澤田哲生(東京工業大学 原子炉工学研究所助教)

 2009年4月5日、米国のオバマ大統領がプラハ演説で核廃絶の実現を訴えてから6年目である。

 この間、核事情に何が起こったか。

 最も新しいニュースは、イランの核疑惑に対して包括同意が成立したことである。イランは兼ねてからの核開発疑惑に応える形で、今年7月14日、米国EUなど6カ国との間で、問題解決のための「包括的共同行動計画」で最終合意した(1)。イランは今後10年以上にわたり核開発を大幅に制限し、核関連施設に対するIAEA(国際原子力機関)の査察も条件付きで受け入れることになったと報じられた。主要部分は10年あるいは15年という時限付きの行動計画である。そればかりか、イランの高官は、“軍事施設は査察対象になっていない”とまでメディアに向かって言い切る始末である。

 イランの同意事項を仔細に見て真っ先に感じたことは、イランは核技術をもう手に入れたと確信したに違いないということである。いつでも“その気にさえなれば”核開発の道に戻れるという技術的かつ制度的確信の基盤を手に入れたに違いない。制度的とは、IAEAの査察や六者協議のメカニズムを深く知り得た結果、それら制度との付き合い方、もっといえば利用方法を会得したということである。北朝鮮の先行事例に学ぶところもあったであろう。そうでなければ、いくら国連決議による制裁のもとで経済的に喘いでいるとはいえ、一見するとここまで屈辱的な同意に応じるとは思えない。

 歴史を振り返ってみれば、オバマ演説のわずか1カ月半後、北朝鮮はオバマ演説を嘲笑うかのように、2009年5月25日に第2回目の核実験に踏切った。その約2年前、北朝鮮は2007年2月に六者協議で一端受け入れていた。つまり、再処理施設を含む核関連施設の停止(shut down)封印(seal)およびIAEAの核査察を受け入れるなどした後の核実験再開である。北朝鮮はこのようにいとも容易く六者協議で成立した同意を反古にしたのである。そして、北朝鮮は事実上9カ国目の核保有国になった。続いて、2013年には第3回目の実験を強行した。核の小型化に枢要な技術の確立も実証したようである。

核砲弾(左)と核戦車
 1962年10月のキューバ危機の頃、核保有国はまだ4カ国に過ぎなかった。米国、ソ連、英国、そしてフランスである。因みに、これに中国が加わったのは2年後の1964年10月16日である。日本はオリンピックに沸き立っていた。米国をはじめ4者は中国を2年も待っていたのである。そうして核開発の扉は閉ざされこの5カ国のみが正規の核保有国となった。これら5カ国が国連における常任理事国(permanent members)であり、P5という。そのころ、米ソらの観測では、向こう数10年程度の間に新たに30カ国ほどが核保有国になるといわれていた。

 ソ連が最初に核実験に成功したのは1949年であるが、その後10年程度の間に、米ソは核の小型化に成功していた。例えば、米国は戦術核として、戦車等の大砲で数km先まで飛ばせる核砲弾の開発に成功したのである。

Swanを用いた弾頭の概念図
 ちょうどこのころスウェーデンでも、小型核兵器の設計研究が進んでいた。それはスワン(Swan)と呼ばれる核爆発装置と同様のものであった。Swanの爆発威力は広島・長崎級で、TNT火薬相当で15ktである。しかしそのサイズは、直径30cm、長さが60cm、重量はなんと僅か50kg。要するに、広島・長崎型原爆からわずか10年程度で1/100の重さにまで小型化された(2)(3)。形が大きめの冬瓜のような楕円体で、白鳥のボディにも似ていることからswanというニックネームがついたのであろう。これが60年前に10年かけて成し遂げられた核の小型化技術である。北朝鮮が最初の核実験に成功してからから約10年経とうとしている。

核地雷ブルーピーコック(実物)
 この頃、西ドイツの東ドイツに接する国境地帯には、核地雷が敷設されていた。ソ連-東独の戦車による侵攻に備えるための対戦車核地雷である。実際に起爆することは勿論無かった。この核ガジェットのニックネームはブルーピーコックである。クジャクが羽を広げたようなサイズかもしれないが、重さは7トン以上もあった。

可搬型(リュックサック)小型核爆弾
 このほかにも可搬型の小型核も開発された。スーツケース爆弾とかリュックサック爆弾と呼ばれるものである。

 いずれも冷戦が生んだ、いまから思えば動物園じみた見せ物のようなガジェットである。いずれも実際の役にはたたないものばかりであった。が、当時はどれも真剣に設計開発され、なかには実戦配備されたものがある。

 いまから思えば馬鹿馬鹿しい話に思えるが、人々は真剣そのものでその道をひた走った。

 北朝鮮もイランも同様である。実に真剣そのものなのである。何故なのだろう。ごく最近、ロシアのプーチン大統領が本音を吐いた。『核を保有し管理出来るもののみが主権国の名に値する』という趣旨の心情を吐露したのである。これは、P5(米・ソ・英・仏・中)のみならず、それに追随したイスラエル、インド、パキスタンの本音でもあろう。過去に核武装を検討した国は少なくない。しかし、実際に核武装を完遂して、その後核を放棄した国は南アフリカ1国のみである。しかも、それは極めて特殊な事情であった。アパルトヘイトの下で長く続いた統治体制が、マンデラ氏によって終わりを迎えることがはっきりしたのであった。核の主権が黒人主権のもとに移管するのだけは防ぎたかったのである。

 半世紀前のケネディ大統領の頃の予想からすれば、現在の核保有国の数は随分と少ない。当時新たに30カ国ほどが核保有国になるとされたが、仮にイランを10番目と仮定しても、わずか5カ国に過ぎない。
1945年7月、ニューメキシコ州
アラモードの砂漠に上がった最初の核爆発
の火の玉(米エネルギー省提供)

 過去70年、スウェーデン、西ドイツ、日本などは核保有国になろうと思えばなれたかもしれない国々である。それぞれに事情は違うが、潜在的技術はあっても、それを使わないと意思決定したのである。日本は『非核三原則』という建て前を打ち立てた。なかでも“核を保有しない”と決めたのである。この決意は、首の皮一枚ほどのものかも知れない。しかし、それがあるとないとでは大きな違いなのである。

 広島・長崎から70年。

 その節目の今年、湯川秀樹博士や朝永振一郎博士らも参加して1957年に立ち上げられたパグオッシュ会議が日本で開催される。パグオッシュ会議に止まらず、日本人が世界に向けて、核拡散防止そして核兵器廃絶のための、新たな価値観を創出し発信していくべき節目ではないだろうか。

 識者の創造力に政治的実行力を備えたあらたな枠組みが必要だと思う。

参考資料