渡部昇一(上智大学教授)
日下公人(東京財団会長)

日下 森喜朗首相の「日本は天皇を中心にした神の国」という発言をめぐってマスコミは大騒ぎをしました。その後、「国体」「銃後」発言が重なって、こうした表現には森首相の戦前回帰思想が現れており、それは首相としての資質に欠けるという非難が展開された。総選挙もそれがテーマの一つとして争われましたが、これは何とも滑稽な光景でした。別に森さんを弁護するわけではありませんが、「神の国」発言の真意は、少年犯罪などが多発する現状を憂え、神様からいただいた生命を大切にしようという宗教心を教育現場で教えられないものか、という問題提起だった。それが戦前回帰と非難されたというのは、その前提になっているのが戦前の日本は悪い国だった、という思い込みです。“悪の帝国”だった(笑い)。だが、果たして本当にそうだったのか。

『神の国発言』について会見する森喜朗首相
=2000年5月26日(鈴木健児撮影)
渡部 ひとことで言えば、戦前の日本は良かった(笑い)。とくに、ロシア革命が起こって共産主義の脅威にさらされる前の日本は非常に良かったと思います。日露戦争の勝利後、日本は自らの力で、独自に民主主義の道を歩み始めている。大正デモクラシーが共産主義によって断絶させられたことを、日本人は正確に記憶しておかねばならない。

 実際、大正二年の第三次桂太郎内閣なんか演説によって潰れたようなものです。“憲政の神様”と謳われた尾崎咢堂なんか“天皇をもって胸壁となし、詔勅をもって弾丸となす”という弾劾演説をやって桂太郎を真っ青にさせている。演説で内閣を倒すなどということは、イギリスの議会政治が一番栄えたディズレリーかピールの頃を思わせるものです。日本もそれに近づいていた。

 日露戦争に勝利しても軍国主義には進まず、むしろ着々と軍縮をしていた。戦前を悪し様に言う人たちが頻繁に取り上げる治安維持法にしても、コミンテルンの「皇室廃止」指令や、ロマノフ王朝一族にとどまらず、共産主義に賛同しない人民の大量虐殺という情報が入っていて、それへの防波堤として制定されたものです。

日下 加藤高明首相による護憲三派内閣のときだから、大正十四年ですね。

渡部 同時に普通選挙法を通しています。この普選法は、収入の多寡に関係なく成人男子には等しく選挙権を与えるというもので、当時としては最も進んだものです。女性の参加は認めませんでしたが、これは徴兵制があるために仕方がなかった。もともと徴兵制がある国は女性に選挙権を与えていない。スイスも徴兵制を続けてきましたから最近まで与えていなかった。このときの内閣は高田、岡山、豊橋、久留米の四個師団を廃止するという空前絶後の軍縮までやっている。当時の日本には、デモクラシーを発展させようという意志があったんです。

日下 共産主義の実態とその脅威を考えれば、治安維持法は、スターリンのような指導者が出現し、それこそ“八百万の神”を信じる日本人を、大量虐殺するような政府の誕生に至る暴力革命を阻止するためにはやむを得ない措置だった。シナでは孫文も容共政策をとっていましたしね。

戦前日本の分水嶺はロシア革命


渡部 戦前の日本が悪い国だったとすれば、その分水嶺はロシア革命です。スターリンの時代は五カ年計画を繰り返して、強大な戦力を再び満蒙国境に配備します。併せて思想的にも入り込んできて、シナ人を全部反日に立ち上がらせようと画策する。昭和初年あたりから日本は深刻な危機感を抱かざるを得なくなって悪くなるんです。

 さらに皇室廃止論へのリアクションとして右翼が台頭してくる。彼らは天皇を座標軸にして左翼とは対照の位置にいるように見えながら、ついに政策としては対抗するものを考えつかず、逆に共産主義のプラットホームみたいなものを求める形になった。それが戦前の民間右翼であり、軍の革新派将校であり、彼らはその国家改造の思いをたぎらせて行動した。五・一五事件であり、二・二六事件ですね。あるいは新官僚による国家統制の徹底です。これは革命幻想なのであって、対峙しているはずの共産主義と行動原理において差異がないということになる。

日下 同感ですね。平和、自由主義、民主主義に向かって歩んでいた日本を、右翼国家主義に変転させたのは共産主義という怪物の出現だった。『アメリカの鏡・日本』(ヘレン・ミアーズ著)という本がありますが、それにならえば当時は“ロシアの鏡・日本”だった。日本自身が内発的にそうした道を選んだのではなく、ソビエトロシアへの対応策としてそうせざるを得なかった。これは筋道としてそうなんです。

 私も渡部さんと同じく、戦前の日本は素晴らしかったと思います。

 それから、いささか声を大にして言っておきたいのは、戦前の日本人は独立の尊さを知っていた、ということです。同時に、独立を失う危険があることも自覚していた。だから必死に努力したんです。危険が迫れば団結して富国強兵政策を取り、破壊を目論む異端分子は排除する。そういう事情の吟味なくして戦争の反省も、戦後の反省もない。日本に降りかかった脅威を故意に見ないのはおかしいと、つけ加えさせていただきます。

渡部 戦前の日本、とくに大正期は非常に良かったということを、ライシャワーさんなんかはちゃんと知っていたらしい。ところがそれを口にすると、民主主義がアメリカ軍の占領軍統治から始まったということにならないから、戦後はそれを日本人に分からせないようにした。学校でも教えてはならないというふうにさせられたわけです。

日下 要するに民主主義は占領軍の素晴らしい“お土産”だという、そういう意識を日本人に植え付けたかった。

渡部 だから大部分の日本人は、敗戦のお陰で民主主義を得たと思っているんですね。とんでもないことです。何度でも繰り返しますが、ロシア革命のせいで日本の民主主義の発展は止まったんです。もう少し長い時間軸で言えば、中断を余儀なくされたのはロシアが遠因で、近因はアメリカが石油を売らなくなったことです。

日下 そこで、リアクションとはいえ平和で民主的な日本を食い潰していった陸軍の責任についてはきちんと検証しなければならない。『組織の興亡』という近著で詳しく述べているのでここでは詳細を措きますが、陸軍は機密費を右翼に投じて、民主的な政治家や国民の世論を封殺して自らの意見を通していった。国民がある程度承知の上でそれについていったのは、アメリカとロシアという外圧があったからで、国民の多くがその圧力を不当と感じていた。

 ではなぜ陸軍は見苦しいほどに軍の利益を追求したかというと、平和な時代に二度の軍縮があって、不遇を託ったからです。有り体に言えば、「日露戦争を死力を尽くして戦い抜いたにもかかわらず何と無体な」という受け止め方を陸軍はした。そもそも論で言うと、いざというときに命を投げ出す武装集団の名誉を奪ってはいけない。クーデターを起こしますからね。しかるに今の日本の自衛隊は、四十年間不名誉のどん底にあってもクーデターを起こさない。こんな立派な国はありますか、と言いたい。

 それから、当時の日本に貧富の差があったのは紛れもない事実です。多分イギリス並みの差だったと思いますけれど、それでも日本は耐えられなかった。貴族の伝統がないから、「もっと平等に」ということを言い出すと、いきなり革命ソ連の方に傾斜してしまった。

渡部 対抗の理論がなかったということは、これは日本だけではなくて、たとえばイギリスなども完全に負けている。ウェッブ夫妻らが設立したロンドン政経学校(London School of Econoics and political science)がロンドン大学の一部になるのはちょうど一九〇〇年ですが、ここでウェッブ夫妻が目的としたのは、端的に言えば、社会主義社会の建設が推進できる人材を輩出することだった。

 それで理論的に完全にイギリスをドミネートするんです。戦前前後の日本で人気のあったラスキ教授とか、のちにイギリスの首相になるアトリーとか、みんなそこで活躍している。イギリスは理論に関する限り、ほとんどおしなべて左翼になるんです。

 それからアメリカも、ニューディールというのは、今、産経新聞で「ルーズベルト秘録」という連載で詳細が明らかにされていますけれど、左翼と紙一重というようなところがあった。どこも巻き込まれているんです。共産主義の脅威という現象は日本だけではないんだけれど、イギリスやアメリカとは地政学的な与件が決定的に違う。