安倍晋三首相(59)は1月25日から3日間の日程でインドを訪問し、シン首相(81)と会談した。安倍首相は現地で記者団に「インドとの安全保障関係が格段に強化される」と述べ、同月27日には、国家安全保障局(NSC)の谷内正太郎局長(70)がインドの国家安全保障顧問と初会談した。海上自衛隊とインド海軍は両国間や、米海軍も交えた3カ国の共同演習を実施する。

 日印が安保協力を推進するのは、軍事的に台頭する中国が悩みのタネだからだ。地政学的にも、インドは、日本や中国と中東地域を結ぶ海上交通路(シーレーン)の真ん中に位置する。

 インドとの関係は尖閣諸島の防衛に直結している。万一、尖閣をめぐって日中が衝突すれば、日本のシーレーンは中国潜水艦に脅かされる。米第7艦隊の役割は大きいが、インドの動向も重要だ。中国にとってもシーレーンは大切であり、日印協力が中国の無謀な軍事行動を抑止する効果を期待できるかもしれない。

 日本は今後、インドに加え、米国、豪州とも協力してシーレーンの安全を保っていかねばならない。その点からも集団的自衛権の行使容認は欠かせない。

独立に寄与

 インドは親日国だ。天皇皇后両陛下の昨年のインドご訪問は温かく迎えられた。昭和天皇の崩御でインドは3日間の喪に服し、インド国会は広島原爆忌の8月6日に毎年黙祷(もくとう)を捧げている。

 極東国際軍馬裁判(東京裁判)では、インドのパール判事が1948年、被告全員を無罪とする判決を書いた。49年には、首相だったネルーが日本の子供たちを励まそうとゾウのインディラを上野動物園に贈ってくれたエピソードもある。

 親日の背景には、アジア解放を掲げた大東亜戦争がある。インドは47年にイギリスから独立したが、それに最も寄与した国は日本だった。

 44年3月、ビルマ(現ミャンマー)方面の日本軍はインパール作戦を開始したが、インド国民軍(INA)6000人が加わっていた。多大な損害を出した無謀な戦いとの文脈で語られる作戦だが、「自由インド」「デリーへ」が合言葉のインド解放を目指す戦いでもあったと知る日本人は今、どれだけいるだろうか。

 日本は、マレー・シンガポール攻略戦で捕虜にした英印軍の兵士に呼びかけ、INAの編成を図った。兵力4万5000人のINAを率いたのは自由インド仮政府首班になった独立運動家のチャンドラ・ボースで、日本はアンダマン、ニコバル両諸島を領土として贈った。

 ボースは45年8月、飛行機事故で亡くなったが、インドでは独立の英雄として尊敬を集め、国会にはガンジー、ネルーと並んで肖像画がある。

 戦後、イギリスはINA将兵を反逆罪で裁判にかけ、インド支配を強化しようとした。これに憤激したインドの民衆や兵士が反英闘争に立ち上がり、多くの死傷者を出しながら47年に独立を勝ち取った経緯がある。

共に戦った歴史

 INAと日本軍の共闘が、インド独立につながったことは、47年当時15歳だったシン首相も知っているだろう。

 安倍首相は第1次内閣当時の2007年の訪印時に、コルカタ市内のチャンドラ・ボース記念館を視察している。一方、今回の日印共同声明、共同記者発表、首脳会談のブリーフィングでは日本とインド独立をめぐる歴史の話題は出ていない。

 首脳外交の場で、今や安保面で連携する英米との過去の戦争を持ち出すのは得策でないのだろう。1つの外交判断だ。それでも日本人は、インドとの間に共に戦った貴重な歴史があることは覚えておいた方がいいように思う。
(論説委員 榊原智)