8月11日、川内原発が再稼働された。約2年ぶりの再稼働である。

 原発のコスト、安全性についてはここでは論じない。専門家でも意見が分かれる問題だ。おそらく、誰も本当のところがわからないのだろう。私のような素人が、したり顔で解説しても意味がない。

 再稼働反対派、および多くのメディアは「十分な避難計画と避難訓練がない」ことを問題視している。そして政府に対して、再稼働の中止を求めている。

 確かに、もっともらしい意見に聞こえる。ただ、これでいいのだろうか。

 政府が十分な避難計画を立て、避難訓練の機会を提供すれば、原発災害への備えは十分なのだろうか。そもそも、十分な避難計画や避難訓練とは何だろうか。

 私はこのような議論を聞いていて、当事者意識が欠けていると感じる。それは実際に原発事故が起こった場合、政府が出来ることには限界があるからだ。これこそ福島の教訓だと思う。

 例えば、福島では、事故発生後、相当時間が経つまで、誰も正確な状況を掴めなかった。政府はとりあえず、原発から20キロ圏内に避難指示、30キロ圏内に屋内退避指示を出したが、この判断は不適切だった。

 もっとも汚染された地区の一つに、原発30キロ圏外の飯舘村が含まれる。汚染は原発からの距離より、事故当時の風向きや天候が影響するからだ。結果論だが、政府の指示に従わず、独自の判断で避難した人が被曝を避けたことになる。結局、誰も被害を予想できなかった。

 結果的に政府の対応は不適切だった。ただ、これは政府が意図的にやったわけでも、怠慢だったわけでもない。原発事故後の現地の状況は流動的で、現場から遠く離れた霞ヶ関や県庁の人には原理的に分からないのだ。

 私が福島で活動して感じるのは、現地の人はマスコミが報じるほど、政府を信頼していないし、あてにもしていない。誰もが「実力がある人」を頼ろうとし、結果的にはそれが正しいことが多い。

相馬市の立谷秀清市長
 例えば震災直後、南相馬市の医療機関の経営者の中には、隣町の相馬市の立谷秀清市長にサポートを依頼した人が少なくなかった。

 立谷氏は実力がある政治家だが、同時に臨床医・病院経営者でもある。政府や県庁の役人よりも、現場の問題点を把握していた。

 例えば、政府からの支援が公立病院や避難所に偏る中、取り残された民間の医療機関・介護機関を重点的にケアした。この中には、立谷氏自身が経営する病院・介護施設も含まれる(そもそも相馬市の大病院は立谷市長が責任者を務める公立病院と、彼が理事長を務める民間病院しかない)。

 相馬地方で津波被害を受けた地域は、基本的に国道6号線の海側にある。この地域に住んでいるのは、主に漁業・農業・観光業の関係者だ。行政機関、学校、病院などは、国道6号より山側に位置し、津波被害を受けていない。震災後、国道6号や平行に走る高速道路が津波を食い止める防波堤の役割を果たしたためだ。江戸時代初期にこの地方を襲った慶長・元和の大津波からの復興のとき、ときの当主相馬義胤が山側、つまり現在の国道6号の山側への移転を推奨したと言われている。

 このため、震災直後、多くの医療機関や介護施設は通常通り営業した。ところが津波被害などで出勤できない職員がいたため、業務は困難を極めた。立谷氏はこのことを熟知しており、ボランティアでやってきた医師を、このような施設に配置した。現地を知り尽くした立谷氏ならではの対応だ。

『相馬市老健施設体験記』岩本修一(都立墨東病院麻酔科後期研修医)

http://medg.jp/mt/?p=1326


 立谷氏の活躍はこれだけではない。震災当時に立谷氏が下した指示の中には「棺桶と空き部屋の確保」だった。3月12日の朝までには旧知のネットワークを使い、確保出来たという。

 立谷氏は「この地域は山と海に囲まれて平地が狭い。空き家も多くない。双葉郡からの避難者、特に看護師などの復興に必要な専門家を受け入れるための住居を確保する必要があった」と言う。

 私たちが東日本大震災以降、相馬市内での活動の拠点としている「星槎寮」も、立谷市長が空室となっていたアパートを確保したものだ。東日本大震災以降、坪倉正治医師をはじめ、現地で活動を続けている医師の多くが、ここを住処、あるいは活動の拠点としている。

『相馬の星槎寮』細田満和子(星槎大学副学長)

http://medg.jp/mt/?p=1978


 これが原発災害後の被災地の実情である。結局、原発事故が起こったら、地元の人が頑張るしかない。

 物資の補給、自衛隊などの派遣、さらに復興予算措置など、政府の対策が比較的画一的であることと対照的に、現地では「あの寝たきりのお婆さんを避難させるべきか」、「いつ、どこから、どのようなルートで避難させるべきか」など、きめ細かい対応が求められるからだ。それが出来るのは、現地に精通した人々だけだ。

 相馬市の場合、それは立谷市長がリードする相馬市役所だった。ではなぜ、このような人材がでてきたのだろう。それは、この地域の歴史と深く関わっている。

 立谷という姓は、福島県浜通りと宮城県南部に多い。ルーツは相馬郡立谷村だという。そして、その祖は桓武平氏の流れを汲む千葉氏に仕えたという。千葉氏は、常胤(1118-1201)の時代に躍進する。石橋山の合戦で敗れ、安房に逃れた源頼朝に加勢し、鎌倉幕府の大御家人となったからだ。

 その後、常胤(1118-1201年)の次男である師常(1139-1205)は、現在の千葉県松戸から我孫子にかけての相馬御厨(荘園)を相続し、相馬氏と称した。1323年、一族の相続争いに敗れた相馬重胤が一族郎党を引き連れ、源頼朝から領有を許されていた陸奥国行方郡(現在の相馬地方)に入った。これが陸奥相馬氏である。この頃、立谷一族も相馬地方に入っている。そして、約800年かけて相馬の土地に根付いた。

 立谷家をルーツとする人々の集まりを紹介する「立谷ファミリー」のホームページによると、「江戸時代、立谷家のご先祖様は、廻船問屋を営んでいました。立谷するが分業して、『材木』『米』『雑貨』『海産物』およびその他の物資を江戸時代初期から、立谷一族が結束して商いをしていました。」という。立谷市長の実家は、相馬市原釜地区で醸造業を営んでおり、典型的な「立谷ファミリー」だ。

「立谷ファミリー」

http://blog.livedoor.jp/tachiyafamily/


 廻船問屋は物資とともに情報を流通する。上意下達では生き残れず、独自で判断することが尊重される。まさに、震災後の立谷市長の行動と被ってくる。

 話が随分と脇道にそれた。では、川内原発の再稼働はどうすればいいのだろうか。政府が再稼働を希望する理由はわかる。多くの知識人が反対するのも理解できる。

 このような状況で、私が重視すべきだと思うのは、地元の意向だ。少子高齢化が進む多くの地方都市の将来は暗い。原発を再稼働することで、地元経済を活性化したいと願う人がいるのは自然なことだ。

 ただ、福島第一原発の経験から、原発はときに事故を起こすことが明らかだ。最新式の原発でも、その可能性はゼロにはならないだろう。

東京電力福島第1原発事故で、福島県浪江町から避難した人らが暮らす仮設住宅=7月6日、福島市
 では、一旦、事故が起こったときに、どうやったら被害を最小限にし、いち早く復興できるのだろうか。それは地域力に依存する。つまり、地域の人材に依存する。

 その象徴が相馬市だ。原発事故被害にあった浜通り地方の中で、復興は圧倒的に速い。例えば、飯舘村の北に位置する玉野地区は高度に汚染されたが、住民は避難することなく震災前の暮らしを続けている。放射線による健康被害はなく、地元産業も復旧しつつある。政府の意向に従い、一斉に避難した地域とは対照的だ。結局、避難の是非は総合的トレードオフの判断だ。それは、当事者がすべきだし、当事者しかできない。

 そのためには、判断力がある人材の存在が不可欠だ。立谷市長は「地元の生き残りは人材育成にかかっている」と言う。

 つまり、原発再稼働を認めるか否かは、不慮の事故に対応できる人材を確保できるかにかかっている。そのためには教育に投資せねばならない。実は、人材育成は原発事故対策に有用なだけではない。地域再生にも結びつく。川内原発の再稼働は、このような視点も加えて議論すればどうだろうか。

 もう一度、繰り返す。原発再稼働のリスクをどうヘッジするか、さらにそのリスクに対して支払われる補助金を如何に活用するか。それは原発が設置されている地元住民が考えることだ。果たして川内原発の周辺では、どのような議論がなされたのだろう。我々は彼らの議論を待ち、その判断を最優先すべきではなかろうか。