有馬哲夫(早稲田大学教授)

 先の戦争を1945年(昭和20年。以下西暦は下2桁のみを記す)8月15日で終わらせるうえで決定的だったのは、8月6日と8月9日の二度にわたる原爆投下だったという説がある。一方、8月9日のソ連の対日参戦だと主張する研究者もいる。だが、大方は両方があいまった結果だったと考えられている。

 筆者はこれらの説のどれにも与しない。なぜなら、これらは必要条件ではあっても十分条件ではないからだ。

 8月9日に、2発目の原爆が投下され、ソ連が参戦したことを知ったのちも、最高戦争指導会議のメンバーと昭和天皇は、降伏するにあたっての条件について議論していた。それは国体護持という条件だった。日本が敗戦を受け入れ、占領を受けてもなお、将来にわたって日本として、日本らしく存続していくために最低限必要なものが国体護持だと考えられていた。これが護られないならば、戦争を継続するつもりだと昭和天皇は8月12日に開かれた皇族会議で朝香宮に明言している。

 ポツダム宣言を受諾しても、国体が護持していけると天皇が確信したこと、重臣たちがそれを支持して御聖断を下す状況が生まれたことこそが、8月15日に戦争を終わらせる決定的要因だった。つまり、天皇と木戸幸一内大臣、東郷茂徳外務大臣などの重臣にそのような確信を与えたインテリジェンスこそが終戦をもたらしたといえる。

 さらにいえば、天皇および重臣たちがこのような確信を持つに至っていれば、原爆投下がなくともソ連の参戦がなくとも、日本が降伏していた可能性は大だったといえる。

 本稿では戦争を終わらせたものは、原爆投下でもソ連参戦でもなく、ポツダム宣言を受諾しても皇室と国体の護持が可能であるというインテリジェンスだったという立場をとり、昭和天皇が御聖断を下すにあたってどんなインテリジェンスを得ていたのか、東郷などの重臣とどのようにそれを共有していたのか、それがいかに終戦に結びついていったのかという点に光をあて、終戦にいたる過程を新たに見直したい。

先帝陛下に逐一届けられていたアメリカ側の議論


 終戦時東郷の秘書をしていて昭和天皇とも接触があった加瀬俊一は、NHK国際放送ラジオジャパンの『終戦の条件を探れ』(91年8月15日放送)のなかで次のように証言している。以下のザカライアス放送とは、エリス・ザカライアス米海軍大佐がOWI(戦時情報局)に出向して行った対日ラジオ放送である。

 「ザカライアス放送というものは、やはり日本全土の上陸作戦を行わないで、適当に終戦に持っていけないかということで、日本をそこに誘導する目的で一種の心理攻勢をしているんですね。もう一つの狙いは、日本にももののわかる人物がいるはずである、すべての人が戦争気違いになっているはずじゃない。特に天皇陛下はお立場から言っても、戦争を早くやめることを希望しているに違いないと考えたんですね。これは正しいですね。そこで、何とかしてこの放送を陛下のお耳に入るようにしたいと(筆者註・ザカライアスは)思ったんでしょう。実は、お耳にはいっているんです。入るようにしたのは我々です」(傍線筆者)

 ここで加瀬は外務省職員の自分たちがザカライアス放送を天皇の耳に入れるようにしたと述べている。彼が独断でしたとは思えないので、東郷が関知していたと考えるのが自然だ。

 さらに加瀬は『日本がはじめて敗れた日』では次のように述べている。

「このように、無条件降伏を緩和または解明せよと(アメリカ側の)議論が、漸増しつつ、我が方の傍受所を通じて流入した。これらの報道は、適切な分析ののち毎日遅滞なく政府要路に配布された。このうちには、もちろん、陛下も含まれていた」

 加瀬はここで、無条件降伏を緩和せよ、あるいはそれが何を意味するのか明確にせよというアメリカ側の議論を紹介する報道が次第に増え、それが日本側の通信傍受施設に入ってきていたと述べている。そしてその報道は、分析されたのち文書にされて政府の重要な部署、なにより天皇に毎日配布されていたというのだ。とすると、ザカライアスの放送だけでなく国務長官代理のジョセフ・グルーが日本向けに出したラジオ声明も天皇や政府上層部に届いていたと考えていいだろう。

 この傍受施設とは外務省ラジオ室のことだ。ここには日系二世などが職員として採用されていてアメリカ側のラジオ放送や無線の傍受、翻訳を行っていた。

 とはいえ、ザカライアス放送やグルー声明が一足飛びに天皇や重臣たちに影響を与えたわけではない。

 5月はじめ以降戦争終結を求める機運が天皇およびその周辺で高まり、6月8日の木戸による「時局収拾の対策試案」の提示があり、6月26日のポツダム宣言の発出があり、そのあと8月9日に第一回目の「御聖断」、8月14日に最終的「御聖断」が下されたが、ザカライアス放送とグルー声明は、これらの節目ごとに効果を発揮した。

 また、実はこの敵性放送とともに、在外公館から送られていたインテリジェンスも重要な役割を果たしていた。なかでもとくに重要だったのはスイス公使加瀬俊一(前出の人物とは同姓同名の別人)からのインテリジェンスであった。これらのものが天皇と彼を支持する重臣たちに共有され、相乗的効果を発揮した結果、天皇の「御聖断」となったのだ。

「無条件降伏」とは


 そこで、最初の節目であり、日本が終戦へ向けて大きく舵を切る契機となった6月8日の木戸の「時局収拾ノ対策試案」からみていこう。この試案は次のように始まっている。

 「敵側の所謂平和攻勢的の諸発表諸論文により之を見るに、我国の所謂軍閥打倒を以って其の主要目的となすは略(ほぼ)確実なり。」

 つまり、敵側の発表や論文からみて敵の主目的は軍閥打倒であって、皇室を廃止する意向はないようなので、この際、和平を講じて皇室を護り、国体を護持したいというのが木戸の試案の趣旨だ。

 敵の主要目的が軍閥打倒であるという彼の判断は、直接にはザカライアス放送でも流されたハリー・S・トルーマン大統領の次の声明から来ている。

「軍隊の無条件降伏とは日本国民にとって何を意味するだろうか。それは戦争が終わるということを意味する。それは日本を破滅の淵に追い込んだ軍部の指導者の影響力が終わるということを意味する。(中略)無条件降伏は日本国民の絶滅や奴隷化を意味するものではない」

 注目すべきは「軍隊の無条件降伏」とし、日本政府および皇室の無条件降伏としていないことだ。つまり、無条件降伏するのは軍隊であって、日本政府でも皇室でもないといっているのだ。このことのダメ押しとして、無条件降伏とは軍部の指導者の影響が終わることだといっている。

 明らかに、軍部と皇室および日本政府を区別し、前者に責任を負わせ、後者にはそれを負わせないという意図が読み取れる。これを木戸試案は汲み取ったのだ。

 このあとの6月22日の会議で、天皇はきわめて強いイニシアティヴを発揮し、最高戦争指導会議のメンバーをしてソ連を通じて英米と終戦交渉を行う方針を決定させる。木戸と天皇の密接な関係を考えるとこれは連携プレーだったと考えられる。

 軍部と皇室および日本政府を分け、前者に責任を負わせて、後者を護るというザカライアス放送の考え方は、これらを全く区別せず、両者が一蓮托生だという考え方より、事態を収拾する案として良案といえる。

ソ連に仲介を要請した東郷外相の本心


鈴木貫太郎内閣の外相就任の記者会見をする東郷茂徳=昭和20年4月10日、外相官邸
 もちろん昭和天皇と木戸は敵性情報を鵜呑みにして行動を起こしたわけではない。彼らはザカライアス放送とは別の情報源からインテリジェンスを得ていた。それは、東郷が5月上旬から下旬にかけてヨーロッパの中立国の公使から得ていた「アメリカは日本の降伏条件をどう考えているか」というインテリジェンスだった。

 これらのインテリジェンスはすべて、アメリカが無条件降伏原則を貫くことを告げていた。

 日本側が終戦へ向けて舵を切るだけでも困難なのに、この上無条件降伏を飲むというのは、当時の状況ではほぼ不可能だった。そこで、天皇と和平派重臣は、日ソ中立条約を翌年に破棄することを4月24日に通告してきてはいるが、未だ中立国であるソ連を仲介として、無条件ではない、少なくとも皇室存続の条件付きの終戦を目指すことを考えた。このことは木戸試案の次の部分からうかがえる。

 「相手国たる米英とは直接交渉を開始し得れば之も一策ならんも、交渉のゆとりを取るためには寧ろ今日中立関係にあるソ連をして仲介の労をとらしむるを妥当とすべきか」

 東郷がソ連を仲介として終戦交渉を行う方針を立てたということは、しばしば誤った選択だったといわれる。この選択のため、8月9日までソ連の時間稼ぎにあったことが、原爆投下とソ連の参戦を招いたことはたしかだ。

 しかし、ザカライアス放送やトルーマンの声明(のちにはグルーの声明が加わる)は一貫してアメリカは無条件降伏方針を変えないと強調していた。そして東郷が在外公館から得ていたインテリジェンスでもこれは確認されていていた。これを踏まえれば、彼は間違った選択はしていないといえる。

 ザカライアス放送は、皇室や重臣たちに終戦を決意させたが、その一方で、在外公館からのインテリジェンスと相まって、ソ連を仲介としてそれを達成するという選択に彼らを走らせもしたのだ。

 5月初めころには、ソ連に終戦交渉の仲介を要請するには遅すぎるし、また危険すぎる、と繰り返し発言してきた東郷がこの選択をしたのは、決して最善と思ったからではなく、消去法でこの選択肢しかなかったからだ。

 東郷と同じ行動はスイス公使の加瀬俊一もとっている。OSS文書によれば、彼は45年5月11日にOSSの協力者となっていたフリードリッヒ・ハック(元日本海軍御用達のドイツ人武器商人)から接触を受けたとき、「ソ連を仲介として終戦を実現すると、ソ連のアジアでの権威が高まってしまうので、自分はアメリカと和平交渉がしたい」と申し出ている。

 ところがこの3日後に本国の東郷宛に長文の電報を打ったときは、ヨーロッパ情勢やソ連の参戦の可能性について分析しつつ、ソ連を仲介として速やかに米英と終戦交渉に入ることを勧告している。

 これは加瀬の外交官的二枚舌というより、東郷が陥っていたのと同じディレンマを示している。つまり、アメリカと直接交渉したいが、相手は無条件降伏しか認めず、皇室存続の確約もなかったため、国体護持という譲れない線をまもるためには、相当の危険を覚悟してソ連に仲介を頼むしかない。だが、本心ではアメリカと交渉したいので、ソ連の仲介が挫折する場合を考えて、OSSとのパイプも確保しておくということだ。

 実際、終戦の最終段階では、加瀬はこのOSSとのパイプを最大限に利用して東郷、そして天皇に御聖断に必要なインテリジェンスを送る。

国体護持をポツダム宣言から読み取った日本の外務省


 このあと東郷ら重臣と昭和天皇に大きなインパクトを与えるのは、言うまでもなく7月26日に発出されるポツダム宣言である。これはこの2人だけでなく広く日本政府の上層部に知れ渡った。

 注目すべきは、ザカライアス放送やグルー声明(7月21日ラジオで放送された。内容はほぼザカライアス放送と同じ)や在外公館からインテリジェンスを得ていたかどうかによって、この宣言の受け止め方が人によってかなり違ったということだ。松本俊一外務次官は次のように証言している。

 「われわれにとっては(ポツダム宣言は)突然の様でもあり、又当然来るものが来た様にも感ぜられた。何故かというとポツダム会議前からザカリアス少将の名で、無条件降伏の条件らしいものを連日に亘って放送させていたが、今回発表せられた宣言は少しきつくはなっているが、大体同じラインのものだったからである」

 松本の念頭にあったのは、とくに7月21日の放送だろう。この中でザカライアスはこういっていた。

 「(前略)日本の指導者には選択肢が二つあります。一つは完全なる破壊とその後の強いられた和平です。もう一つは無条件降伏で、これには大西洋憲章に書かれている恩恵がともないます。この二つの選択肢のうち無条件降伏だけが日本の平和と繁栄をもたすことができるのです」

 ここで言及されている大西洋憲章とは、敗戦国を含め、いかなる国であっても、領土保全と政体選択の自由が保証されるという原則をうたったものだ。

 ポツダム宣言には明示的に大西洋憲章の恩恵について述べた箇所はない。それに相当するのは第12条の次の部分だ。

 「日本国国民が自由に表明した意志による平和的傾向の責任ある政府の樹立を求める」

 日本国民が自由意思で平和的傾向の責任ある政府を樹立せよとは、命令形ではあるが、皇室の存続を含め、政体選択の自由を与えるということになる。ザカライアス放送とグルー声明を聞いていた、そして皇室存続のことが頭にあった松本にとっては、ポツダム宣言は「少しきつくはなっているが、(21日の放送内容と)大体同じラインのものだった」と読めたのだ。

 松本を含む外務省幹部は、このほかにもポツダム宣言を肯定的に受け止めさせる決定的なインテリジェンスを得ていた。

 スイス公使加瀬は、現地にいる国際決済銀行勤務の北村孝治郎と吉村侃に依頼して、やはり国際決済銀行幹部でスウェーデン人のペール・ヤコブソンを使ってOSS幹部のアレン・ダレスにアメリカが日本の降伏条件についてどう考えているかを7月14日と15日の両日にわたって聞き出させていた。そしてこの会談の要旨を7月21日に東郷宛に打電していた。

 そのポイントを要約すると次のようになる。

 1.イギリスは、ポツダム会議において、日本の皇室の維持に肯定的意見を述べるだろう。
 2.アメリカは故意には皇居を爆撃していない。
 3.アメリカはこれまでプロパガンダのなかで皇室と憲法を攻撃対象とすることはなかった。
 4.すみやかに無条件降伏を受け入れれば、それが皇室および国体を確保するベストチャンスになる。
 5.アメリカ世論に好印象を与えるもっとも確実な方法は、天皇が無条件降伏を受け入れるというリスクを取ることだ。

 この電報は7月23日に東京の東郷に届いている。つまり、ポツダム宣言が発出される3日前だ。

 東郷をはじめとする外務省の幹部は、ザカライアス放送とグルー声明とこのインテリジェンスによって、アメリカは明示的に皇室存続を条件として提示こそしないが、ポツダム宣言に「日本の降伏条件を定めた声明」という名称を与えていること、宣言のなかで日本に政体選択の自由を認めていること、そして皇室に言及していないことから、皇室を存続させる意向を持っていると判断した。