純丘曜彰(大阪芸術大学教授、美術博士[東京藝術大学])


 ある国のスーパーが、その国の有名レストランに30個の弁当の手配を依頼したら、その中の8個からバラバラになったゴキブリの死体が出てきた。あ、ゴキブリあるか、それ、よくあることよ、いまときゴキブリ無いレストラン無いね、シロウトが生意気言ってプロに口を出す、よくないことよ、だいいち担当者のあなた、ちゃんとキックバック渡した忘れたか、と逆切れされ、ああ、そうあった、と、8個だけ除いて、これでもうもんたい無いね、これ、いま世間で話題沸騰のゴキブリ弁当よ、と、残り22個を客に売り続けている。おまけに、そのレストランが、今度、国賓晩餐式の饗応をすることになっているとか。さらには、その国のさまざまな企業が、商品からなにから、なんでもそのゴキブリレストランのマークをつけて、世界中にばらまき、外国人たちをおもてなししてくれるとか。でも、私は、そんな衛生観念と職務モラルの低い国へは、立ち寄りたくもない。

 戦後、オリンピックは拡大の一途をたどってきた。その商業ビジネスとしての収入源は2つ。放映権と協賛権。世界中の家庭へのテレビの普及とともに、放映権は法外に高騰したが、東西統一も終わり、チャンネルも過剰で、もはや頭打ち。そこで、協賛権が主軸となりつつある。そのしくみは、オリンピック委員会がエンブレムの商標権を握り、各分野の各企業に「オフィシャル・スポンサー」としての独占(寡占)的使用を認め、その売上の5%(基準以上は7%)を納めさせるというもの。くわえて、帽子やタオルなど、エンブレムそのものの使用も、数千億になる。参加することに意義がある、とされるオリンピック。一般の人々も、テレビで見るだけでなく協賛企業の商品を買うことで、平和の祭典、国家と選手の名誉を賭けたフェアプレーの戦いに参加して応援することができる。そのエンブレムのついた商品を身近に置くことで、選手たちと、そして、世界の人々と一体になって、人間として誇らしい気持になれる。

 ところが、今回、それが、あのゴキブリ・エンブレムだ。誰だってオリンピックを応援したい気持はやまやまながら、あんな黒いゴキブリ印は、生理的に無理。とても嫌な感じがする。汚らしい。穢らわしい。なにより不潔だ。あまりに不吉で、自分まで不幸に呪われそうな黒いゴキブリ。金と銀の足が夜中にカサコソと動き出して、きみの手の上に登り、パジャマの中にまで入り込んで来る。きみに、多種多様の救いがたい病原菌をなすりつけ、触覚をピロピロさせる。おまけに、突然に羽を広げて飛び上がり、きみの顔をめがけて襲い掛かる。考えただけでも寒気がする。あまりに気味が悪い。

私(純丘)が見た東京オリンピックエンブレムの印象
 企業にしても、同じだ。せっかく苦労して素敵で魅力的な商品を作っているのに、そこにわざわざ高い協賛金を払って穢らわしいゴキブリ印を隅に付けさてせいただき、あえて売上を落とそうなどというバカな会社があるだろうか。申しわけないが、私も昨日、スーパーに行って、ちょっと飲み物を買おうと思ったとき、あ、これも、あのヨントリーだったのか、と気づいただけで、なんだかぞぞぞっと背筋に悪寒が走り、そっと棚に戻してしまった。もっと露骨に、あのゴキブリ・マークがついているメーカーのものだったりしたら、手にしたとたん、驚いて商品を床に落としてしまっていたかもしれない。

 オリンピックは儲かる。選手たちが自腹を削り、人生を賭け、名誉と栄光のために一心不乱に日夜、練習に打ち込んでいるときに、彼らを客寄せパンダにして一儲け企んでいる連中がいる。彼らはオリンピックという祭典に潜り込んだゴキブリだ。おまけに、今回、その彼らのゴキブリ印は、じつは、いまだ商標権が取れていない。俺たちのゴキブリ印を使うなら金を寄こせ、という話は、現段階では、まったく法的な根拠すら無い。ヤクザのユスリタカリと同じ。こんな出費根拠不明のゴキブリ連中にカネを出したら、コンプライアンスが成り立たない。経営者たちは株主代表訴訟を喰らって、個人個人で賠償責任を負わなければならなくなる。おまけに、ひょっとするとマークの本当の所有者はもっと他の別の人で、その本来の白い蝶の幼虫マークの正規の使用料として、後からまた莫大な懲罰的賠償金を課せられてしまうかもしれない。

 いったい、こんな危うい話に誰が関わるだろうか。ゴキブリ連中がでかい顔をしていられるのも、超巨大予算の目途があればこそ。だが、連中は、あまりに強欲すぎて、オリンピックを成り立たせている根幹のビジネスモデルそのものまで、今回、自分たちで喰い荒らしてしまった。ここまでやつらが「天狗に乗って」、国民感情と国際心象を逆なでし続けるとなると、いっぺん、バルサンでもがっつり焚いて燻蒸し、一網打尽に連中の「巣」ごと退治しないと、話はもう収まらないのではないか。