川本三郎(評論家)

《徳間書店『AMERICA 1955 林忠彦写真集』より》

 飛行機のタラップに立って見送りの人たちに手を振るミス・ユニバース日本代表の高橋敬緯子と、その隣りの林忠彦。二人の笑顔が明るく、晴れがましい。

 昭和30年(1955)。日本にアメリカ文化は押し寄せてきていたが、当時、実際にアメリカに行くことが出来る人間は限られていた。だから、この時代、飛行機のタラップで手を振る姿は、特別な、誇らしいものだった。海外旅行が当り前になってしまった現代ではもうよほどの大スターでもなければこういうことをしないが、アメリカが遠かった時代には、特別な儀式だった。

 林忠彦が乗り込む飛行機は、日本航空のもの。戦後、日本は連合国軍(実際はアメリカ)に占領されていた。自国の航空会社を持てなかった。ようやく日本航空が設立されるのは、対日講和条約が調印された昭和26年(1951)のこと。翌年、対日講和条約が発効し、日本は占領時代を脱し、独立国に復帰する。もうオキュパイド・ジャパンではない。

 羽田空港が国際線の空港として再出発するのが昭和30年の5月。林忠彦は直後の7月に新しいターミナルビルから日本航空の飛行機に乗り込んだ。

 タラップの出発風景をとらえたこの一枚の写真の背後には、そうした新しい日本がある。日本の社会はようやく戦後の混乱期を脱し、復興に向かっている。翌年には経済白書が「もはや戦後ではない」と謳う。
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 タラップの林忠彦の笑顔には、新しい時代の明るさを感じさせる。ミス・ユニバースに代表を派遣する。日本の社会にも余裕が生まれてきている。

 今回、林忠彦のアメリカ滞在中の写真をまとめて見たが、まず何よりの特色は、明るいことだろう。季節が夏ということもあって陽光はまぶしいし、人々の表情も屈託を感じさせない。カメラを覗く林忠彦自身の気持が明るいからに違いない。

 「遠いアメリカ」「憧れのアメリカ」に来ている。その高揚した気分がどの写真にもあふれている。はじめて目にする豊かな社会に対する驚きが想像以上に大きかっただろう。確かに表面的な写真ではあるが、あの時代、はじめてアメリカに足を踏み入れた人間として、まさにその表面にこそ魅了されている。ニューヨークの表面というべきショウウィンドウの写真など、「ぴかぴかのアメリカ」に驚嘆している当時の一日本人の初々しさを感じさせる。

 ついこのあいだまで、焼跡と闇市のカストリ時代を体験した林忠彦が、豊かなアメリカに圧倒されたことは想像に難くない。後年、こう語っている。「飛行機がサンフランシスコ上空にさしかかった途端に、こんなに裕福な国と戦争をしたのか、無謀なことをしたものだと愕然としたよ」(岡井耀毅『評伝林忠彦』)。正直な感想だろう。
芝生で若い夫婦が幼ない女の子とくつろいでいる写真がある(p.15)。ロングビーチだろうか。女の子が母親とキスをしている。芝生に寝そべっている父親がその女の子を抱き上げている。微笑ましい。偶然見かけた家族を撮ったものだろうが、林忠彦の得意とした「演出写真」のようにも見える。

 この写真には、明るさがあふれている。実際、1950年代のアメリカは第二次世界大戦の勝利国として明るく、豊かな「グッド・イヤーズ」を謳歌していた。ドルは世界でいちばん強い通貨だった。

 アメリカは1929年の大恐慌以来、経済不況、そして第二次世界大戦とハードな時代を体験してきた。それがようやく終わって、平和が戻ってきた。

 とくに1953年に朝鮮戦争が事実上終わってからは、アメリカ社会は世界に類のない繁栄を誇った。他方で、冷戦の脅威はあったが、経済的には順風満帆だった。
当時のアメリカ人が何よりも大事にしたのが家庭だった。戦争から戻ってきた若者たちが結婚し、新しい家庭を持った。子供を作った。いわゆるベビーブーマーの時代である。

 若い夫婦と子供の写真には、50年代アメリカの明るさ、幸福がある。この家族はもう一枚の写真にも登場している(p.15)。郊外住宅地のささやかな家にビニールのプールを置き、夫婦が幼い女の子を遊ばせている。これはもしかしたら「演出」がほどこされているかもしれないが、林忠彦が、アメリカの明るさの核に家族の幸福を見たことは確かである。

 アメリカの豊かさは、物質的なものだけだったわけではない。もう戦争は終った。若者たちが故郷に戻ってきた。そして家庭を持った。その平穏にこそアメリカの豊かさがある。

 日本でものちに放映されるアメリカのテレビのホームドラマ、「パパは何でも知っている」や「うちのママは世界一」が大人気になったのは、当時のアメリカ人が、家庭こそ幸福の場と考えていたからに他ならない。

 林忠彦はそこを正確にとらえている。この若い夫婦は、決して金持ではないだろう。それでもなんと幸福そうなことか。

 ニューヨークに行っても、林忠彦の目は家族に向けられる。通りをうしろ姿を見せて歩く家族連れ。買い物帰りだろうか、この家族も金持ではないだろうが、ささやかな休日を楽しんでいる様子がうかがえる。

 公園のブランコで遊ぶ三人の子供をうしろから撮った写真も動きがあっていい。大都市のなかで子供が遊んでいるのは、その町が安全なことをあらわしている。また、50年代のアメリカが子供を大事に育てていたことのあらわれでもある。

 夏のニューヨークの風物詩だった、消防用の水で子供たちが裸になって遊ぶ姿も幸福感にあふれている。屋台の並ぶ庶民的な通りを、四人の子供たちが手をつないで歩いてゆくところをうしろから撮った写真も可愛い。あるいは、若い母親が双子をベビーカーに乗せて歩いている写真。現代のニューヨークにこんなに子供がたくさん観られるかどうか。

 林忠彦はさらにコニーアイランドにも足をのばす。ニューヨーク市ブルックリン区南端の大西洋に面した砂浜の大遊園地。

 19世紀になってからニューヨークの人間たちの夏の遊び場所としてにぎわうようになった。東京における湘南海岸にあたる。一説にホットドッグはここから人気が出たという。

 何よりもここは、家族の憩いの場所である。子供連れが夏の休日を過ごす。林忠彦は、ここで自身、休日を楽しむような明るい気持でさまざまな人間をとらえている。

 玩具の銃を構える女の子。名物のボードウォーク板張りの遊歩道)を歩く若いカップル。砂浜で寝そべる若い四人の男女。降り出した雨の中を走る黒人のカップル。ワンダー・ホイール(大観覧車)と、その乗車券を売る男。ベンチで休憩中の黒人の男の子(左手に靴磨きの道具が見える)。

 ここにはのち1960年代にあらわれてくる「病めるアメリカ」はない。まだ平穏なアメリカが林忠彦によってとらえられている。降り出した雨もすぐに止むに違いない。林忠彦は、いちばんいい時期のアメリカに行き、「グッド・イヤーズ」を見たことになる。

 冷戦の緊張はあったものの、アメリカには中産階級という社会層が生まれ、小市民の暮しを慎ましく楽しんでいる。当時の大統領、共和党のアイゼンハワーは第二次世界大戦の英雄とはいえ、退役軍人であり、「いつもゴルフを楽しんでいる大統領」と愛されていた。愛称をもじって「アイ・ライク・アイク」が選挙のキャッチ・フレーズとなり、二期を務めた。

 林忠彦は、若い夫婦や家族の姿に、50 年代の良きアメリカの幸福を見ている。そこには日本人としての羨望の思いもあっただろう。

 写真のなかのアメリカ人は、大金持でもないし、極端に貧しくもない。ごく平均的なアメリカ人と思われる。林忠彦は彼らにこそ共感している。当時の日本には、まだ彼らのような普通の中産階級が育っていなかったのだから。

 少しく驚く写真がある。コニーアイランドの通りを黒人の母親が二人の女の子を連れて歩いている。三人ともおしゃれをしているのは、休日のおでかけだろう。この写真に驚くのは、50年代のアメリカは黒人差別が強かったから。それでも、こういう黒人の家族のおでかけがあった。その当り前さは、前述した、雨に降られてあわてて走り出した若い黒人のカップルの写真にもあらわれている。
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 明るいアメリカ。幸せなアメリカ。もしかしたらアメリカ人の写真家よりも、日本からやってきた、かつての敵国の人間である林忠彦のほうがはるかにそれに敏感だったかもしれない。アメリカ人から見れば、あまりに当り前で普通に見えたことが、ついこのあいだまでカストリ時代を経験した敗戦国の人間には、とても貴重な、特別な風景に見えた。

 無論、アメリカのかげりを感じさせる写真も何点かはある。「ヒロシマ」と書かれたプラカードを持った平和運動らしい小さなデモ。ホームレスか、あるいは酔払いか、上半身裸で路上に座り込んでいる男。左足が義足の老人(p.103)。公園のベンチで眠り込んでいる黒人の若者。山積みになった廃車(車の墓場)。

 ただ、林忠彦は、それを社会派風に「このアメリカを見よ」と大仰にはとらえていない。あくまでも、これも普通のアメリカのひとコマだとしている、カメラと被写体とのあいだに穏やかな距離感がある。覗いてもいないし、冷たく観察しているのでもない。いわば自分もまた町を歩く一人の歩行者として自然にとらえている。

 まだアメリカが遠かった時代に、圧倒的な大国に行き、これだけ普通の感覚を保ち続けていたことに驚かされる。

かわもと・さぶろう 評論家。1944年、東京生まれ。東京大学法学部卒業。朝日新聞社を経てフリーの評論家に。著書に『大正幻影』(サントリー学芸賞)、『荷風と東京「断腸亭日集」私註』(読売文学賞)、『林芙美子の昭和』(毎日出版文化賞・桑原武夫学芸賞)、『白秋望景』(伊藤整文学賞)、『マイ・バック・ページ』、『いまも、君を想う』、『サスペンス映画ここにあり』など多数。また訳書にトルーマン・カポーティ『夜の樹』、『叶えられた祈り』などがある。