有馬哲夫(早稲田大学教授)

対日心理戦としてのWGIP


 江藤淳の『閉ざされた言語空間』に引用されていながら、幻の文書とされてきたWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)文書が関野道夫の努力によって再発見された。彼の著書『日本人を狂わせた洗脳工作』のカバーにはまさしくWGIP文書(一九四八年三月三日付で民間情報教育局から総参謀二部に宛てた「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」と題された文書)が使われている。その努力と熱意に心から敬意を表し、彼の著書がより多くの人々が「自虐史観」から脱する助けになることを切に願っている。

 しかしながら、それでも、江藤の前述の研究とWGIPに基づいて展開している言説そのものをなにかしら胡散臭い、「陰謀論」と見る人々がまだ少なからずいる。

 このような人々のマインドセットを解くには、WGIPだけでなく、それを含む占領軍の心理戦の全体像と、それらの理論的仕組みを明らかにする必要がある。

 それが白日のもとに晒されれば、いかに頑迷な「陰謀論者」も認識を変えざるを得なくなるだろう。 

 そこで本論では、まずアメリカで心理戦の概念がどのように生まれ、発展して、どのような体系を形づくっていったのか、それはどのような理論的基礎に基づいていたのかを明らかにしたい。

 まずアメリカ側が戦争というものをどのように考えていたのか明確にしておこう。

 ハロルド・ラスウェルの『心理戦』(Psychological Warfare,1950)によれば、戦争は軍事戦、政治戦、心理戦に分けられる。政治戦とは政治的手段によって、心理戦とはプロパガンダや情報操作によって、相手国やその国民をしたがわせることだ。

 最近のイラク戦争やアフガニスタン戦争を見ても、軍事戦の勝利だけでは、目指す目的が達成できないことは明らかだ。それを達成するためには、政治戦と心理戦においても成功を収める必要がある。そうしないと、軍隊が引き揚げたとたん、政治は戦争の前に逆戻りし、民衆は復讐のため再び立ち上り、戦争をもう一度しなければならなくなる。

 ラスウェルは、シカゴ大学教授で『世界大戦におけるプロパガンダ・テクニック』(Propaganda Technique in World War,1927)などの多くの著書がある政治コミュニケーション、とくにプロパガンダ研究の大御所だ。第一次世界大戦以後のアメリカの心理戦の理論的基礎となっていたのは彼の理論だといっていい。

『心理戦』は出版年こそ一九五〇年(以下西暦の最後の2桁のみ示す)だが、書かれている内容はアメリカ軍が先の戦争以来実践してきた心理戦、とりわけホワイト・プロパガンダ(情報源を明示し、自らに都合のいい事実を宣伝する)、ブラック・プロパガンダ(情報源を明らかにせず、虚偽の宣伝を行う)、グレイ・プロパガンダ(情報源を明らかにせず、紛らわしい情報を流す)を使い分けた「思想戦」(the Battle of Ideas)をわかりやすく解説したものだ。

 アメリカン大学教授クリストファー・シンプソンが彼の著書『強制の科学:コミュニケーション研究と心理戦』(Science of Coercion: Communication Research & Psychological Warfare,1996)で指摘しているように第二次世界大戦中、陸軍、海軍、OWI(戦時情報局)、OSS(戦略情報局)に心理戦を担当する部局が作られ、多くの社会科学とマスコミュニケーションの専門家が動員されていた。

 そのなかには、ラスウェルの他にハドレイ・キャントリル(プリンストン大学、コロンビア大学、ハーヴァード大学で教授を歴任)、ポール・ラザーズフェルド(コロンビア大学教授)などの一流学者たちの他に、ジョージ・ギャラップ(ギャラップ世論調査)、フランク・スタントン(CBS社長、CBSはアメリカ二大放送網の一つ)、C・D・ジャクソン(タイム・ライフ副社長)、エドワード・バレット(ニューズウィーク編集長)などアメリカのメディア企業トップもいた。

 これをみてもわかるように、アメリカは第二次世界大戦に入ったときから、軍事戦はもちろんのこと、政治戦にも心理戦にも重きを置き、最高学府の学者やメディア企業の幹部たちをそれらに動員していた。そして、アメリカ軍の幹部たちも、士官学校や幹部養成組織で心理戦を学んだ。

 アメリカの心理戦重視を如実に示すのが、真珠湾攻撃のあと大統領直属の情報機関として設置されていたCOI(情報調整局)をOWIとOSSに分割したことだ。ラスウェルの理論を踏まえて、OWIはVOA(アメリカの声、アメリカ軍のラジオ放送)などのホワイト・プロパガンダを、OSSはブラック・プロパガンダと非公然の工作を担当するという分業体制を敷いた。

 OWIは四四年七月に日本からサイパン島を奪取したあとそこからホワイト・プロパガンダを日本向けに放送した。同年末にはOSSが同じ施設を使って今度はブラック・プロパガンダ放送を始めた。
米軍が撮影した進駐直後の横浜市中心部 (横浜市史資料室提供)
 ダグラス・マッカーサー率いる太平洋陸軍にPWB(心理戦部)が作られたのは四四年の六月だった。この新設部局のトップにはOSSからやってきたボナー・フェラーズ准将が就いた。マッカーサーのOSS嫌いは有名だが、フェラーズは三〇年代にフィリピンに赴任したことがあり、このときの経験から三六年に「日本兵の心理」という論文を書いていたので適材だと思ったのだろう。

 だが、フェラーズの下でPWBを実質的に取り仕切ったのはウッドール・グリーン中佐だった。

 彼らは、ラジオ放送、新聞、宣伝ビラを使って、フィリピン人に対しては日本軍に対して抵抗に立ち上がるよう、日本軍に対しては、無駄な戦いはやめて降伏するよう、ホワイト・プロパガンダとブラック・プロパガンダを織り交ぜて心理戦を行った。

 PWBと関連する部局としてI&E(情報教育部)があったが、そのトップにいたのは、陸軍に入る前にNBC(アメリカ二大ラジオ放送網の一つ)で広告ディレクターをしていたケン・ダイク大佐だった。彼はPWBの仕事もしたが、投降してくる日本兵を殺さないようアメリカ兵を教育する講義を主として行っていた。この教育が徹底しないと、無駄な戦いはやめて降伏せよというアメリカ軍のプロパガンダが効き目をあらわさないからだ。

 アメリカ軍にもセクショナリズムがあり、陸軍と海軍、この両者とOWIとOSSの連携は良くなかったが、日本兵から得られた情報、とくに彼らがアメリカ軍の心理戦をどう受け止めたかについての情報は互いに共有しあっていた。

 太平洋陸軍が占領のために日本にやってくる前に、太平洋の島々やフィリピンなどの占領地で、すでにラジオ局経営や新聞発行などを行ってノウハウを蓄積していたことは注目すべきだ。つまり日本で行うことの予行演習をそれまでの占領地域で済ませていたということだ。

 グリーンもダイクも実際にラジオ放送や新聞を使って心理戦を行い、日本人捕虜と直に接して情報を得ることによって、日本人に対してどのようにすれば目指す効果が得られるのかを学んでいた。