富坂 聰(拓殖大学教授)

「先治標 再治本!」(まずは表面に見えている「悪」を叩け。次に問題の裏側にある「巨悪」に迫れ!)

 中国広東省書記・胡春華の号令のもと、東莞市のあちこちで待機していた6525人の警官が一斉に動き出した。そして、あらかじめ内偵しておいた12の風俗店になだれ込んだ。警官のあとには、大きなテレビカメラを抱えた記者たちが続く。

 2014年2月9日の午後3時――。いまも“東莞の36時間”と中国で語り草となっている史上最大規模の大捕り物の幕開けだった。

 同じ日の夕方7時、黄江鎮にある有名な五つ星ホテル「太子酒店」を警察が取り囲んだ。このホテルで行なわれていた売春行為が問題になったとテレビのキャスターが興奮気味に伝え、その後ろでは私服警察に手を引かれ顔を隠した組織の関係者が映っていた。男女10人ほどのグループで、そのまま警察車両に押し込まれていった。

 この摘発の様子は、全国の番組で生々しい映像とともに放送された。

 東莞市の実態を知らなかった多くの中国人は、このニュースを見て初めてこの街が“性都”と呼ばれる大歓楽街になっていて、それを狙い撃ちしに当局が鉄槌を振り下ろしたことを知ったのだった。

 中国で売春など違法な風俗店が取り締まられることを“掃黄”という。“掃黄”は、これまでも大きな会議が開催される前や国際的なイベントで外国から人びとが集まるタイミングで行なわれてきた。

 だが、東莞市という地方都市を対象にした“掃黄”が全国ニュースで扱われるようなケースはけっして多くはなかった。この動きに政治のにおいを感じ取った中国人は少なくなかったはずだ。

 そして翌10日になると摘発の全容が明らかになった。午後5時56分に広州市政府新聞弁公室の運営するミニブログ上で発表されたのは、「手入れの対象となった施設は計1948カ所。捜査対象となって身柄拘束された人数は162人」という報告だった。

 動員した警察の数も異常なら、一日でこれだけの施設と人数が対象になるというのも前代未聞だ。

 だが、時間が経つにつれて明らかになっていったのは、この“掃黄”は東莞市だけを対象にしたものではなかったということだ。広東省だけでもホテルやカラオケ、ナイトクラブ、サウナなどの娯楽施設が約18000カ所にも上り、その結果、売春に関わったとして計920人が逮捕されたという。

 さらに、この摘発の波は上海を経て哈爾浜まで北上していったのである。

 今回、警察が売春撲滅に強い執念を燃やしていたことは、従来ならばけっしてしなかった逃亡した関係者の指名手配にも踏み切ったことでわかる。東莞市の手入れで異変を察知して逃亡したのは51人。店の経営者がほとんどだが、彼らに対しメディアを通じて「徹底的に追い詰める」とコメントする警察の姿勢は、逃亡した面々の罪の軽さから比較して不思議な印象を与えていた。

 唐突な摘発の裏には政治の動きがある――。

 人びとの予感は、すぐに現象となって裏付けられることとなった。

 東莞市で党員の規律を取り締まる規律検査委員会、市の監察局、検察院の反腐敗局、反涜局、そして公安局規律検査委員会という五つの組織から成るチームが結成され、今回の東莞市の売春問題で裏の利益を得ていた党幹部や売春あっせん組織の“保護傘(後ろ盾)”となっていた有力者たちへの本格的な追及が始まったからだ。

 同時に、あのお堅い『人民日報』(党中央機関紙)がわざわざ「(東莞摘発の)是か非を問う」と題する社説を掲載したのである。党中央機関紙が「是」か「非」を問うというのは、すなわち「態度を鮮明にせよ」と呼びかけているのだ。つまり、どっちに付くか旗幟鮮明にせよと迫っているのだ。裏では大きな衝突が起きていることも予測させた。

 結果、2月14日には広東省党委員会常務委員会が、東莞の問題に対する責任を追及するためとして厳小康・東莞市副市長兼公安局局長を法律に則って審査し、罷免する決定を下したと発表した。最初の大物の失脚である。罷免の理由として常務委員会は、「(厳は在職期間中に)職責を正確に履行することなく、東莞市に性風俗の乱れをもたらし、内外に対する東莞のイメージを著しく悪化させた」と発表した。

 このほか広東省は、「領導幹部の“黄(ポルノ)、賭、毒(麻薬)”に関する職務怠慢に対する暫定規定」に従い、盧偉琪・東莞市党委員会副書記兼副局長、黎志輝・東莞市中堂鎮党委員会書記を免職にしたほか、中堂鎮、黄江鎮、虎門鎮などのそれぞれ公安系統の幹部らを一斉に免職としたのである。

 このあと、北京の人気都市報には、摘発対象となった問題ホテルと処分された地元公安幹部とが癒着していた決定的証拠として、贈り物リストなるものの存在が明らかにされ、豪華な贈り物の内容までが詳細に紹介されたのだった。

 これまで寛容な目で見逃されてきた社会の“緩み”が、ある日突然厳しい取り締まりの対象にされ、容赦のない捜査のターゲットにされた挙げ句、その次の段階として権力者への責任追及が始まり、地元の権力をわが物顔で振るっていた人物が堀のなかに落ちていく……。

 この日、東莞で起きたことは全国で繰り返されていたことの縮図でもあった。習近平が総書記就任以来行なってきたいわゆる「反腐敗キャンペーン」であり、「贅沢禁止令」である。

 党の規律を整えるという意味で使われる中国語の「整風」は、徹底してやれば必ず経済発展とのあいだにゼロサムの関係に陥っていく。じつは、そのことが最も顕著に表れたのも東莞でのことだった。

習近平は「毛沢東の再来」か


“性都”と呼ばれた東莞では、性風俗産業は地元経済にとって大きな貢献のある産業であった。メディアの報道のなかにも、東莞の風俗産業が稼ぎ出す付加価値は東莞市全体のGDPのおよそ15%にも匹敵するとの説を唱え、その経済効果を約500億人民元(約9800億円)と見積もるところもあった。

 それに加え、東莞という街には性風俗で働く女性たちとのあいだにウインウインの関係ができていたと語る者も少なくない。

「じつは東莞の商業施設の経営者たちは大いに喜んでいたんだ。というのも彼女たちの消費は街の景況をはっきり左右するほどだったからね。街のネイルサロンや高級ブティック、宝石店、美容室、スパ、高級中華レストラン、マッサージ店なんかは、ほとんど彼女たちの消費を当てにして回っていた世界なんだよ。

 さらに、彼女たちが直接のお客さんじゃなくても、彼女たちに引き寄せられて中国全土から集まってくる観光客などの消費も大きい。ホテルはもちろんのこと、高級レストランにとってはありがたい存在なんだよ。つまり、口には出せないけれど、公安の一斉摘発に対しては、『なんて余計なことをやってくれるんだ』って不満に思っている者はこの街には少なくないんだ」(東莞でかつてKTV〈カラオケが併設された連れ出し店〉を経営していた男性)

2014年4月4日、夜の街を巡回する警察官。2月の
大規模摘発以降、多くの店が営業停止状態になって
いるという
 当局がこうした生産力を否定してまで「整風」を選んだ一つの理由は、そもそも性風俗で遊ぶという贅沢は、中国の経済発展のなかで利益の恩恵から見放された膨大な人口の農民や出稼ぎ労働者たちにとって、触れることもできない世界で、文句は出ないと考えたからだった。

 事実、これまで習近平が全国で行なってきた「反腐敗キャンペーン」では、高級酒や高級たばこ、そして高級レストランといったすべてが壊滅的な打撃を受けた。高額商品を扱う店の多くが閉店に追い込まれたが、ネットのなかでこの現実に対して不満が噴出することはなかった。

 習近平支持の圧倒的な声に支えられ、政権は安定し、習近平は党内で圧倒的な地位を築くことに成功した。習近平を「毛沢東の再来」と称える声も少なくない。

 習近平が胡錦濤から中国の経営を引き継いだとき、この国は社会不安を抱え爆発寸前であった。3人以上が集まって起こす暴動や抗議活動などの群体事件は年間20万件から30万件にも達するとされ、温家宝は「文化大革命が再び起きる可能性がある」とその危機感を語り、胡錦濤は、「もし改革を進められなければ亡党亡国(党も国も滅びる)」と警告した。

 習近平も同じように危機感を前政権から引き継いだのである。

 胡錦濤から習近平に指導者が交代した党大会では、指導部の警戒が高まった結果か、その異常なまでに神経質な警備の様子が話題となった。

 天安門広場に近づくタクシーは、窓を開けられないように回転式のハンドルが取り外された。また、この時期に子どものためにラジコンのヘリコプターを買おうとした男性が、身分証を出さないかぎり売らないと店主から断られたことがニュースにもなった。

 中国指導部が何かを極度に恐れていたことは間違いない。

 では、その恐れは何に対してだったのだろうか。それはいうまでもなく不満をもった国民である。

 中国の抱える問題をごく単純化していうのであれば、それは自らが経済発展のなかでつくりだした格差問題を解消する機会もないまま、高速の経済発展の時期を過ぎてしまったことだろう。

意図的な労働者の賃金抑制


 中国の30年続いた経済発展を支えた主役は安価で良質な労働力であった。そして労働力を沿海部の都市に提供してきたのが、農村である。

 本稿で取り上げている東莞は、まさにこうした農村からの出稼ぎ労働者が最も多く流れ込んだ代表的な都市の一つだ。

 香港や台湾の投資家が目を付けて投資し、最初は労働集約型の典型的な産業から、次々に高付加価値の産業の誘致を成功させて、2段、3段ロケットのように上昇を続けてきた。

 製造業に訪れたこの発展の波に乗ることのできた中国人――工場経営者など――は、この時期に大きな富を手にしたとされる。

 そして産業の高付加価値化が進むにつれ、都市周辺に不動産を有していた中国人――都市戸籍の恵まれた一部の人びと――は、不動産の含み益で大きな資産を得ることになった。彼らのアドバンテージは、都会に不動産をもつことができたという幸運だけである。

 こうした人びとの大きな特徴の一つに、フローは小さいのにストックが異常に高いというものがある。ちなみに、いま日本に来て「爆買い」する中国人の多くはまさに彼らのような富裕層であるともいえるだろう。

 一方、外国からの資本呼び込みで圧倒的な貢献をした農村からの出稼ぎ労働者は、この時期に最も苦しい労働を強いられたにもかかわらず、それ相応の所得を得ることはできなかった。

 これは地方政府と沿海部都市の政府が結託してそうしたことが原因である。

 沿海部の都市は労働者の賃金が安いという外国企業を呼び込む強みを失いたくないため労働者の賃金を抑制し、意図的に熟練工をつくらない対策を採ったといわれている。すなわち、数年間で必ず新人と入れ替えるやり方である。

 これは労働力の供給側にとっても「よりたくさんの人に出稼ぎの機会を与える」という説明が立ち、便利であったのだ。

 一見すればウインウインのようなこのやり方は、結果としてさまざまな問題を残すことになってしまった。

 たとえば、単純労働とはいえつねに素人しかいない労働現場では私語が絶えず、工場での事故で指や手を失う労働者が広東省だけで年間3万人も出ていたと報じたメディアもあったのである。

 さらに深刻なことは、経済発展が一つの段階を終え、中国が低速成長の時代を迎えたとき、最も経済発展に貢献した労働者が蓄えから見放されていたという状況に直面してしまったことだ。

 これは労働者が主役との建前を掲げた社会主義国では、致命的な問題となっても不思議ではない。

「本当の悪を暴いてくれ!」


 こうした事態に習近平は、総書記就任から間もなく指導部を大きく左に傾けることで対応しようと試みた。

 それが「整風」であり、官僚主義との戦いであり、具体的には「反腐敗キャンペーン」であり「贅沢禁止令」であったのだ。

 トラもハエも叩く――。

 そんなスローガンを掲げて始まったキャンペーンは看板どおりに元最高指導部メンバーの周永康を血祭りに上げて、人びとの度肝を抜いた。

 これをたんなる権力闘争として説明できないのは、これまで習近平は、毎日約500人の官僚に対して何らかの処分を下し続けていることを見てもわかる。

 これに大衆が熱狂している証拠として、多くの事件の入り口が、「挙報(密告)」であることが指摘されている。中規委と監察部によると2013年の1年間に寄せられた情報提供件数は延べ195万件に達し、事件に絡んで処分された党員は18万2038人だったというのだ。つまり習近平の試みは概ね大衆の支持を得ていることになる。

 しかし、このミニチュア版として行なわれた東莞の摘発は、意外にも不評であった。

「そんな弱い者いじめをする暇があるなら、本当の悪を暴いてくれ!」「もっとほかにやることがあるだろう」、こんな指摘がネット上に溢れたのである。

 こうした現象を見ても、いまのところ習近平に期待を寄せ、一枚岩に見える大衆も、少し指導部がハンドルを誤れば強い言葉で攻撃を始める可能性を秘めていることがわかるのだ。

 10年の任期の4分の1を終えた習近平は、中国を激変させたという意味では大きな成果を認められている。だが、この3倍の時間を中国のトップとして経営していくためには、左傾化という政治の痛み止めだけではなく、それぞれの国民の懐を本気で温めなくてはならない。それを、低成長時代を迎えた中国ができるのか、本格的な正念場となるのはこれからだろう。


とみさか さとし 1964年、愛知県生まれ。ジャーナリスト。北京大学中文系中退。週刊誌記者を経て独立。1994年、第1回21世紀国際ノンフィクション大賞(現在の小学館ノンフィクション大賞)優秀作を『「龍の伝人」たち』(小学館)で受賞。近著に『中国は腹の底で日本をどう思っているのか」』(PHP新書)、『中国 狂乱の「歓楽街」』(KADOKAWA)がある。