阿比留瑠比(産経新聞政治部編集委員)


「もはや戦後ではない」

 経済企画庁(現内閣府)が経済白書にこう記述したのは昭和三十一年、今から六十年近く前の話である。当時の鳩山一郎首相の孫で、ルーピー(クルクルパー)と呼ばれた鳩山由紀夫元首相が政界を引退してからも、すでに随分たつ気がする。

 昭和六十年の施政方針演説で中曽根康弘首相(当時)が「戦後政治の総決算」を訴えてからも、はや三十年が経過した。あの時代を象徴したこの言葉も、もうあまり思い出されることもなくなった。

 それなのに、日本はいまだに「戦後」という堅牢な枠に閉じ込められたままだ。今年はメディアや国会で「戦後七十年」が強調されており、戦勝国はお祭り気分ではしゃいでいるが、筆者はこの言葉を使うこと自体に抵抗を覚える。

 なぜなら七十年と言えば、人が生まれて学校へ通い、社会に出て年金受給者となる時間をさらに上回る長い歳月なのである。にもかかわらず「戦後」はいつまでたっても終わらず、日本はいつまでたっても内外で敗戦国、敵国の扱いに甘んじている。

 なんと非生産的で退嬰的な現状だろうか。もちろん、中国や韓国のように、建国の経緯から日本を執拗に悪者にし続けなければ正統性が保てない国もあるが、どうしてそんな相手国の勝手な事情にこっちが付き合わなくてはならないのか。

 やはり、安倍晋三首相が第一次政権時代に掲げた「戦後レジームからの脱却」が必要である。これからの日本を背負う世代は、偽善と自己愛に満ちた内向きの反省と自虐の中に閉じ籠もることはやめ、国際社会で自国に自信と誇りを抱き、堂々と前を向いてほしい。

またぞろ蠢く謝罪マニアの面々

 今年は、日本が新しい時代を前向きに生きるための第一歩にしたい。そして、今度こそ本当に、高らかに「もはや戦後ではない」と内外に宣言しなければならない。

 ところが、左派メディアも野党も相変わらず思考停止し、「過去」に拘泥している。安倍首相が今夏に出す戦後七十年談話について、戦後五十年の村山談話、戦後六十年の小泉談話の踏襲を求め、「植民地支配と侵略」や「心からのお詫び」などの文言をそのまま使うべきだと感情的に主張している。

 揚げ句、戦後七十年談話に関する有識者会議「二十一世紀構想懇談会」の北岡伸一座長代理(国際大学長)までが三月のシンポジウムで、「安倍首相に『日本は侵略した』とぜひ言わせたい」と言い出す始末だ。

 さながら啓蟄前後から、日本中の謝罪マニアが土中から這い出て一斉に踊り出したかのようで、かまびすしいことこの上ない。

「こうなったら、談話では『侵略』『植民地支配』などのいわゆるキーワードは使わずに、いっそ修辞を凝らした『文学』にしてやろうかと思っている」

 政府高官は周囲にこう話している。例えば安倍首相は平成二十六年七月にオーストラリアの国会で行った演説でも、外務省案にあった先の大戦にかかわる「謝罪」という言葉は採用しなかった。その代わり、次のように深い哀悼を示すにとどめた。

「何人の、将来あるオーストラリアの若者が命を落としたか。生き残った人々が、戦後長く、苦痛の記憶を抱え、どれほど苦しんだか。(中略)私はここに、日本国と、日本国民を代表し、心中からなる、哀悼の誠を捧げます」

 その結果、明確な謝罪などしなくても、安倍首相の演説はオーストラリア議会に受け入れられ、大きな拍手を受けたのである。何も特定のキーワードにこだわる必要はなく、全体としてどういうメッセージを伝えるかが大事なのだ。

 ちなみに安倍首相は、終戦の日である八月十五日の全国戦没者追悼式での式辞でも、近年の歴代首相が使用してきたアジア諸国の人々に損害と苦痛を与えたとする「反省」を踏襲していない。オートマチックに前例通りにあいさつするより、よほど意を尽くしたと言えるのではないか。

 また、政府高官は北岡氏の「侵略」発言についてもこう突き放している。

「まあ、北岡発言は関係ない。自分で『侵略した』なんて言う国は日本しかない。だって果たして日本は英国を侵略したのか。何で当時、オランダがインドネシアにいたのか。日本が侵略したというのなら、欧米中が侵略していたということになる」

侵略という言葉にこだわる愚

 そもそも、「侵略」という言葉に明確な定義はない。意味があやふやな政治的な言葉が、どうして七十年談話の必須キーワードであるかのようにすり替えられたのか。

 安倍首相が国会で「侵略の定義は定まっていない」と答弁すると、メディアや野党は「侵略否定だ」「村山談話の否定だ」などとまるで大失言・暴言であるかのように騒ぎ立てた。だが、当の村山富市元首相自身が首相時代の平成七年十月の衆院予算委員会で、次のように答弁しているのである。

「侵略という言葉の定義については、国際法を検討してみても、武力をもって他の国を侵したというような言葉の意味は解説してあるが、侵略というものがどういうものであるかという定義はなかなかない」

 麻生太郎内閣時代の平成二十一年四月の衆院決算行政監視委員会では、外務省の小原雅博大臣官房参事官(当時)もこう答弁した。

「さまざまな議論が行われていて、確立された法的概念としての侵略の定義はない」

 さらに民主党の野田佳彦内閣時代の平成二十四年八月の参院外交防衛委員会では、玄葉光一郎外相もこう指摘した。

「何が侵略に当たるか当たらないかというのは論争があるところで、そこにはある意味、価値観、歴史観が入り込む余地があるのだろう。だから、なかなか明確な定義というものができないのかなと」

 つまり、安倍首相は従来の政府見解を答弁しただけだったのに、内外のメディアなどから異様なバッシングを受けたのである。この問題をめぐっては、岸田文雄外相も四月一日の参院予算委員会でこう述べた。

「植民地支配と侵略の定義についてはさまざまな議論があり、明確な答弁を行うことは困難だ」

 ところが、これまでさんざん安倍首相の答弁を批判してきた多くのメディアは、この岸田発言に関しては取り上げなかった。これまでの安倍首相批判記事との整合性がとれなくなるので、一斉に「報道しない自由」を行使して逃げたのだろう。

 この侵略の定義をめぐっては、伊藤隆・東大名誉教授が最近、鋭い指摘をしていたので、他誌(隔月刊「歴史通」五月号)ではあるが紹介したい。インタビュー記事の中で伊藤氏はこう述べている。

「侵略の定義というものはない。だから、唯一成り立ちうる定義があるとしたら、『侵略国家とは戦争に負けた国である』。それしかない。侵略国イコール敗戦国。また、『侵略』を定義するなら、『侵略とは敗戦国が行った武力行使である』。それ以外に言い様がないというのが、ぼくの結論です」

 なるほど納得できる。一方、この程度の抽象的な内容しかない「侵略」言葉をさも事の本質、一大事であるかのように書き立ててきた記者や論説委員は、自分の頭でものを考えたり、事実関係を調べたりしたことはあるのだろうかと疑問に思う。

 いずれにしろ、安倍首相はこんな言葉は重視していないし、戦後七十年談話で使うこともないはずである。

中韓に好餌与える談話と訣別せよ

 植民地支配、侵略、お詫び……などの言葉にこだわり、それらを使えば使うほど日本は「戦後」にからめ取られ、戦勝国と敗戦国という枠組みは固定化されていく。日本にとって有害無益であり、戦勝国を偽装する中国や韓国を喜ばすばかりだ。

 そしてその枠組みの半永久的な固定化について、意識してか無意識にか日本の左派メディアが率先して尖兵の役割を果たしている。彼らは左派言論が全盛で何を言っても書いても許された「戦後」によほど愛着が強く、もはや幻となりつつある戦後のぬるま湯にまだ浸かっていたいようだ。

 そんな彼らより、安倍首相の前述のオーストラリア訪問時での共同記者会見で、次のように訴えたアボット首相の方がよほど客観的かつ建設的だ。

「日本にフェア・ゴー(オーストラリアの公平精神)を与えてください。日本は今日の行動で判断されるべきだ。七十年前の行動で判断されるべきではない。日本は戦後ずっと模範的な国際市民であり、日本は法の支配の下で行動をとってきた。『日本にフェア・ゴーを』とは『日本を公平に見てください』ということだ」

 韓国の朴槿恵大統領が、二年前の三月の演説で言い放った「加害者と被害者という立場は千年の時が流れても変わらない」というセリフとでは月とすっぽんである。どちらが日本の友邦としてよりふさわしいかは、いまさら言うまでもない。

 韓国は「戦後」どころではなく、千年だってさかのぼって謝罪しろと主張しているわけだ。だが、そんなことを言えば、日本は元と高麗の連合軍による元寇の被害者である。

 長崎県の離島、対馬や壱岐の住民は元寇で虐殺され、女性は手に穴をあけてそこに縄を通しつながれ拉致された。

 このときの元・高麗連合軍の残虐非道さは、言うことを聞かない子供を脅かす文句「ムクリコクリ(蒙古・高句麗)が来るぞ」となって記憶されている。

 しかも、歴史作家で徳島文理大学大学院教授の八幡和郎氏によると、高麗は「現実の来襲のときにはむしろ(元を)けしかけたのだし、主力でもあった」(「誤解だらけの韓国史の真実」)とされる。

 だから朴氏のセリフが仮に普遍的で正しいものだというのなら、日本人はいまだに韓国をうらんでいて当然だということになる。二度目の元寇である弘安の役からは、まだ七百三十四年しかたっていないからだ。本当に日本は隣国に恵まれていない。

 韓国のありようは、反面教師としてわれわれ日本人に、過去にばかり目を向けることの愚かしさ、無意味さを教えてくれる。

 歴史を学ぶのはそれを教訓として、あるいは未来をよりよいものにするヒントとして活かすためであり、決して過去の歴史に閉じ籠もるためではない。また、どこかの国に永遠にわび続けるためではないのも当然だ。

 そもそも、事実関係に基づかない贖罪意識や、国際関係全体の動向に目を向けない局地的・例外的な謝罪外交にどんなメリットがあるというのか。

 安倍首相による戦後七十年談話は、いたずらに感傷的に自虐的に過去を振り返ることで、中国や韓国の思うつぼにはまってきたこれまでの日本と決別する内容であってほしい。

新しく生まれ変わる好機に

 昨年は、戦後レジーム派の拠り所である朝日新聞が慰安婦問題をめぐる一連の誤報、虚報について初めて認めて謝罪した。

 ありのままの現実を直視せずに、連合国軍総司令部(GHQ)製の憲法前文をはじめとする非現実的な観念とイデオロギーに従って言論界を歪めてきた彼らの堤防が、ようやく決壊を始めた記念すべき年だった。

 だからこそ朝日の凋落に焦り、脅える戦後レジーム派は、今も彼らが黄金時代を過ごした「戦後」にすがっている。

「私たち日本国民が、六十二年前のあまりに大きな犠牲を前にして誓ったのは『決して過ちを繰り返さない』ということでした。そのために、私たち一人一人が自らの生き方を自由に決められるような社会を目ざし、また、海外での武力行使を自ら禁じた日本国憲法に象徴される新しいレジームを選択して今日まで歩んでまいりました」

 これは平成十九年の全国戦没者追悼式で、河野洋平衆院議長(当時)が述べた式辞である。明らかに安倍首相(同)が提唱した「戦後レジームからの脱却」を当てこすっている。その河野氏も今や、ろくな根拠もなく慰安婦募集の強制性を認めた平成五年の河野談話の虚構性が明らかになったことや、関連して自身が多くの嘘や誤魔化しを語り続けてきたことが白日の下にさらされ、一部のメディアにしか登場しなくなった。

 彼らは、憲法、その解釈、安全保障体制から児童・生徒の教育方針、官公労のあり方まで、前例墨守を金科玉条にしている。だからこそ、彼らの最後の砦であり居心地のいい住み処であった「戦後」は超克されなければならない。

「日本の戦後七十年については、かなり陰徳を積んだ七十年だったのではないか」

「日本が歩んできた七十年の道のりをもう一度確認しあって、そのことに静かな誇りを持ちながら、さらに今後の道のりについてやるべきことをやっていこう」

 安倍首相は四月二日の「二十一世紀構想懇談会」第三回会合で、こう発言した。戦後七十年を系統立てて振り返り、その道程と意義を再確認することを通じ、日本の将来を担う若者や子供たちのためにも「戦後」ではない「新しい時代」をつくっていきたい。

 今年は、戦勝国のお祭りの年である。だが、敗戦国である日本にとっても、新たに生まれ変わるチャンスの年でもあると思う。

 過去しか見ない人たちと、あるべき未来を見据えた人たちのどちらが国益に沿うかは論を俟たない。未来は、過去を懐かしむ人のためにあるのではない。これからを生きる人のものである。