高橋秀樹(放送作家、日本放送作家協会常務理事)

 「あれ? それTBSラジオだよね運転手さん?」

 そうタクシーの運転手さんに声をかけたのは、愛媛県の新居浜にある別子銅山に行く途中のことであった。

 「そう、愛媛のラジオ局よりずっと面白い。ラジコが出来てからこればっかり聞いてるよ」

 60がらみの運転手さんは、うれしそうに答えた。「ラジコ」とはもちろんradikoのこと。ネットを通じて全国のラジオが聴けるサービスである。

 タクシーのダッシュボードにあるカップホルダーにはスマホが挟まっており、そこから安住アナの声が聞こえてくる。旧メディアはであるラジオは、新メディアであるネットを利用して復活した。特にTBSラジオはターゲットを商店主や自営業者、農家など在宅する高齢者に絞ったことで、もう13年もトップを走っている。

 小説家の小林信彦さん(83)は、「テレビはいろんな意味でうるさくて、ラジオしか聞かない」と、常々おっしゃっている。ラジオのことが褒めたいと思って、本稿を書き始めたわけではない。

 「旧メディアが新メディアを敵だと思うのは見当違いだ」

 と言うことが言いたいのである。

 ずいぶん古い昔、テレビが始まった頃。寄席のテレビ中継をやろうとしたら、「テレビで、タダで噺を見せちまったら、寄席におタロ(お金)払って聞きに来るキンチャン(客)がいなくなるじゃねえか」と主張した噺家や席亭が居た。彼らにすれば、テレビは寄席の敵だった。新メディアであるテレビを利用することを考えなかった。それで、落語は長い低迷期にはいった。

 「笑点」は続いていたけれど、あれは、落語の一側面でしかないし、そんなに面白いものでもない。最近落語が一過性のブーム((C)春風亭小朝)になって、しばらくの間一過性のブームが続くようになっているが、それは落語家が落語であることの本質を演るようになったからだ。

 テレビではダメになったスポーツエンターテインメントもある。あれほど人気があった力道山やジャイアント馬場のプロレス、F1レース。プロ野球は、ジャイアンツがカネを頼んで選手を集めるようになって愛想を尽かされた。サッカーは「ガンバレ日本」でないと視聴率を取れなくなった。

 これは、テレビでやったから飽きられたのではない。本質を忘れているからだ。

 大相撲はお年寄りが多く観ているから、視聴率はよいが、白鵬ばかり勝っているのは相撲の本質ではない。白鵬には、大鵬の柏戸に当たる人がいない。

 とまあ、本質さえ忘れなければ新メディアは、旧メディアの敵ではない。

 テレビ対日本映画という新旧メディア対決もあった。あっさりとテレビが勝った。でも、日本映画は、長い低迷期を抜けたように思える。テレビでは出来ないことをやろう。テレビ局に入るのではなく、貧乏でもいいから映画をずっとやっていこうという監督が増えたからではないか。

 逆に、今は、テレビが映画監督に頼っていることもよくある。

 テレビとネットの関係を考える。ネットはテレビの敵だという人がいた。今もいる。それは間違いである。テレビ自体の視聴率が落ちたのは他メディア時代が到来したからだが、そのせいばかりにするテレビマンは考え違いをしている。

 テレビがネットのまねをしているからイケないのだ。動画を集めてみせるコーナーは、ネットに任せておけばいいし、ひな壇に芸人を並べてずっとしゃべっている番組もネット動画の得意技だ。

 テレビしか出来ないことは何だろう。それは「創る」ことだ。「稽古」することだ、これ以上は企業秘密だから言わない。

 テレビゲームがいくら流行っても、レゴで遊ぶ人はいる。スマホがいくら全盛でも、ガラケーに戻す人はいる。手帳を使い続ける人はいる。電子書籍が場所を取らないと言っても、紙の本を棚に並べたい人はいる。紙の本が、本としての本質さえ失わなければ。
メディアゴンより転載)