渡部昇一(上智大学名誉教授)
義家弘介(衆議院議員・前文部科学政務官)

渡部昇一 本日は先の大戦で日本が「無条件降伏した」と言われている問題を義家弘介先生と一緒に考えてみたいと思います。私は比較的戦後の早い時期から「日本は無条件降伏したのではない」と警鐘を鳴らしてきました。日本人はもっと歴史を学ばなければならない。そう強調してきましたが「日本が無条件降伏したか否か」、これは戦後の出発点というべき重大な問題です。

 私は中学3年の時、終戦を迎えました。ラジオを通じて終戦の詔書が読み上げられるのを実際に拝聴しましたが、その時「ポツダム宣言」という言葉が明確に耳に残っている。「これで日本は負けたのだなあ」という実感がわいてきたことを鮮明に覚えているのです。そして「ポツダム宣言」には連合国側から「われらの条件、次の如し」と記し、その条件のひとつとして「陸海軍の無条件降伏をせしめること」とあるのです。

 日本政府が無条件に降伏したら、陸海軍を無条件降伏させることなどできない。だから日本に主権をとどめ、命令する権利を残した。これは、「無条件降伏」などとは到底いえない。自分の軍隊を「無条件降伏」させてくれと、そういう条件でポツダム宣言が出されたのです。そのことを多くの日本人は今忘れてしまっていますが。

義家弘介 昨年の11月27日に私どもは無条件降伏について国会で正面から取り上げる議論を提起しました。なぜこの問題を取りあげたか。そこから話します。そもそもの発端は子供が使う教科書を眺めていたことでした。そこには「日本は無条件降伏した」と平然と書いてある。おかしい。それほど簡単な話ではないのです。安倍晋三政権のもとで私たちは戦後レジームからの脱却を掲げています。しかし、先生も仰ったようにとりわけこの問題は、戦後の出発点であり、戦後レジームの根幹となる最重要ポイントです。そう考えて、まず根幹を正そうと「日本は無条件降伏したのか」と同僚議員が政府の見解を質したのでした。

 大前提としてわれわれ日本人、あるいは政治家がこの問題を考える際に踏まえておかなければならない問題があると私は考えています。それは大東亜戦争、第二次世界大戦の敗戦国となった日本とドイツの明らかな違いです。ドイツは45年4月29日にヒトラーが自殺して、5月3日にベルリンが陥落した。つまり、あの時点でドイツという国はなくなった。その後、四カ国による分断統治が行われた。戦争で滅んでしまったドイツに対して日本はどうか。これはポツダム宣言を受諾し、終戦に向かったのですが、日本国という国家は厳然と残った。ですから、サンフランシスコ講和条約という条約が必要だったわけです。まず、この違いをしっかりとわれわれは認識しておくべきだと思っています。

渡部 その違いも意外に知られていませんね。そもそもポツダム宣言すら読んでいない日本人が多すぎると思うのです。軍隊が降伏した後、日本にやってきたマッカーサー司令官と外務省との間に交渉がもたれます。そこで国務省の命令で連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は日本政府と交渉する必要はなく、一方的に何でもできると通告されてしまうのです。これが実に不当なことであることもまた案外知られてはいないのですが、ポツダム宣言を明白に反故にするものなのです。米国は日本が無条件降伏したと思い込んだふりをし、そして日本もまた、それに従わざるを得なかった。その結果、実質的に日本が無条件降伏したと見なされるようになってしまったようであります。

 しかし、当時はまだ気骨のある人が多かった。例えば重光葵氏がそうです。GHQは当初、日本の直接統治を考えていた。ところが彼の頑張りで、危ないところを間接統治に切り替えた。

 間接統治になると、直接の支配を受けない。お金も円のまま使えるし、支配された実感がわかないわけです。それで多くの日本人がごまかされてしまった面がある。間接統治ですから、一々GHQは日本政府に命令しなくてはいけない。そこで、その根拠となる占領政策基本法が必要となり、それが今の憲法だったわけです。日本国憲法の本質は占領統治下の占領政策基本法であって、憲法に対する私の態度もこの認識が出発点にあります。

有条件降伏のポツダム宣言と米国の国際法違反


義家 先日、ニューヨーク・タイムズの記者と話す機会がありました。私が「ポツダム宣言は無条件降伏か」と聞くと彼らでさえ「有条件降伏です」と明言しました。渡部先生が仰るようにポツダム宣言の5に「われらの条件は左のごとし」と明記され、その条件を羅列しているわけですから、明らかにこれは有条件降伏です。誰の目から見てもですね。

渡部 そこで重要なのは、条件を出しているのは、日本ではなくあくまで連合国が出してきているという点です。彼らが出してきた条件を日本が呑んだ。これが事実です。明らかに「条件降伏」であり、降伏かどうかすら疑わしい話なのです。外交交渉と言ったほうが実態に近いと思いますね。

義家 問題は無条件降伏か否かを考える場合に、ポツダム宣言のみでは判断できない点があることです。それは9月2日のミズーリー号で調印された降伏文書です。私は日本国が本当に戦争に負けたのはこの時ではないかと思っています。首都が見える海上で、日本側の代表を呼び出して、米国の誇る艦隊で降伏文書に調印させるセレモニーです。その調印文書にはこうあるのです。

 まず第一点は、日本軍の無条件降伏。日本国の無条件降伏ではありません。「日本国軍隊および日本国の支配下にあるすべての軍隊の連合国に対する無条件降伏を布告する」とあるのです。

 渡部先生にご見解を伺いたいのはその調印文書には続けて「すべての官庁、陸軍および海軍の職員に対し、連合国最高司令官がこの降伏実施のため適当であると認めて自ら発するか、または委任にもとづき発令された全ての布告、命令および指示を遵守し、かつこれを施行することを命令する」とある点です。そして三つ目に「天皇及び日本国政府の国家統治の権限は本降伏条項を実施する為適当と認める処置を執る連合国軍最高司令官の制限の下に置かれる」ともある。

 この文書が調印されたのは午前9時10分でした。調印を済ませ、夕方の4時になって突然、参謀次長のマーシャル少尉が終戦連絡委員会の鈴木九萬公使を呼び、三カ条の布告を明言します。まず、日本全域の住民はGHQの最高司令官の軍事管理の下に置くこと。日本国民は行政、立法、司法のすべての機能も含めて最高司令官の権力の下に行使される英語を公用語にすることが告げられたのです。そして二つ目は、米国に対する違反は米国の軍事裁判で処罰すること。これは治外法権を認めるということです。三つ目が、米国ドルを法定通貨にする。これらをトルーマン大統領からの指示として通告してきたわけです。

 先生が仰ったように当時の外務省にはまだ気骨がありました。こんな条件が呑めるわけがない。そこで当時外相だった重光葵氏が横浜まで駆けつけた。彼は午前8時に現れる予定だったマッカーサー氏を待ち伏せしたんですね。そして直接マッカーサー氏に「こんなことをやったら日本の戦後処理はできません。大変なことになりますよ」と掛け合っている。マッカーサー氏は重光氏の話を保留にしましたが、このころの外務省はしっかりしていて昭和21年の段階では「ポツダム宣言の受諾は所詮無条件降伏と同一ではない」と明確に省庁として見解を示してもいるのです。

 一方、「占領を条項の駆け引きから始めるわけにはいかない」と考えていたトルーマン大統領は「われわれは勝利者で日本は敗北者である。無条件降伏は交渉するものではないと彼らは知らなければならない」と断言し、それに基づいて三カ条の布告を出したというわけですね。

渡部 米国の連中が、ポツダム宣言を知らなかった。知らなかったか、知らないふりをしたのか。どちらにしろ日本は武力を全部捨てた後でしたから、どうしようもなかったわけですが、米国が行ったことがポツダム宣言に反する如何に不当なことか、は日本人はしっかり認識しておくべきです。