戸高一成(大和ミュージアム館長)

戦後70年の今年、海に沈む戦艦武蔵が初めて発見され、世界中の注目を集めた。また、今年5月、呉市の大和ミュージアムは、開館10年で来館者が1,000万人を突破している。今なお、多くの日本人が戦艦大和と武蔵に特別な感慨を抱くのは、なぜなのか。

今年、相次いだ武蔵の「新発見」


 今年(平成27年〈2015〉)は、戦艦大和の姉妹艦である武蔵の「新発見」が続きました。3月にはフィリピンのシブヤン海に没した武蔵の船体が発見され、5月には46センチ主砲発射時の写真が新たに見つかっています。特にシブヤン海に沈む武蔵は、その様子がインターネット動画で生中継されたこともあり、日本のみならず世界中の注目を集めました。

 筆者が館長を務める広島県呉市の大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)も、平成17年(2005)4月のオープンから10年を迎えた今年5月、総来場者数が1,000万人を超えました。毎年平均100万人ほどの方が足を運んでくださったことになり、特に今年は例年にないほどの勢いになっています。

 今なお、多くの人々が戦艦大和、武蔵という「大和型戦艦」に特別な思いを抱き続けている何よりの証でしょう。

 大和と武蔵は戦後、しばしば「無用の長物」と称されてきました。確かに両艦ともに太平洋戦争の局面を覆す活躍をついに果たせぬまま、生涯を終えています。

 しかしながら、大和型戦艦が搭載した46センチ三連装主砲は、戦艦搭載の艦砲として今に至るまで最大であり、装甲は46センチ砲弾を受けても耐え得る強靭性を誇りました。大和と武蔵が「史上最大・最強の戦艦」であることは紛れもない事実なのです。

 歴史に向き合う際、過去の出来事を現在の価値観で推し量っては、時に真実を見落としてしまいます。当時の人々が置かれていた状況や思いを客観的に捉えて、初めて本当の意味での解析ができるのです。

 では、日本人は、なぜ戦艦大和と武蔵を生みだしたのか。不世出の戦艦に託したものとは、いったい何であったのか――。今、それらに改めて目を向けることに、極めて重大な意味があると私は考えています。
戦艦武蔵(昭和17年)