武田邦彦(中部大学特任教授)

 原発を再開するべきか、核武装するか…日本国内で延々と続く議論はますます思想的な色彩を強めている。このままではせっかく議論をしてもいたずらに対立を深めるだけで未来の日本のためにならない。そこで本稿では、原発や原爆のような「科学的」な内容を含む重要な政策課題の選択で、対立を緩和する手順について整理してみたいと思う。

ショーウィンドウ論


 キュリー夫人がラジウムを発見したので、「太陽はなぜ光っているか?」という大きな疑問が解けたし、レントゲンという診断方法ができて、そのおかげで多くの人の命を救うことになった。でも同時に原子爆弾につながり多くの人の命を奪った。

 科学の結果は、それが人類社会にプラスになるか、マイナスになるかは研究や活動をしている時には科学者当人にも分からないし、社会も予測できない。そこで、科学はその成果を「ショーウィンドウ」に飾るにとどめるというのが現在の先端的な考え方である。

 もう一つ医療の例を挙げると、フレミングが抗生物質(ペニシリン)を発見した時に、それが細菌の増殖を抑えるのを見てゾッとし、彼自身で「こんなものができたら腸内細菌が全滅して人類は滅亡するだろう」と判断して研究結果を捨てたとすると、その後、肺炎やその他の病気で救われた数千万人の命が消えただろう。フレミングがするべきことは「抗生物質」という新しい物質をショーウィンドウに出し、それにできるだけ正確な説明をつけることまで(科学のショーウィドウ論)である。

 そしてそのショーウィンドウを見た一般社会の人が、その科学の産物を使おうと思うか、思わないかを判断するという二段プロセスを踏まなければならない。時々、「科学者自身が判断するべきだ」という人がいて、「原子爆弾などの明らかに人類に災厄をもたらすものを科学者が開発すること自体が間違いだ」と言うけれど、科学者にはそんな判断力はない。どんなものも良い点と悪いところがあり、それは社会が判断するしかない。

原発再開の混乱の理由


 原発再開の問題はいつまで経っても賛成派と反対派が事故の主張をするに止まっていて、議論は深まらない。その理由は第一にショーウィンドウ論が日本社会に定着していないことによる。

 まず、科学者はショーウィンドウに原発を飾り、その説明を示す。

1)原発は原子核を反応させ、高効率で電気を取り出すことができる。
2)地震などの天変地異がなければ他の電力生産設備より災害が少ない。
3)震度6以上の地震に耐える設計はできない。
4)電源喪失が最も危険なので複数の電源を違う場所に設置する必要がある。
5)被曝は覚悟する必要があり、被曝と疾病の関係は明確ではない。
6)被曝と疾病の関係が明らかではない段階でフライングして原発を運転する場合は、1年1ミリシーベルトを被曝限度とする。

 この説明を示した後、社会の判断を求める。この説明は科学者の連合体で純科学的な議論を経て行うことが大切で、思想的、経済的な関係のある人が参加してはいけない。

川内原発1号機の原子炉に核燃料を装填する様子
=2015年7月7日午後2時ごろ、鹿児島県薩摩川内市(九州電力提供・共同)
 2011年の原発事故が起こる前、「原発の安全神話」というのがあったし、事故後の国際機関の評価でも「安全だという錯覚があった」という指摘を受けている。原発が安全か否かは純粋に科学的なことであるにもかかわらず、多くの人が思想的もしくは感覚的に原発の安全性についてコメントし、マスメディアが正確に科学的事実を伝えなかった(もともとショーウィンドウに説明書きがなかった)ことによって誤解が生じていた。

 2011年の事故の後も、たとえば経済評論家が「1年1ミリシーベルトの基準などない。また被曝しても疾病は起こらない」と言ったり、福島を中心とした子供の被曝程度と疾病の発生について断片的な情報しか発表されず、さらに混乱に輪をかけている。

 原発は思想問題ではなく、科学技術とそれを受容するかどうかの社会の判断であり、一日も早く日本社会に科学技術のショーウィンドウ化を進めないと解決は望めない。

核武装問題


 原子力技術は「平和利用」と「軍事利用」が区別できない。原子力を平和利用できれば自動的に軍事利用が可能である。つまり「原発を持っている国で核武装できない国はない」ということだ。だから日本は「いつでも核武装できる力を持っている準核武装国」であることは間違いない。

 第二に、日本はアメリカと軍事同盟(安保条約)を締結しており、アメリカの原潜や陸上部隊が「日本を標的にして打ち上げられたミサイルを敵地内で撃墜し、日本が核攻撃を受けたら報復の核攻撃をする」という体制にあるので、日本は「準核武装国」ではなく「真の核武装国」である。

 日本は防衛しかできないので、敵地から打ち上げられたミサイルを打ち上げ直後(敵地内)で撃墜することはないし、報復の核攻撃もできない。

 時に日本は「潜在的核武装国家」などと評されることがあるが、それは日米安保とアメリカ軍の装備を見て見ぬふりをしているに過ぎない。特に核抑止力という点から言えば、日本は核武装されているのと同じ抑止力を有している。

混乱した議論を収拾するためには


 原発再開や核武装の是非は日本の未来に対してきわめて重要なテーマである。したがって、現在のように思想が先行して混乱が収まらない状態を脱する必要がある。そのためには、日本に「科学技術が伴う議論を要するテーマ」についての「整理手順」を決める必要がある。

 まず第一に「技術のショーウィンドウ化」を社会的、あるいは法的に定める。この段階ではエネルギーの国策などは一切、考慮せず、純粋に技術面から社会に説明する事項を決定し、透明性とオープンな議論を経る。

 第二に「ショーウィンドウ化された技術」を日本が採用した場合の利点、損害を、政治、経済、社会、思想の各面から政策とは切り離して専門家が検討し、議論を公開して国民の理解を促進する。

 第三に現在のプロセス、すなわち第一、第二のプロセスを報道によって知った国民が作る世論、選挙を通じた国会などで意思決定する。第一と第二のプロセスが無い日本では議論が行ったり来たりして、結局「何時になっても同じ議論をしている」という状態になるので、手順を踏んだ方が論点が明確になり、かつ意思の統一もできる。

 日本も現代流の決定手段をもつ国になるべきである。