え、与党からは採決に向け機が熟してきているという発言が出始めていた中でのことです。本日は、維新の対案の意義と、安保論議の政治性について考えたいと思います。

 今回の安保法制は、戦後日本の安全保障論議の伝統にのっとり、極めて政治的な展開を見せています。本来であれば、安全保障をめぐる外的環境の変化があり、その対処に向けた必要十分な法的手当てを論議するというものですから、比較的技術的な論争が展開されるはずです。ところが、実際には憲法秩序をめぐる問題、ひいては国家のアイデンティティーをめぐる問題へと変質しています。

 与野党とともに、安全保障の実務的な要請に対応することよりも、国民からどのように見えるかという、象徴性をめぐるパーセプション・ゲームを展開しているのです。

哲学としての対話路線とナショナリズム


 維新が今回の対案提出を通じて達成したかったことは、一種の哲学として対案路線の明確化ということでしょう。ただ反対する野党ということでなく、反対なら対案を出すということ自体に意味があると。実際、対案を出す過程で党の考え方が明確になります。政府与党との違いも具体化し、論点が整理される効果もあるでしょう。
衆院に提出した安保法案の対案を説明するため、自民党の高村正彦副総裁(中央)や公明党の北側一雄副代表(右)らと協議する、維新の党の柿沢未途幹事長(左)=7月9日午後、国会内(斎藤良雄撮影)
 議会制民主主義とは、国民の代表が討議を通じて論点を明確にし、妥協点を探っていくプロセスそのものですから、とても建設的なことです。野党共闘の名の下に、当初は対案提出に消極的であった執行部に対して橋下最高顧問が対案路線をねじ込んだことは国会の活性化という観点からも評価できます。

 対案提出の重要な副次的効果として、国民の間のナショナリズム感情を自民党の専売特許としないということもあります。ナショナリズムは政治的な感情として強固なものがあり、政党の求心力を左右します。特に、安全保障関連の法案というのはナショナリズムを刺激しやすい領域です。安全保障に対して責任感を持ち、中国や北朝鮮に対しても毅然とした姿勢をとるという立場そのものは国民の間で広く支持を集める考え方となりました。

 安保法制への対応をめぐって安倍政権の支持率は低下していますが、これは、国会対応における強引な印象や、巨大与党としての驕りへの懸念に対応するものであって、自民党のナショナリズムの受け手としての優位性は揺らいでいないとみるべきでしょう。

 今後維新が党勢を拡大するためには、ナショナリズムの受け手としての立場を獲得が重用になってきます。かつてであれば、平和国家としてのアイデンティティーという反米色の強いナショナリズムで対抗することもできたのですが、この立場は色褪せてしまいました。民主党の中にはその立場をとる残党がいるようですが、それでは、安保政策の具体的な政策論議に入る以前に、ナショナリズムの立脚点という次元で分裂してしまうのは当然です。

 つまり、維新にとっては、これまでの野党とは異なり建設的な対話が可能で、ナショナリズムにも親和的な存在、という見方を国民向けに創出することが重要だったのです。

言葉遊びと抑制性?


 では、維新が対案提出を通じて具体的に提起しようとする論点は何なのでしょう。維新の対案では、「存立危機事態」に基づく集団的自衛権を認めず、日本周辺での日本防衛にあたる外国軍への攻撃は、日本への攻撃とみなして自衛権を行使するというたて付けとなっています。

 維新案は、一見すると外国軍への攻撃を日本への攻撃とみなすわけですから、非常にオーソドックスな集団的自衛権の行使というようにも見えます。ただし、その行使は、「我が国に対する外部からの武力攻撃が発生する明白な危険があると認められるに至った事態」に限定されており、あくまで個別的自衛権の延長と位置づけているようです。

 国際的には、同盟国が共同で行う防衛行動が、集団的自衛権の行使に該当するのか、個別的自衛権の行使に該当するのかについては、誰も気にしませんから特に問題とはならないでしょう。もちろん、国内の憲法解釈上は、個別的自衛権の拡大解釈なのか、集団的自衛権の行使容認なのかについて整理は必要ですが。

 個人的には、「我が国に対する(中略)武力攻撃が発生する明白な危険」がある場合と、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明確な危険」がある場合との間に、大きな差分があるとは思えません。この辺りは、多分に言葉遊びの世界であり、象徴性をめぐる争いなのだろうと思います。結局は、政府が具体的な状況に即して解釈することになるのでしょうから。

 他方で、維新案には明確な抑制性もあります。一つは、対象地域を「我が国周辺」に限定していること。いま一つは、自衛権を行使する対象を「我が国の防衛のために活動している外国の軍隊」に限定していることです。これによって、いわゆる「地球の裏側」論を排除し、政府答弁の中で繰り返し言及されてきたホルムズ海峡のような事案を排除できるということでしょう。この点については、政府答弁が稚拙な印象を与えたところもあり、国民の間で支持する向きも強いのではないでしょうか。

 気になるのは、維新の案の基層に、個別的自衛権を拡大解釈する方が、集団的自衛権を行使するよりも抑制的であるという発想があることです。これは、国会審議の中でも見られた傾向でした。有事に際して、個別的自衛権を拡大解釈する発想が本当に抑制的な政策につながるのか、この辺りには安保論議をめぐるパーセプション・ゲームの罪の部分が現れていると思います。