木村汎(北海道大学名誉教授)

 ロシアのプーチン大統領は、狼(おおかみ)少年なのか。核兵器の増強や実際の使用可能性をちらつかせて、米欧諸国を牽制(けんせい)しようとする発言が目立つ。

 例えば今年3月15日、同大統領は語った。ロシアがウクライナ南部クリミアを併合したとき、ロシアは米欧の反対に備え自らの核戦力を臨戦態勢におく準備をしていた、と。まるで「鶏を割くに牛刀を用いる」に似た過剰防衛策である。単なる脅しにすぎないにせよ、米欧は呆気(あっけ)にとられた。

 6月16日、大統領は再び衝撃的な発言を行った。ロシアは、今年中に新たに40基以上の大陸間弾道ミサイル(ICBM)を配備する、と。大統領は、なぜこのように核をめぐる過激発言を繰り返すようになったのか。対外用、対内用、さらには自身のサバイバルを図ることが狙いのようである。

頼りうるのは軍事力だけ


 まず、対外的な誇示もしくは威嚇が、その目的だろう。現ロシアは、沈みゆく大国といってよい。人口、経済、ソフトパワーなど殆(ほとん)どの点で徐々に、だが確実に衰退してゆく存在である。唯一の強みだったエネルギー資源もシェール・ガスの開発、原油価格の下落傾向などによって、ロシアの大国復活を期待薄にする。結果として頼りうるのは軍事力だけになる。

 ロシアの国防支出は2014年に、絶対額で米国、中国に次いで世界第3位。ロシアの国内総生産(GDP)は世界第8位以下だから、己の経済力を超える軍備増強を行っていることは明らかだ。実際、GDPに占める割合は4・5%で、米国(3・5%)、中国(2・1%)を上回っている。

 兵器別でいうと通常兵器の分野で、ロシアは米国に到底敵(かな)わない。08年夏のロシア-ジョージア(グルジア)の「5日間戦争」は、ロシア第58師団の装備がジョージア軍のそれを上回る一方、ジョージア軍が米欧から提供されている装備に比べると、著しく劣っている事実を白日の下にさらした。ロシアのウクライナ東部への事実上の軍事介入も、ほぼ同様のことを暴露している。ロシアは、中国、インド、東南アジア諸国へ通常兵器を輸出する一方、フランスからはミストラル級強襲揚陸艦を輸入することに懸命になっていた。

サバイバル確保のための言動


 要するにロシアは、己が米国とほぼ対等なのが核兵器だけなので、同分野での優位を死守し、誇示することに躍起となるのだ。

 プーチン発言は、ロシア国内向けのデモンストレーションでもある。クレムリンに復帰して以来、プーチン氏の内外政策の要となっているのは、米欧諸国がロシアのレジーム・チェンジ(体制変革)をたくらんでいるとみなすこと。そして、そのような外敵と闘うベストの手段として、ロシア国民の愛国心に訴える手法を選んでいる。

 プーチン政権は、原油価格の低落傾向などによって、もはやロシア国民に対し2000年代はじめのような右肩上がりの物質的生活水準の上昇を保障しえなくなった。このことからも、同政権は己の統治の正統化根拠を、ロシア独自の伝統や文化といった精神的価値の尊重・維持へと転換した。

 加えて、14年初めにはウクライナで「マイダン(広場)革命」が勃発し、一瞬のうちにヤヌコビッチ大統領が失脚へ追い込まれた。これは、明らかに米欧諸国の「使嗾(しそう)」によって起こった出来事。もしロシアが引き締め政策に転じなければ、何時(いつ)なんどき自らも同一の運命に見舞われないともかぎらない。プーチン氏はこう考えて、己のサバイバルを確保するためになりふり構わぬ言動を示すようになったのだ。

事実認識間違えている宥和論者


 プーチン政権によるクリミア併合、そしてウクライナ東部への介入は、ロシア国民のナショナリズムを高揚させ、プーチン個人の支持率を向上させることに役立つ。ひいては、18年の大統領4選を確実にすることにも貢献する。だが、核戦力の増強、ましてやその使用可能性をちらつかせるのは、国際政治上の禁じ手のはずである。

 それにもかかわらず、プーチン氏はこのような「ウルチマ・ラティオ(最後の手段)」に訴えはじめた。それほどまでも追いつめられたロシア大統領は、次は一体何を仕出かすか、分かったものではない-。ひょっとすると、こう早とちりする者すら現れるかもしれない。そうなればまさにプーチン氏の思う壺(つぼ)だろう。それは、北朝鮮の歴代指導者たちが得意とするマッドマン(狂人)イメージの伝播(でんぱ)戦術に他ならないからである。

 「手負いのクマ」を追い詰めると実に危険なので、プーチン氏のためにそろそろ何らかの脱出口を用意すべき段階に差しかかっている。このように説く宥和(ゆうわ)論者は、しかしながら、事実認識そのものを間違えている。

 ウクライナ危機、ルーブル安、経済制裁など現ロシアを見舞っている諸困難は、プーチン氏の不適切な政策が招いた結果に他ならないからだ。つまり大統領自身が決断しさえすれば、明日にでも一挙に解決へ向かう事柄なのである。