戸高一成(大和ミュージアム館長)

ミッドウェー、ソロモン、マリアナ、レイテ…。70年前に終結した太平洋戦争において、日本海軍は多くの艦隊決戦を経験した。しかし、海戦とはそもそもどのように始まり、いかに勝敗を決するのか…。改めて考えると、意外に見落としがちなポイントも多いのではないか。

(1)艦隊決戦って、そもそも何?
 まず前提として、敵味方の艦隊双方が決戦を求めていなければ、艦隊決戦は起こりません。戦う意志や意図がなければ、その艦隊は即座に逃避するからです。

 このことを踏まえて艦隊決戦の始まりを定義すれば、「2つの国の海軍の主力艦隊が、互いに決戦を求めて遭遇した時に始まる」といったところでしょうか。

 決戦に要する時間は、日本海軍は2日がかりで考えていました。まずは1日目の夜に水雷戦隊を突入させて、敵艦隊に一定のダメージを与えます。こうして敵の戦力を削いだ上で、2日目の昼戦で艦隊同士の戦いを挑むというものです。

 もちろん実戦はケースバイケースで、日露戦争の日本海海戦などは昼戦の後に夜戦が行なわれましたが、基本的に夜から始まる2日がかりの戦いが、日本海軍が描いた決戦のシナリオでした。
イラスト:谷井建三
(2)勝敗はどう決まる?
 戦闘能力を失えば、その艦隊の敗北であり、決戦もそこで終了します。

 「戦闘能力を失う」というのは、主力艦艇の過半が沈む、沈まないにかかわらず、戦闘を続行できないほどの被害を受けたと考えればよいでしょう。「艦隊が壊滅」という表現も、この状態を指します。壊滅というとほぼすべての艦艇が沈んだような印象を抱きますが、そうではありません。

 ただし、太平洋戦争での日本海軍は、過半の艦艇が沈むまで艦隊決戦を続けました。

 昭和19年(1944)のレイテ沖海戦では、日本海軍は戦艦9隻、航空母艦4隻、重巡洋艦13隻などを投入してアメリカ海軍との決戦に臨みましたが、戦艦は武蔵、山城、扶桑の3隻、空母は瑞鶴、千歳、千代田、瑞鳳の4隻すべて、重巡洋艦は愛宕、摩耶、鳥海、鈴谷、筑摩、最上の6隻が沈みました。戦闘不能状態ならまだしも、これだけの沈没は異例です。

 また昭和20年(1945)の大和沖縄特攻においては、8、9割の艦艇が沈みました。どの時点まで戦い続けるのかは、両軍が置かれた状況や意図も複雑に絡み、一概にはいえないというのが実情です。

(3)「大破」「中破」「小破」の違いは?
 実は、これらの用語に明確な定義はありませんので、ここでは概念をお話ししましょう。

 まず頭に入れておくべきは、それぞれ沈んでいないことが前提であり、「沈没」とは異なります。では大破とはどのくらいの損傷を指すかといえば、戦闘能力を完全に失い、艦としての機能をほぼ失っている状態のことです。気息奄々、なんとか海上に浮いているのが大破です。

 中破は、戦闘能力を「ほぼ」失っている状態です。戦おうと思えば戦えるものの、無理をすればかなりの確率で沈没するというレベルです。

 中破と大破との線引きは、自力で基地に帰れるかどうか――基地に帰れるのならば中破で、帰れなければ大破という見方も出来ます。

 最も損傷の少ない小破は、ダメージを受けているものの、大破や中破とは異なり、まだ戦闘を継続できる状態だと考えればよいでしょう。

(4)勝敗をわけるポイントは?
 艦艇の数や種類が勝敗のポイントなのは、間違いありません。

 では、彼我の戦力が拮抗していた時の決め手は何かといえば、「索敵」が大きな要素です。一刻も早く敵艦隊を見つけて、味方の艦隊を有利な態勢に導くことが非常に大きな意味を持ちました。

 特に空母機動部隊同士の戦いでは、先制攻撃で敵空母の飛行甲板に穴を開けさえすれば航空機は使用できず、空母はたちまち無力化されます。その意味でも、敵艦隊の布陣や位置をつかむ索敵は極めて重要なのです。

 昭和17年(1942)6月のミッドウェー海戦では、重巡洋艦利根の水上索敵機四号機の発艦が予定よりも遅れたため、アメリカ機動部隊を先に発見することができなかったといわれてきました。

 この件に関しては、近年の研究では時間通りに発艦しても敵機動部隊は発見できなかったとされ、議論の余地があります。とはいえ、連合艦隊が索敵に失敗し、それがミッドウェー海戦の敗戦の要因になったのは間違いありません。

(5)「機動部隊」「遊撃隊」って何?
 まず機動部隊とは、本来はある特定の任務を帯びた、機動力(迅速に行動する力)を有する部隊を意味します。日本海軍においては、主として空母機動部隊のことを指します。すなわち空母を基幹とした艦隊のことで、太平洋戦争前、日本が世界に先駆けて、機動部隊としての「第一航空艦隊」を生み出しました。

 なお、太平洋戦争開戦時には、第一航空艦隊の実力は世界一であり、互角に渡り合える機動部隊は他に存在しませんでした。日本海軍にとっては誇るべきことでしょう。

 一方の遊撃隊は、作戦に合わせて特殊な目的を課せられた、一種の任務部隊の呼称です。基本的には、艦隊の主力部隊とは別に編成され、作戦によって任務も異なります。

 レイテ沖海戦において、西村祥司中将が率いた艦隊も遊撃隊でした。彼らは栗田艦隊とは別ルートで、レイテ湾に突入するという任務を帯びていました。

(6)主砲の撃ち方の決まりは?
 日本海軍が通常用いた砲撃法が「一斉撃ち方」です。連装砲(二門)の場合に一門ずつ撃つもので、「交互撃ち方」ともいいます。

 なぜ交互に撃つのでしょうか。ひとつは、艦艇の動力の許容を超さないためです。

 また、艦隊決戦では彼我の艦隊は常に移動しており、敵艦の位置を完全に把握することは至難の業です。そのため、絶えず敵艦との距離を測り、好機を逃さぬよう、即座に撃てる準備を整えておかなければなりません。

 例えば、一門が1分間に一発撃てるとすると、二門同時に撃てば次の砲撃まで1分間待たねばならず、その間に好機が来ても撃てません。一斉撃ち方で一門ずつ撃てば、30秒に一発ずつとなり、そのリスクを減らすことができるのです。なお、一度に全砲を撃つのは「斉発」といいますが、以上の理由により、実戦ではあまり行なわれませんでした。

 一方、戦艦大和のように三連装の主砲ははどう撃ったのでしょうか。

 この場合は、各砲塔をA、B、Cとすると、「A・B」「C」と二門と一門を交互に撃つか、「A・B」「B・C」「C・A」と各砲とも2回撃って1回休むサイクルを採っていました。並外れた強度の大和といえども、46cm砲を三門同時に撃つと、その衝撃に艦体が耐えられなかったともいいます。