『別冊正論』24号「再認識『終戦』」より

迫水久常(元内閣書記官長)

終戦できたのは天皇陛下のおかげ


 私が今日お話をしようと思いましたことは、終戦ができましたことはまったく天皇陛下のお陰であるということを申し上げたいと思うのでございます。

 鈴木貫太郎内閣ができましたのは、昭和二十年の四月七日であります。当時の習慣によりまして、総理大臣の歴任者、いわゆる重臣と称する方々が集まって、小磯内閣の後の総理大臣の候補者として鈴木大将を推薦された(註1)のを陛下がご嘉納あそばされまして、大命が降下したわけであります。

 組閣直後、鈴木総理大臣は非常に慎重でございまして、戦争を止(や)めるということは決しておっしゃいませんでした。東郷(茂徳)外務大臣の入閣が一応一日遅れたんでありまするが、それは東郷外務大臣が鈴木大将に「あなたが戦争を止める気ならば、自分は外務大臣になる」とこう言う。「どうしても鈴木大将は戦争を止めるとおっしゃらない。だから入閣はしないんだ」ということで、東郷外務大臣が頑張られたのであります。私は何回か東郷外務大臣のお宅にお伺いしまして「総理大臣の顔をご覧なさい。あの勇気の持ち主でありますから、戦争をするにせよ、止めるにせよ、鈴木総理大臣をご信認になって入閣してください」ということを、私はお願いに行ったことを覚えております。

東條英機内閣、小磯國昭内閣に次ぎ昭和20年4月7日に発足した鈴木貫太郎(前列中央)内閣。後列中央が迫水久常
 総理大臣は組閣直後、「直ちに日本の国力の真相を究めるように」というご下命がありました。陸軍、海軍、企画院、そういうようなものが本当の材料を持ち合って検討をいたしました結果、日本が組織的に経済を運営し、また、行政というものを全国統一的な立場でできるのは、昭和二十年の九月いっぱいという判定をしたのです。

 そういうことで九月を過ぎると日本の経済は断片的になる。行政も断片的になる。そのために鈴木内閣では各地方総監府というものを設置することを決めたのでありまするが、したがって戦争も組織的にはできずに、ゲリラ的になってしまうことになるだろうという判定を下したのが、四月の末であります。

 国際情勢の判断においては、ソ連がソ満国境に兵力を集中しておるが、ドイツの戦争が終わった後、ソ連は復員することなく、ソ満国境に兵力を集中し始めまして、その態勢の整うのはおおむね九月、こういうのが陸軍の判定でもありまして、何としても九月いっぱいまでには戦争を終結しようということをご決心になったのが、四月の末だと思います。

天皇制維持と民族一体が条件


 爾来、いろいろご腐心になりましたが、鈴木総理の胸中には二つの条件を考えておられたようであります。その一つは、国体の護持であります。天皇制は絶対に確保する。もう一つは、民族一本の姿で戦争を終結しなければならない。こうお考えになったことです。

 陸軍がどうしても戦争を止めないと頑張っておる以上は、あるいは戦争を止めることはできても、軍と民との間の内乱的な状態になったり、軟派と硬派との間の分裂が起こったりすることのないように、民族一本の姿で戦争を終結することができるようにしたい。この二つが戦争終結の条件であるとお考えになりましたから、どうしてもきっかけを探さざるを得なかったのであります。

 六月二十二日という日は、われわれは忘れることのできない日であります。この日、天皇陛下が総理大臣、外務大臣、陸軍大臣、海軍大臣、軍令部総長、参謀総長の六巨頭(註2)をご内面になりました。この六巨頭は、最高戦争指導会議というものを構成しておって、日本の最高の意思を決める機関であります。内閣書記官長、陸軍省軍務局長、海軍省軍務局長及び内閣総合計画局長官の四名がこの最高戦争指導会議の幹事という立場に立っておったのであります。

 最高戦争指導会議の構成員たる六巨頭をお呼びになりまして、本土決戦ということについてのお話がありました。いろいろ奉答を皆申し上げたんですけれども、最後に天皇陛下から「これは命令で言うのではないが、懇談の立場で言うのであるが、自分の希望としては、戦争を一日も早く止めるように工作してもらいたいということを希望しておる」というお言葉が、六月二十二日に、この最高戦争指導会議構成員の会合においてお言葉があったのであります。

 これで、日本の方向は決まりました。しかし、阿南陸軍大臣は、もしそのことが下の方に漏れるというと、あるいは異常な事態が起こらんとは限らん。クーデターが起こる恐れがある。二・二六事件を上回るクーデターが起こって、天皇陛下ご自身を秩父宮様とでも代わっていただこうという者も出てこないとも限らない。厳重にこのことは極秘にしておいて、六人だけで工作を進めていきたいと阿南陸軍大臣がご希望になりましたもんですから、その含みでやったのであります。

昭和14年に起きた満洲国とモンゴ人民共和国の国境紛争「ノモンハン事件」で日ソ間の緊張が一気に増した。写真は関東軍陣地(防衛研究所所蔵)
 それ以後、六人の巨頭はしばしば会合をされました。そうして遂に、ソ連に仲裁を頼むということを決めたのであります。

 私は、東郷外務大臣が非常にそれに反対をされたことを覚えております。どうしても仲裁が必要と考えるならば、むしろ蒋介石に仲裁を頼む方がいいんじゃないかということを東郷外務大臣は言われたのであります。しかし、陸軍はおそらくソ満国境の状態が緊迫しておって、むしろこの際ソ連に仲裁を求めることのほうが、ソ満国境から侵入してくることを未然に防ぐ一つの手段になると考えたんだろうと私は判断しますが、非常にソ連に仲裁を頼むことを主張しましたので、近衛文麿公をソ連に特派して、そうしてソ連に仲裁を頼むことを決めたのであります。

 ソ連はそのことについていろいろなことをサウンドしてきたことは事実でありますが、四月十五、六日になりまして、モロトフ及びスターリン(註3)は、ポツダムの会議に出席をするからベルリンに行くと、日本からの要請には、ポツダムから帰ってきてから答えをするということを言い残して、モスコウを後にしてしまいました。

 政府は非常に焦慮して、佐藤尚武大使に、できるならポツダムに追っかけて返事を取れということまで指令したのでありますが、そのことは遂にできませんでした。

「無条件降伏」は日本軍へのもの


米軍は広島に原爆を投下・炸裂させ、その様子も航空機から撮影した
 ポツダム宣言が出ましたのは、その直後であります。七月二十六日、突然としてポツダム宣言が出てまいりました。英国、米国、中華民国の三国の署名であります。東郷外務大臣は、このポツダム宣言が出ましたときに、その次の閣議において「これは今までのアメリカの言ってるのとは全く違う。今までアメリカは、国家として無条件降伏を要求しておったのに対して、八個の条件を掲げておる。そうしてその条件を日本国政府が呑むならば、戦争は終結しようという条件付きの戦争終結の提案の形になっておる。

 これを受諾することによって、日本国の存在がなくなることはない。日本国は、厳重に主権を保持しつつ戦争を集結し得ることであるから、ポツダム宣言を受諾しよう」と言われたのであります。

 「アンコンディショナル・サレンダー(unconditional surrender)」(無条件降伏)という言葉は、八番目の条項に「日本国政府は、あらゆる日本の軍隊が無条件に降伏するように処置をせよ」というような表現で「アンコンディショナル・サレンダー」という言葉が出てきた。

 すなわち、軍隊の無条件降伏ということが一つの条件ですが、国家としての無条件降伏を要求してるのではない。そこで東郷外務大臣、非常にこれを受諾すべきことを主張されましたが、閣議においてはソ連に仲裁を頼んでいるのに、ソ連からの返事を待とうじゃないかということで、しばらく様子をみようということに決定をいたしたのであります。

 八月六日、広島に原子爆弾が落ちました。それで原子爆弾であるということが確定しましたのは、八月八日であります。

 この日、総理大臣は、明日九日、朝から閣議を開いて正式に終戦のことを論議する。原子爆弾が出現したる以上、原子爆弾を持てる国と持たざる国との間には、戦争は成立しないということは、陸軍もこれを認めるだろうし、国民は必ず皆これを承認するであろうから、もう公式に終戦のことを論議してもいいんじゃないかというお考えであります。

米軍は広島に続き長崎にも
原爆を投下した
 私がその準備をしておりますうちに、九日午前二時、ソ連の宣戦布告を聞いたのであります。

ソ連の非道な裏切りに全身の血逆流


 私は、そのときのことを今考えても全身の血が逆に流れるような憤激を感じます。日ソ間に日ソ不可侵条約(註4)というものが厳として存在しておったのにかかわらず、ソ連は日本からの仲裁申し入れに対して一言(いちごん)の返事もしないで、いきなり戦争をしかけてきました。

 当時、スターリンは、後でわかったことでありますが、モスコウにおいて「この日本に対する宣戦布告は日露戦争に対する報復である」という演説をしていることは、皆様ご承知のとおりであります。

 八月九日の午前十時から閣議が開かれました。原子爆弾の落下、それにソ連の宣戦布告という致命的な二つの事実を前にした閣議でありまするから、閣議の方向は自ずから決まりまして、ポツダム宣言を受諾することによって戦争を集結すべしという議論になったのであります。

 しかし、阿南陸軍大臣は「陸軍としてはそれに同意ができない。このままここで戦争を集結することになれば、国体の護持について我々は確信を持てない。どっかアメリカ兵を一遍負かした機会において戦争を集結することなら別であるが、今この段階でこのまま戦争を集結することは不同意であるというのが陸軍の意思である」と非常に強調されました。

 そうしてとうとう夜の八時になった。閣議不統一ということは、内閣が総辞職をしなければならない一つの原因であります。夜の八時ごろ閣議を休憩しまして、鈴木総理大臣が総理大臣室に帰られました。