日韓関係の悪化について、韓国側は「日本の右傾化が原因」「加害者と被害者の関係は1000年経っても変わらない」などと、一方的に日本を批判している。だが、歴史を振り返ると、韓国はこれまで、日本に理不尽かつ非道な行動・対応を取り続けてきた。韓国が口を閉ざす「理不尽な真実」について、元大手商社マンで日韓問題研究家の松木國俊氏が迫る。

 「李承晩(イ・スンマン)ライン」。それは、日本の主権回復を承認するサンフランシスコ平和条約発効直前の1952年1月、韓国が海洋資源を独占し、領土を拡張するため、島根県・竹島を取り込んで、一方的に公海上に引いた軍事境界線・排他的経済水域である。

2012年8月、竹島を訪問した韓国の李明博大統領(当時)(聯合=共同)
 いかなる国際法を持っても正当化できるものではなかったが、日本政府は憲法第9条などに縛られて手も足も出せなかった。これより13年にわたって、日本漁民は、韓国警備艇による射殺、体当たり、拿捕(だほ)、抑留、餓死という塗炭の苦しみを味わった。

 日韓漁業協議会発行の『日韓漁業対策運動史』に、当時の詳しい記録が残っている。韓国の暴虐を風化させないため、あえて、その悲惨な過去を振り返ってみる。

 韓国警備艇は、李承晩ラインの外側を航行中の日本漁船にまで見境なく襲い掛かり、罪のない日本漁民を拿捕して釜山港へ連行した。棒でたたくなど残虐な拷問を加え、自白を強要し、文明国では考えられない人権を無視した一方的な裁判で判決を言い渡した。

 獄中生活は悲惨を極めた。雑居房には20人前後が押し込められ、手足だけでなく体も重ねあわせて寝なければならなかった。食事の不潔さは言語に絶し、カビの生えた麦、腐敗した魚は度々で人間の食べる物ではなかった。ほぼ全員が栄養失調状態となって死線をさまよい、ついに餓死者まで出たのだった。

 54年以降は、「刑期」を終了した者さえ釈放せず、韓国側は抑留者を「人質」にしてさまざまな要求を日本に突き付けてきた。帰国の希望を奪われた抑留者は、肉体的にも精神的にも限界を超え、狂乱状態になるものもあったという。残された家族にも、重い経済的、精神的負担が発生した。堪えかねて精神を病み、自殺した妻もいた。

 日本漁民を守るべき海上保安庁の巡視船は「不測の事態を避ける」という理由で砲を撤去させられていた。拿捕されそうな日本漁船を救出するため、丸腰で韓国警備艇との間に割り込み、自ら銃弾を浴びながら漁船を逃す以外になかったという。

 65年に日韓基本条約や請求権・経済協力協定、日韓漁業協定が締結されるまでの間、韓国の不法拿捕により抑留された日本漁民は3929人、拿捕時の攻撃による死傷者は44人、物的被害総額は当時の金額で約90億円にも上る。

 にもかかわらず、韓国は現在に至るまで一言の謝罪も補償もしていない。それどころか、朴槿恵(パク・クネ)大統領は高飛車な態度で、反日発言を続けている。日本人は、韓国の非道な行為で無念の死を遂げた同胞のことを、決して忘れてはならない。

 ■松木國俊(まつき・くにとし) 1950年、熊本県生まれ。73年、慶応大学を卒業し、豊田通商に入社。直後から韓国担当を務め、80~84年、ソウル事務所に駐在する。秘書室次長、機械部次長を経て、2000年に退社。松木商事を設立する。韓国問題を長く研究しており、「慰安婦の真実国民運動」幹事長。著書に『ほんとうは、「日韓併合」が韓国を救った』『こうして捏造された韓国「千年の恨み」』(ワック)など。