台湾にもし、日本の「流行語大賞」のような賞があるなら、今年の一位は「生為台湾人的悲哀」に決まりだろう。いや、ひょっとしたら、この言葉は今後、何年かにわたって台湾海峡両岸の政治的命運を占うキーワードとなるかもしれない重大性も帯びている。

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 「台湾人に生まれた悲哀」といっても、日本人にはいまひとつピンとこないだろうが、年配の台湾人にいわせると、これを聞いただけで、胸にググッと迫りくるものが去来し、堪(こら)え切れなくなる、という。

 それは戦前、日本人として生まれながら、本土出身の日本人とは差別され、たとえ成績が一番でも級長は日本人に奪われた悔しさであったり、就職しても給与は日本人の六割にすぎなかった屈辱であったり、あるいは同級生の日本人マドンナへ淡い恋心を抱いたとしても、台湾人であるがゆえにかなわぬ夢とあきらめざるを得なかった少年時代の甘酸っぱい無念な思い出であったりする。

 そして、祖国に復帰したという歓喜もつかの間、二・二八事件(一九四七年に起きた暴動事件)を契機に祖国から来た同胞に戒厳令の下で支配された戦後の長い日々。今度は自分より無学な者にこき使われねばならなかった無念さがインテリたちの悲哀となる。「生為台湾人的悲哀」という一言の中に、こうした歴史や人生の一こま一こまが走馬灯のように浮かぶらしいのだ。

 だが、今回、この言葉が特別に意味を持ったのは、何よりも李登輝総統本人の口から出たことに尽きる。戦前、京都帝大に学び、戦後は台湾大学で教鞭(きょうべん)をとり、良家の令嬢と結婚し、米国コーネル大学から農業経済学博士号を授与され、台北市長、台湾省主席、副総統、総統と権力の階段を上りつめたスーパーエリートが、庶民と同様に「台湾人に生まれた悲哀」を感じていたのか、という驚きがいま全台湾を覆っている。

 ことの経緯はこうだ。この春、作家の司馬遼太郎氏が台北で李登輝総統と対談した。司馬氏は「場所の苦しみ」をテーマに考えていた。李総統は曽文恵夫人と相談した末に「台湾人に生まれた悲哀」を語りたい、と司馬氏に言った。

2005
孫娘らと司馬遼太郎氏の墓前に参り、頭を下げる台湾の李登輝前総統=2005年1月、京都市東山区の大谷本廟
 その一問一答は日本の週刊誌(週刊朝日五月六・十三日合併号)に載り、それが台湾の「自立晩報」「民衆日報」に転載されて、一躍「生為台湾人的悲哀」が台湾での流行(はやり)言葉になったのである。

 この中で李登輝総統は「かつてわれわれ七十代の人間は夜もろくろく寝たことがなかった。子孫をそういう目には遭わせたくない」と戦後の戒厳令下の政治状況を語り、戦後教育についても「台湾のことを教えずに大陸のことばかり教えるなんて、ばかげた教育でした」「私はいま率先して台湾語で話すんです」などと台湾人の琴線に触れる発言を繰り返した。

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 この文化論的な対談は政治的な副産物を生んだ。二千百万の人口のうち一千八百万を占める台湾人のなかで、初の台湾人総統である李登輝総統に対する支持率はもともと高かった。しかし、野党・民進党の支持者からは「大陸系の外省人政治家に身を寄せて権力を獲得した人」という批判が付きまとっていたのも事実だった。

 それが「生為台湾人的悲哀」発言で、一気にこの層にも李登輝氏の支持者が増えた。こんな李登輝さんなら、一九九六年に初めて有権者の直接投票で実施される見通しとなった次回総統選挙にぜひ再選出馬してほしい-こうした声が超党派的に日々充満し、最近の調査では六四%に達した。

 「台湾人に生まれた悲哀」の名文句を生み出した司馬氏との対談の中で、李総統は「(台湾は)台湾人のものでなければいけない」とも言い切っている。こうした発言に、大陸系の外省人の中には台湾を大陸から分離させる企てだ、との批判が出ている。有力紙「聯合報」に非難の投書が載ったり、台湾海峡を越えた香港でも週刊誌「亜洲週刊」が“台湾人悲哀発言”は台湾独立の前兆ではないか、と警戒する論調の特集を組んだりした。それによると、北京の高層人士も深い関心を寄せているという。

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 が、台湾ではこうした声も圧倒的な歓迎の空気にかき消されている感じだ。

 「大陸との統一ばかりを言っている総統だと思っていたが、台湾人として生まれた苦しみを知り、台湾人の台湾にしたい、というのが真意なら、私はもう何も言うことがない」

 これは対談を読み、「台湾人に生まれた悲哀」の表現にくぎ付けになって、中国語への翻訳を一晩で成し遂げたある老台湾人の独白だ。「あんなエリートですが、あの人も昔、農業復興委員会に務めていたときは、ノーネクタイで、ぼろ自転車にまたがって走り回っていたんです。忘れていなかったんですねえ」

 問題は悲哀を知らぬ、豊かな若い人たちがどう反応するかであろう。

(台北支局長・吉田信行)

※肩書など掲載時のまま