沖縄戦の集団自決をめぐる教科書検定をきっかけに、異論を認めない沖縄における画一的な報道のあり方が注目されている。主催者が参加者数11万人と発表した教科書検定を批判する県民大会をめぐっては、沖縄県警が「約4万人」としており、ある警備会社の独自調査では2万人以下という見解もある。しかし、県内で九十数%という圧倒的なシェアを持つ琉球新報、沖縄タイムスの地元2紙が、それを報じることはない。その背景に、激しい地上戦が繰り広げられ、多数の犠牲者を出した沖縄の歴史的事情があるとしても、地元紙の報道姿勢に疑問を投げかける人も少なくない。

黙殺された当事者証言


 「沖縄タイムスの記者が私に取材を申し込んだり、話を聞きに来たりしたことは全然なかった。きっと、知らんぷりしている方が都合よかったということだろう」

 こう話すのは、沖縄タイムス社編『鉄の暴風』に実名で登場する知念朝睦氏(85)。知念氏は、渡嘉敷島守備隊長として島民に自決命令を出したと同書に記述された赤松嘉次氏(故人)の副官代理を務め、赤松氏とずっと行動をともにしていた人物だ。

 『鉄の暴風』は、赤松隊長の自決命令を聞いた知念氏の様子を次のように描写している。

 《これを聞いた副官の知念少尉(沖縄出身)は悲憤のあまり、慟哭(どうこく)し、軍籍にある身を痛嘆した》

 だが、知念氏は実際には「そんな隊長命令はなかった。渡嘉敷島の人からも、戦友からも聞いたことがない」と証言し、軍命令の存在を明確に否定している。

 また、『鉄の暴風』によると、知念氏は自決命令を地下壕内で開かれた将校会議で聞いたことになっているが、「当時、渡嘉敷には将校会議が開けるような広い壕はそもそもなかった」と語る。

 この証言によれば、沖縄タイムスは現場を知る生き証人である知念氏を一度も取材しないまま、知念氏が軍命令を聞いたと決めつけ、その心中まで推し量って本を書いたことになる。

 「沖縄の新聞やテレビは、私のような体験談や意見は全く流さない」と、知念氏は指摘する。

 取材を受けないまま、地元メディアに一方的な記事を書かれた点では、戦後の琉球政府で旧軍人軍属資格審査員として軍人・軍属や遺族の援護業務に携わった照屋昇雄氏(83)も同様だ。

 照屋氏は2006年8月、産経新聞の取材に対し、「遺族たちに戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用するため、軍による命令ということにし、自分たちで書類をつくった」と証言し、当事者として軍命令説を否定した。

 それに対し、沖縄タイムスは2007年5月26日付朝刊で、慶良間諸島の集団自決をめぐり、当時の隊長らが作家の大江健三郎氏らに損害賠償などを求めている裁判での被告側主張を引用。「『捏造(ねつぞう)』証言の元援護課職員 国の方針決定時 担当外 人事記録で指摘」などと、4段見出しで大きく報じた。証言を否定する趣旨の記事で、名指しこそしていないが、すぐに照屋氏だと分かる書き方だ。

 しかし、照屋氏は当時の琉球政府辞令、関係書類などをきちんと保管している。被告側が提示した記録について、照屋氏は「人名の上にあるべき職名が伏せられていたり、全員、庶務係となっていたり不自然だ」と指摘するが、こうした反論は地元メディアには取り上げられない。

 照屋氏は渡嘉敷島に1週間滞在して住民の聞き取り調査を実施しており、「隊長命令があったと言った人は1人もいない。これは断言する」と述べている。「捏造」と決めつけた沖縄タイムスから謝罪や訂正の申し入れは一切ないという。

「集団自決を削除」と誤解


 「この記述をなくそうとしている人たちは、沖縄戦を経験したおじい、おばあがウソをついていると言いたいのか」

 「次の世代の子供たちに真実を伝えたい」

教科書検定意見撤回を求める県民大会。沖縄地元2紙は
主催者発表の参加者数「11万人」を繰り返し掲載した
=2007年9月27日
 9月29日の県民大会で、高校3年生の2人が集団自決に関する教科書検定を批判するシーンは、繰り返しテレビ各局で放映された。

 また、同日付の沖縄タイムスは「県議会の意見書が指摘するように『日本軍による関与なしに起こり得なかったことは紛れもない事実』である」、30日付の琉球新報は「いかなる改竄(かいざん)、隠蔽(いんぺい)工作が行われたにしても、真実の姿を必死に伝えようとする県民の意志をくじくことはできない」と、それぞれ社説で主張している。

 だが、検定意見は「軍が(自決を)命令したかどうかは明らかといえない」と指摘したにすぎない。

 また、検定決定後の記述でも、軍の関与自体はそのまま残っている。

 甲南大、熊本大などの学生有志が11月、沖縄県で実施した興味深いアンケート調査(723人回答)結果がある。

 それによると、検定意見がついた背景に、元琉球政府職員の照屋昇雄氏らの新証言があったことを知っていたのはわずか17%。8割の人が「知らない」と答えた。県民大会に「参加した」または「参加したかった」と答えた人にその理由を聞くと、「集団自決を伝えたい」が48・1%に上り、「軍命令を記述してほしい」は25・7%にとどまった。

 「多数の県民は報道を通じ、集団自決そのものが抹消されたと誤解している。地元紙は、検定対象が軍命令の有無であることをストレートに報道してこなかった」

 歴史評論家、恵忠久氏(82)はこう指摘する。恵氏らは県民大会の場で、「検定意見では、集団自決の記述は従前どおりであり、変更はない」「沖縄の新聞などの異常な報道ぶりは、誤報でしかない」などと訴えるビラを配布した。すると翌日から「これは事実か」と約100件の問い合わせ電話があったほか、「本当のことを聞かせてほしい」と直接訪ねてきた人も数人いたという。

 ただ、沖縄ではこうした意見を表立って論じにくい空気がある。元宜野湾市議の宮城義男氏(83)は「軍命令はなかったという話をすると、『非県民』扱いされる。だから本当のことは言えない」と語る。

『鉄の暴風』と軍命令説

 沖縄戦の集団自決を日本軍の「命令」と最初に書いたのは、沖縄タイムス社編『鉄の暴風-沖縄戦記』(朝日新聞社刊、昭和25年)だ。この本の記述がノーベル賞作家の大江健三郎著『沖縄ノート』(岩波書店)などさまざまな書籍に孫引きされ、「軍命令説」が広く流布されていった。「鉄の暴風」は渡嘉敷島での集団自決についてこう書いている。

 《恩納河原に避難中の住民に対して、思い掛けぬ自決命令が赤松からもたらされた。「こと、ここに至っては、全島民、皇国の万歳と、日本の必勝を祈って、自決せよ。軍は最後の一兵まで戦い、米軍に出血を強いてから、全員玉砕する」というのである》

 赤松とは、慶良間列島・渡嘉敷島守備隊長だった赤松嘉次氏(故人)のことだ。大江氏は『沖縄ノート』で赤松氏らを念頭に「慶良間の集団自決の責任者は罪の巨塊」と断罪している。これに対し、赤松氏の弟、秀一氏らは平成17年8月、「誤った記述で多くの読者に非道な人物と認識される」として、大江氏と岩波書店に、出版差し止めと損害賠償を求める訴訟を起こしたが、23年4月に最高裁が原告側の上告を退け、大江氏側勝訴の判決が確定している。