小川榮太郎(文芸評論家)

 「安倍談話」について検討する「二十一世紀構想懇談会」の座長代理で、国際大学学長の北岡伸一氏は九日、東京都内で開かれたシンポジウムに出席した。講師の一人として参加した北岡氏は首相の歴史認識に関して、「私は安倍さんに『日本は侵略した』と言ってほしい」と述べた。

 北岡氏は「日本全体としては侵略して、悪い戦争をして、たくさんの中国人を殺して、誠に申し訳ないということは、日本の歴史研究者に聞けば九十九%そう言うと思う」と指摘した。(3月10日付朝日新聞)

 これを読んで、私は驚いた。読んだ瞬間、椅子から滑り落ちさうになつたと言つても誇張ではない。報道による不正確な歪曲かと思ひもしましたが、どうやらさうではないらしい。すぐ後にも氏は「私はもちろん侵略だと思っている。歴史学的には」と繰り返してゐる。(3月15日付朝日新聞)かうしてわざわざ「歴史学的に」などと注釈を付けられると、私も後に引けなくなる。何故なら、正に、「歴史学的に」こそ、日本の戦争の「全体」を「侵略」と断ずる事は絶対に不可能だからです。まさか、国際政治学の専門家である北岡氏が、その事を弁へてゐない筈はなからう。とすれば、北岡氏が、懇談会の実質上のリーダーといふ立場を寧ろ積極的に利用するかのやうに、敢へて繰り返し「侵略」と言ひ募つてゐる以上、そこには間違ひなく「歴史学的」ではない何らかの強い理由があるのでせう。が、それは私の関知するところではない。

「二十一世紀構想懇談会」の北岡伸一座長代理
 今、さしづめ私が大事にしたいのは、「議論を守る事」それ自体です。「議論」を「政治」――マスコミ、アカデミズム、外務省、アメリカなどの圧力――から守る事です。更に付け加へれば、私の言ふ「議論」とは、「侵略」だつたかなかつたかなどについて、意見を異にする陣営が、相手に届かぬ言葉で攻撃しあふ事ではない。

 今、我々にとつて本当に必要な事は、「侵略戦争」をしたと断じる事でもなければ、「侵略戦争」でなかつたと断じる事でもない。「悪い戦争」だつたと言ふ事でも、「良い戦争」だつたと言ふ事でもない。大東亜戦争に関しては、何十年もの間、戦争の評価を巡つて対立し続けてゐるばかりで、肝心の、議論の土俵そのものが一向に確立されてゐない。その事を確認し直す事で、神学論争そのものを打ち切り、日本の戦争を、もつとありのまゝ見詰め直す機会に、七十年の節目をする事こそが「議論を守る事」だと、私は思ひます。

 懇談会に先立ち、安倍総理は五つの論点を提示してをられるが、その第一は、「二十世紀の経験からくむべき教訓」でした。単純さうに見えて示唆的です。従来、かういふ時に政府が採る「先の大戦」といふ表現ではなく、敢へて「二十世紀」と括つてゐる。これは、日本の戦争を世界史の中で相対化するといふ方針に他なるまい。実際、世界史といふ過酷で複雑極まる舞台抜きに、日本の政治指導者や軍部、或いは特定の戦闘地域にばかり焦点を当てた歴史記述から、何と長い間、我が国は抜け出せないで来た事か。「二十世紀」といふ時間軸と「世界」といふ政治力学上の舞台を、しつかりと確立する事――これこそは、神学論争を止めて、新たな歴史認識へと我が国が成熟する為に不可欠であり、七十年談話発出に向けて民間が議論を深めるべき主題に他ならない。総理の提出された論点はそこを正確に穿つてゐる。

 そして、実は、その際最も邪魔になるのが、北岡氏が強調してみせてゐるやうな「侵略」といふ言葉の不用意な使用なのです。「侵略戦争」でなかつたと結論付ける為ではなく、議論の土台を築く為にこそ、この言葉が如何に有害か――今回はそこを中心に論じておきたい。

「侵略」概念がもたらす野蛮と残虐


 冒頭の北岡発言の問題は取り敢へず次の三点に集約されます。

 第一に、侵略の原語aggressionといふ語の、国際法上の特殊な語義を顧慮してゐないといふ歴史学的な誤り。

 第二に、鍵概念の日本語と欧米語の差異や、全体的な用語の不正確さによつて生じる戦争観の誤り。

 第三に、大東亜戦争のやうな多義的な戦争の性格を一義的に断定する誤り。

 以下、それぞれの観点から論じておきませう。

 「侵略」といふ概念の特殊な語義については、三月十七日付産経新聞の「正論」欄で、長谷川三千子氏が、「侵略=aggression」が、歴史的経緯から見て、「勝者が敗者に対して自らの要求を正当化するために負はせる罪のレッテル」以上でも以下でもない概念だといふ点を指摘してをられる。簡にして要を得た議論だから、詳細は氏の論考に譲りたいが、要は、第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約が、敗戦国ドイツに対して、aggression=侵略といふ言葉を用ゐた時、この言葉は、単に他国領土を野心的に侵すといふ本来の語義以上の意味、国際裁判で訴追され有罪を問はれるwar crime=戦争犯罪を構成する要件になつてしまつた。以来、純軍事学的に事実を指示するinvasion=侵攻に対して、aggression=侵略は、犯罪性を含意して今日に至つてゐます。事実としての侵攻を認めるのと侵略を認めるのでは、だから意味が全く違ふ。

 この状況を国際社会の合意として確立したのがパリ不戦条約です。不戦条約の第一条は、よく知られてゐるやうに、「国際紛争解決の為戦争に訴ふるを非とし」「国家の政策の手段としての戦争を放棄する」と書かれてゐる。要するに、自分の側から戦争を仕掛ける事を締約国に禁じた訳だ。ただし、現実の国際政治に纏はるあらゆる利害を考慮してゆく中で、結果的には、自衛戦争は容認される事になる。更に、米英を中心に、それぞれに固有の国益に関はる戦争は自衛だと主張され、承認されます。つまり、侵略戦争は戦争犯罪だが、自衛戦争は正しい。が、自衛か否かは各国に決定権があり、事実上は、強国が、侵略か自衛かについての仕切屋となる、この条約はさういふ構図を国際社会に作り出し、法理の細目はともかく、原理的には、九十年経つ今も、この戦争観が世界を支配してゐる。

 国際法の権威である大沼保昭氏は、かうした、戦争違法観の成立と展開を、それ以前の無差別戦争観に対する進歩と見做してゐる。主流の学界は当然さうなのでせう。

 確かに、国際社会で紛争を論じたり、糾弾する場が出来た事は進歩でせう。が、それは国際連盟や国際連合がまがりなりにも存在する事自体の成果であつて、戦争違法観が平和に貢献してゐるといふ話ではないのではないか。寧ろ、不戦条約以後の、良い戦争と悪い戦争といふ分類は、国際社会を、それがなかつた時よりも遥かに野蛮で凄惨なものにしたのではないか。
 パリ不戦条約以来の戦争観は、有名なクラウゼヴィッツの定義と真つ向から対立します。周知のやうに、クラウゼヴィッツは「戦争とは別の手段で行はれる政治である」とした。戦争を、政治が合理的、平和的に解決できぬ問題に対する代替的手段ととらへたのです。これは、戦争を国家の正当な権利と認める事だから、一定の危険は伴ふ。が、逆に、もし世界各国が、戦争を政治の下位に置くこのテーゼを原則的に了解してゐれば、戦争が、政治的成果を無視した不合理な総力戦や敵殲滅戦になりにくいのも確かでせう。

 勿論、不戦条約が登場したのは、第一次世界大戦によつて、このクラウゼヴィッツの原理が必ずしも機能しない――政治が戦争をコントロールし得ない事が明らかになつたからです。確かに、クラウゼヴィッツの原理は、運用の過程で、失敗も逸脱も行き過ぎも生じ得る。

 が、不戦条約の戦争観は原理的に残虐さを生む。

 戦争に正不正があるとなると、戦争は達成すべき政治目標といふ理性的指標を見失ひ、勝敗そのものといふ裸の力だけが全てを決する事になるからです。

 自分の戦争を侵略戦争だと宣言する馬鹿はゐません。誰もが、正当な理由を主張する。が、その主張が正当か否かは何が決めるのか。勝敗でしかない。まさか戦争をやつた挙句、第三者による裁判で、戦勝国の側の指導者が絞首刑になるなどといふ図がある筈がない。東条英機と並んで、トルーマンが原爆投下の罪で、スターリンが中立条約違反で絞首台に送り込まれるなどといふ事があり得る筈がない。かうして戦争は、侵略戦争の規定によつて戦争を抑止するといふ美名の下、結局、勝てば正義、負ければ犯罪者といふ近代以前の危険な賭けに逆戻りしてしまつた。侵略と認定されれば、そのまま戦争犯罪になる以上、戦争は死にもの狂ひのものになつた。

「侵略」によって隠された共産主義という災厄


 一方、二十世紀は、この不戦条約の戦争観と同時に、共産主義といふ怪物が席巻する時代でもありました。旧ソ連、中国を中心に、政治実験の犠牲者は数千万人を越えると言はれる。共産主義独裁による災厄は、間違ひなく、「侵略戦争」の被害の比ではなかつた。が、ソ連はアメリカや西側諸国との戦争で負けたのではなく、自壊してしまひます。中国共産党はトウ小平の改革路線によつて、冷戦崩壊を巧みに逃げきつた。つまり、彼らは敗戦したのではなかつた故に、歴史上最大の災厄とさへ言へる国家的犯罪を、免責されたままなのです。

 かうした二重に歪んだ二十世紀史の構造――敗戦国は戦争に負けたといふだけの理由で、犯罪の烙印を押される一方で、ソ連・中国といふ二つの大国の巨大な「人道に対する罪」が問責されぬままといふ――を助長・固定する概念こそが、「侵略」なのです。この鍵概念が持ち出されると、敗者は何一つ口が利けなくなる。そしてそれ以外の国は、「侵略」といふ鍵概念さへ呟けば、この敗者を無条件に黙らせる事ができる。そして、それが同時に、「侵略」認定国家以外が侵してきた世界史的な悪にとつての隠れ蓑になる。更には、慰安婦問題のやうに、今現に進行してゐる他の悪から世界の眼を逸らさせる便利な小道具にさへなる。

 我が国がなすべき事は明白でせう。何よりもまづ、我が国の戦争を、二十世紀の世界史全体の中で相対化する事だ。正当化するのではなく、構造的な歪みを極力除去する、それだけでいい。「あいつらも悪い事をしてゐたんだ、日本だけぢやない」などと幼稚な罪のなすりつけあひをする必要はない。世界史的な文脈で戦はれた戦争を世界史の中に位置づける、それだけでいい。

 そして、実は、その時にも又、最大の障害になるのが、「侵略」といふ概念なのです。ここまでで明らかなやうに、この言葉で自分の戦争を規定し続ける事は、戦争の客観的な性格の叙述ではなく、国際法上の極悪人の烙印を自らに押し続け、世界に宣言し続ける事だからです。「侵略」といふ言葉を不用意に使へば、それだけで二十世紀以来今日に至る国際政治の暴風圏に入り込んでしまふ。あの戦争を真つ新な気持で、新しい知の地平で捉へ直す事そのものが不可能になつてしまふ。

 ところが、政治家である安倍氏が、内外の圧力に屈する事なく、「侵略」概念に対して努めて距離を置かうとしてゐる時に、政治的圧力から議論の客観性を守るべき筈の北岡氏の方が、逆に、この用語の暴風圏に自ら率先して飛び込み、総理を道連れにしようとしてゐる――奇妙な光景といふ他ないのではないでせうか。