映画『日本のいちばん長い日』インタビュー


 太平洋戦争末期、戦争を終わらせるため闘った人々の姿を描いた映画「日本のいちばん長い日」が8月8日に公開される。終戦へ向け動き出す内閣と、徹底抗戦を叫ぶ軍部との間で苦悩する阿南惟幾陸軍大臣を役所広司さん、クーデター計画を模索する陸軍中央部の将校・畑中健二少佐を松坂桃李さんが演じている。 

 本作は半藤一利氏による同名原作の映像化で、1967年に岡本喜八監督が三船敏郎さんの主演で映像化して以来二度目となるが、当時は直接的な描写がなされなかった昭和天皇の存在を前面に押し出しており、演じる本木雅弘さんが”引き受けるか迷った”と語ったことも話題だ。 

 今回編集部では、監督・脚本を務めた原田眞人さんに、本作に込めた思いや、戦争映画の意義について話を聞いた。 

“再映画化”を決意するまで

―本作を改めて映画化しようと考えたのは、なぜでしょうか。 

 実はずっと昔からやりたかったんです。 

2015年8月3日、日本外国特派員協会で行われた映画「日本のいちばん
長い日」の記者会見に出席した原田眞人監督
 若い頃から岡本喜八監督のファンだったんですが、『日本のいちばん長い日』に関しては、18歳の頃に観に行って非常に失望した覚えがあるんです。今見直しても"なんで?"って思う所ばかりなんです。 

 一番の疑問だったのは、"戦争の終結"という時に、東條英機が何をしていたのかが描かれていなかったことです。確かに彼は最後の段階にはあまり関係が無いのかもしれません。しかし、東條を抜きにして、”戦争の終結”は描けないだろう、という思いがありました。 

 また、三船敏郎さんが演じていた阿南惟幾陸軍大臣が、クーデター計画の進行とは全く関係なく、ただ自分の美学を全うするためだけに死んでいるように思えたんですね。見ていて、18歳の自分なりに、"これって何だ"、っていう気持ちが強かったですよ。 

 さらに、岡本喜八監督はご自身が戦争を体験されていますから、本土決戦を主張するような連中は狂気以外の何ものでもない、という描き方をされることも分からなくもありません。しかし、資料を読めば読むほど、畑中健二少佐というのは非常に純粋な人間で、その純粋さが他の将校たちを引き寄せたんだろうとも思います。 

 もちろん1967年当時は天皇を正面から描けないという苦労もあったでしょうし、これはいつか誰かが別の形で描かないと駄目だなと思っていました。 

 でも、戦後50年の区切りのときに出るだろうと思ったら出なかった(笑)。60年になっても出なかった。そうこうしているうちに、2006年、昭和天皇が主役の映画『太陽』(アレクサンドル・ソクーロフ監督、イッセー尾形主演、露・伊・仏・スイス合作)が日本でも公開されたんですよ。 

 ただ、僕はイッセー尾形さんが演じた昭和天皇は"違うな"と思ったんです。昭和天皇の形態模写をしたことが話題になったけれど、本来は2時間という枠の中では、天皇の風格、ある種の神がかり的な部分を描かなければいけないんじゃないかと思っていたし、畏敬の念があったらそんなことはできないだろうと。あの時点から完全に、自分がやらなければいけない、という気持ちになっていました。 

 ただ、企画を受け入れてくれるところが無かったので、すぐに実現はしませんでした。それでも自分なりに準備はしておこうと、もう一度半藤先生の作品などを読み直したりしていました。やはり『日本のいちばん長い日』を描くためには、終戦の4ヶ月前、鈴木貫太郎が首相に就任する時点から描けないと行けないだろう、とか、資料をどんどん読んでいくうちに大体のイメージが固まって行きましたね。 

 そして2013年の秋、プロデューサーたちと企画を考えていた時、"再来年は戦後70年だし、誰かが『日本のいちばん長い日』やるんじゃないの?"っていう話をしたら、"そういう企画は無い"と。しかも、映画化権について確認したら空いていたんです。これは放っておく手はないんじゃないかと(笑)。 

 そして2ヶ月後の12月中旬には『駆込み女と駆出し男』(公開中)の製作準備もやりつつ、脚本を書くプロセスに入って。元旦も書いていましたよ(笑)。4月の上旬には『駆込み女と駆出し男』の作業もほぼ終わって、自分の意識も改訂稿に行けるなと。その改訂稿がほぼ最終版になっています。

「天皇を描く」ということ


―今回は、副題に「The Emperor in August」とあり、昭和天皇が前面に出ています。難しさはどんなところにありましたか。 

 僕が”ここまで描いても大丈夫なのか”、と思ったのは、やはり先ほど述べた『太陽』なんです。公開初日に銀座シネパトスに観に行くと、知的な感じのお客さんたちが観に来ていて、男女比は半々くらい、30〜40代を中心に、高齢者もいました。映画館に右翼が突っ込んでくるかもしれないってみんな緊張していました(笑)。もちろん何も起きなかったわけだけれど、そういうことを恐れていたから単館での公開だったんですね。でも、そのうちに広がっていって、結局はヒットしたわけです。 

 しかし僕は『太陽』を観て、先ほども言ったように、昭和天皇を魅力的な人間として描きたいという気持ちを強くしましたね。 

―海外の作品だからこそ、恐れずに描写することができたという意見もあると思います。 

 それは関係ないと思いますよ。近年では、いくつかの作品で、昭和天皇が描かれていますし。 

 一方で、アメリカでは天皇の戦争責任に言及する書籍が出ています。例えば、ハーバート・ビックスの『昭和天皇』は、10年かけてリサーチして書いた、かなりボリュームのある本なんだけれど、やはり最初から昭和天皇に対して、戦争責任があるという意識のアングルがはっきりしていました。

 半藤先生は、"大元帥としての天皇"と、"立憲君主としての天皇"と、その上にある、皇祖皇宗につながり、祭祀を司る"大天皇"と、「三つの顔」があるとおっしゃっています。誰がなんと言おうと、戦争を終わらせたのは"聖断"ですし、それが責任を全うした昭和天皇の姿なんですよ。そして、それを導くために、鈴木貫太郎という総理大臣が必要だったし、彼が死刑を覚悟で促してくれなければ、口を封じられてしまっているから、言えないわけですね。 

 昨年公開された『昭和天皇実録』を読んで、歴史学者の磯田道史先生は"天皇の存在は神殿の壁だった"と表現されています(「昭和天皇実録」の謎を解く (文春新書))。軍人はただ壁に向かって喋って、帰ってそれを作戦に移して行ったと。日中戦争以降、口を封じられていくプロセスの中で、ああ言っても駄目か、こう言っても駄目かと、どうすれば自分の意思が生きるのか、昭和天皇ご自身は模索を続けておられたと思います。 

 ですから、昭和天皇がなぜ東條英機を首相に据えたのか、その気持ちも分かる気がします。つまり、言わば"毒を以て毒を制する"という、木戸幸一内大臣からの示唆があったわけだけれど、”もうそれしかない”、というところまで状況は進んでしまっていたということなんです。東條が忠臣だったことは確かだったし、昭和天皇はあそこまで自分を騙すとは思っていなかったと思います。 

 だから僕はそのこともベースにして、『日本のいちばん長い日』を作るときには、やはり東條英機から始まる映画じゃないとダメだと思っていました。結局東條を3回登場させたけれど、東條が退場するシーンについては、史実として東條の進言に対して昭和天皇がどう切り返したのか、記録は残っていないんですよ。ただそれ以降、彼が口をつぐんでしまったことを考えると、よっぽどのことをされたんだろうと思ったんです。 

 それで、軍人が奏上に来た時には必ず最後まで立っていた昭和天皇が、椅子に座ってしまう、そして生物学者としての立場から切り返す。それで東條が仰天する、というシーンにしたんです。 

 プロデューサーたちからは、”あのシーンは落としたほうがいい”と言われたんですが、僕は"それではピースが欠けてしまう"と断固反対しました。この映画を海外に持っていった時に、昭和天皇を理解してくれるとしたら、この東條をやり込めるシーンなんじゃないかと思うから。それこそハーバート・ビックスが観ても拍手してくれるんじゃないかという気持ちで描いたんです(笑)。僕自身が思う、昭和天皇はああいう人であっただろうという、"愛すべき天皇像"を入れたんです。 

―侍従時代の鈴木貫太郎や阿南惟幾の回想シーンを挿入することで、昭和天皇と二人の信頼関係がどのようにして築かれたのかも理解しやすいですし、決断に至る背景もより深く理解できるように思いました。 

 角田房子さんの『一死、大罪を謝す 陸軍大臣阿南惟幾』や半藤さんの『聖断 昭和天皇と鈴木貫太郎』にも出てくる、侍従武官時代、阿南惟幾が昭和天皇に駆け寄り、捲れてしまった上着の裾を直すあのシーンは撮りたいと思っていました。 

 昭和天皇と阿南の関係を描くのに決定的だったのは、2003年、『ラスト サムライ』(エドワード・ズウィック監督、米)に出演し、楠木正成について考えた事だったと思います。

 戦前、軍人たちが正成やその家族たちの辞世の句を書き残して出撃していったという話があるんですが、それまで史料をいくら読んでも、その理由が実感として自分の中に入ってこなかったんですね。 

 それが、『ラストサムライ』に参加して、楠木正成に対する考え方が大きく変わったんですね。渡辺謙さんが演じた勝元盛次は、楠木正成だったっていうことなんです。 

 脚本には当初「Katsumoto」としか書かれていなくて、苗字なのか名前なのかもはっきりしなかった。それで謙さんたちとズウィック監督に聞きに行ったら「これは苗字だ。名前は考えてくれ」と言われました。「ただし、4音節でイニシャルは"M"じゃなければならない」と。最終的に色々と考えた中から「盛次」を監督が選んだんですけど、つまりは「勝元盛次」という名前は「楠木正成」という名前につながるということなんです。

 他にも調べていくと、勝元が死ぬシーンは正成父子の「桜井の別れ」の逸話をベースにしているし、最後にトム・クルーズが勝元の遺品である佩刀を明治天皇に渡すシーンも、楠木正成の佩刀(「小竜景光」、東京国立博物館蔵)を明治天皇が愛用していたことを踏まえています。 

 実はズウィック監督はハーバード大学でエドウィン・ライシャワー教授(元駐日大使)に学んだ人で、モチーフを日本の歴史から持ってきているんですね。 

 そういうことを僕らは知らなかったんだけれど、欧米人も感動させられる"楠木正成の精神"とはなんだろうと考えると、彼が単なる勤王家、忠臣というだけではなくて、家庭人だった、ということなんです。正成は自分の一族を守るために闘ったんですが、その"家長"の位置には後醍醐天皇がいたんだと思うし、彼にとって天皇は家族の一員だったんだと思う。これは阿南と同じではないかと思うんです。

「10代には絶対に観てもらいたい」


―登場人物が非常に多く、人間関係も複雑で、それを2時間に落としこんでいくことの難しさはありましたか。 

 それはもう主役たちの"家族関係"と絞り込んでいましたからね。必要最低限のものを押さえていく、ということで、ナレーションは入れない、ということを決めていたんですね。人名や肩書のサブタイトルもやめました。人名や肩書を書かれたって、今の私たちにはわからないと思ったから、会話の中でわかるようにしました。そこは懸案事項だったけれど、みんなが同意してくれたので。 

 ただ、女性の役割を出来るだけ入れたいなと。岡本監督版には鈴木貫太郎の奥さんが少し出てきただくらいだけれど、家庭人としての阿南さんを描く上では奥さんも大事だし、陸相官邸の女中さんも描きました。玉音放送を阻止しようとNHKの東京放送会館の中に畑中少佐らが押し入った事件では、副調整室にいた保木玲子という女性が要求を突っぱね、放送設備の電源を落としたことが功績ですから、それを戸田恵梨香ちゃんにやってもらって。侍従たちの中でも、女官長が強い、という風に描きました。極限状態の中でも女たちは強い、と。 

―日本では戦争映画を作ることの難しさがあると思います。 

 1973年にアメリカに住み始めて、現地の映画人たちと交流を始めた時に、ジョン・ミリアス監督に"日本の戦争映画の何がいけないかと言ったら、要するに謝罪の態度か、完全に振りきって右の方に行っちゃう。どうしてその間のニュートラルな感覚でできないのか"と言われました。"人間としての軍人を描く感覚が欠如している"、と。 

 戦争映画というのは、極限に追い込まれた時の人間の決断という、格好いいという意識ではないけれど、それが一番の魅力だと思います。そういう意味で、今回は昭和天皇も含めて"等身大"で描きました。 

―戦後70年ということですが、戦後50年だった1995年に比べると、映画やテレビ番組も含め、企画はそれほど多くはないように思います。 

 もうあんまり考えてもしょうがないという風潮になっちゃっているんじゃないかな。戦後50年の延長線上のような。だからこそ、今年はこの作品がフォーカスされると思います。 

 やはり今作って良かったと思うんですね。"18歳選挙権"みたいなことになりましたが、歴史は苦手だと公言しているような若者ばかりでしょう?少なくとも、1945年8月から始まった日本という国はどういう国なのかということを、この映画をきっかけにして、興味を持って学ぶようになってほしいと思います。だから10代には絶対に観てもらいたいですよね。 

―日本の戦争映画は謝罪という要素が強い、というお話がありましたが、最近ですと、国内外から"右傾エンタメ"というような批判的な意見も出てくる傾向があります。今回の作品についても、様々な意見が出てくると思います。 

 基本的な考え方として、謝罪は必要だと思います。ただ、当時の人間がどのような考え方をしていたのかを過不足無く描く、ということだと思います。 

 やはり、阿南惟幾が置かれた立場、心の相克というのは、(徹底抗戦を主張する人々を抑えるための)腹芸が面白いとかではなく、単純にハリウッドの名作と言われているような映画の主人公たちが抱えているアンビバレントなものと共通しているものだと思う。その意味で阿南に魅力を感じてもいるわけですから。 

―現代の観客でもそこはわかると。 

 わかると思う。だから腹芸がどうのこうのと言ったって、今の若者は全然付いてこないし、海外の人も付いてこないでしょう。 

 でも、阿南の置かれた立場、究極の選択を迫られている状況、しかも二つの家族の相克。これは若い世代であってもわかってくれると思う。 

 韓国や中国からも様々な見方が出てくると思いますが、僕はむしろ中国、韓国にも、尊敬できる映画人、監督達がたくさん居ますし、彼らが何と言うのか興味があります。作品が世界の映画人から色々な反応を得ていくことが楽しみでもありますね。

はらだ・まさと 1949年、静岡県沼津市出身。高校在学中に映画監督を志し、1972年、ロンドンに語学留学していた際、「キネマ旬報」で評論家としてデビューし、1973年からは、ロサンゼルスをベースに評論活動を行う。「スター・ウォーズ」「フルメタル・ジャケット」等の字幕・翻訳監修も手がける。近年の作品に、「クライマーズ・ハイ」「わが母の記」「RETURN」「駆込み女と駆出し男」など。