石井孝明(経済・環境ジャーナリスト)


 8月11日、九州電力の川内原子力発電所1号機(鹿児島県)が実に4年3カ月振りに再稼動した。午前10時30分に原子炉内の核分裂反応を抑える制御棒を引き抜き、原子炉を起動させると、午後11時に核分裂が安定して続く「臨界」に到達した。同社は「これまで以上に緊張感をもって、安全確保を最優先に今後の工程を慎重に進めてまいります」とコメントし、9月上旬の営業運転開始を目指す。

 再稼動に先立つ7月8日、記者は同発電所で原子炉に燃料を装荷する作業を見学した。すると、原発構内では不思議な光景があった。
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九州電力川内原発1号機の原子炉容器に装荷される燃料集合体

 プラント設備に新しいワイヤーなどが取り付けられていた。そして巨大な金属製の檻(おり)があった。これは何か。別の機会に現地を視察した東京工業大学の澤田哲生原子炉工学研究所助教に聞くと「竜巻対策、地震対策の設備。おそらく邪魔になるだけだろう」と解説してくれた。

 原子力規制委員会が求めた新規制基準では天災への対応が強化された。ワイヤーや檻は地震や竜巻で主要設備が壊れないようにするためのものだ。同原発では国内で観測された最大規模の風速毎秒100メートルの竜巻に耐える対策を行ったが、発生確率は極めて低い。

 公開された審査資料を読むと、規制委の事務局である原子力規制庁の担当者は、対策を九電に「やれ」とは明示していない。また法律の規定もあいまいだ。どこまで対策が必要か具体的な範囲を設定すると事故時に責任問題になるために、原子力事業者側が「自発的に」対策したことになっている。

 他の原発でも、規制委は明確な指示を出さないことがある。中部電力浜岡原発(静岡県)では津波対策として巨大な防波壁を作った。規制委側の指示はなかったが、自主的に決めた。高さは14~16メートル、海抜22メートルで「万里の長城」を連想させるほど壮観だ。この対策を規制委側は高く評価したが、同社内部からは「やりすぎ」(営業幹部)との声が聞こえる。この費用は約3000億円以上という。
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浜岡原発の防波壁。高さは14~16メートル、海抜22メートルで「万里の長城」を連想させるほど壮観だ
 「ゴテゴテプラント」。規制対応で過剰な設備がつけられた今の日本の原発を専門家はこう形容する。「リスクゼロを求めるおかしな規制が多すぎる。工事の手間、費用と時間のコストを考えなければならないのに」と、澤田氏は批判した。

 「原子力発電を使いたくない。けれどもすぐゼロは難しいので、当面は安全に運営してほしい」。これが福島原発事故を経験した日本人の平均的な考えだろう。しかし規制の内実を見ると、首をかしげることだらけだ。

10万ページの申請書類


 福島原発事故の反省から、原子力規制委員会は2012年9月に発足。政治の介入を受けない「独立行政委員会」となった。そして規制をめぐる約180もの法改正、政令、省令、規則の改正を行った。これらは総称「新規制基準」と呼ばれ、従来規定になかった重大事故や天災への対応などの規制も整備された。
川内原発では覆水タンクなどを竜巻から守るため金属製のネット(中央左の格子状の建物)が設置された
 新基準に基づく審査は遅れ、混乱している。規制委の田中俊一委員長は、「審査は原子炉1基、半年で終わる」と当初述べたが、2年経過して終わったのは1基のみ。法令上は稼働しながら審査することが原則だが、規制委は法的根拠のないまま、基準に合格した原子炉から再稼動を認めると表明した。

 再稼動の遅れで電力各社の経営は悪化し、電力料金は2~3割上昇した。震災以降、火力発電の燃料代は14年度で余分に約4兆円かかったと推計される。また10電力の新基準の対応費用は推計2兆5000億円だ。一連の巨額負担によって得られる安全と支出のバランスを、負担者である私たち電力消費者は検討する必要がある。

 審査の状況も、おかしさを感じるものだ。「事業者と私たちは対等ではない。こちらの決定を受け止めるべきだ」。規制庁の定年間際のノンキャリアの管理官(課長補佐クラス)が、記者説明で感情的に吐き捨てた。活断層をめぐり、事業者の反論を受けた後の言葉だ。

 「人員も予算も限りがある。審査を続けられない」。規制部長がこう述べて、「もっと話を聞き、慎重に判断してほしい」と要請する事業者との会合を打ち切る場面が頻繁にある。許認可権を持つ当局側がコミュニケーションを拒否し自分の意見を押しつける。上から下まで規制庁には、奇妙な「お上意識」があるようだ。

 日本の官僚機構の宿痾(しゅくあ)は、書類好きの形式主義とされる。規制委・規制庁も同じだ。事業者が規制委に提出する書類は正式なもので8~10万ページになる。扱う書類はその数倍になり、それを各社社員がトラックを連ね運ぶ。規制庁の役人は書式の間違い、誤字脱字があると、書き直しを求める。どの会社でも社員が総出で、書類の読み直しをしている。

 書類は電子化すればいいし、他国ではそうだが、日本は紙にこだわる。「書類で原子炉が安全になるとは思えない。ばかばかしくなる」と、ある電力会社の社員はつぶやいた。

非科学的な審査の実態


 事業者と規制当局は、立場は違えど「原子力の安全」という目指す方向は同じであるはずだ。ところが両者は不幸な対立関係に陥っている。
東日本大震災から原発再稼動までの道のり
 規制庁と事業者のやりとりは、非科学的なものが多い。当局が事業者に何をすればいいのか明確に言わないことが頻繁にある。そこで業を煮やした事業者が自ら災害レベルの想定を引き上げ、過剰対策をすると、規制庁は認めることがある。

 特に基準地震動の設定が長引いている。これは原発やその周辺で想定される地震の最大の揺れだ。規制委はこの問題で、過剰な安全性を求める。

 関西電力は7月、美浜原発3号機(福井県)の安全審査で、基準地震動の前提となる震源断層の深さを「4キロより深い」から「3キロより深い」に見直した。深度が浅いと、地震の想定振動は大きくなる。

 関電は同社の3つの発電所共通の手法で震源断層を推定。美浜だけは「4キロより深い」と導いたが、規制委は「他と同じ深さになるべき」と主張。科学的な根拠は示されなかったが、関電は結局、規制委の意向に従った。九電川内原発の審査でも同様に基準地震動の引き上げを求め、同社が応じたところ、ここが優先審査の対象とされた。

 意図を明確にしない規制行為は、細かな事でも存在する。ある原発では火災対策で、重要な場所に火災報知器を設置している。すると規制庁は「この場所につけない理由は何だ」と聞いてきた。そこは安全に関わる重要な設備が置かれていない場所だった。しかし、電力会社は言外に「ここに置け」と命じられたと推量し、設置場所を増やしたという。

「責任逃れ」と「朝礼暮改」


 原子炉は現代の工業技術の粋を集めた設備だ。原子炉、地震、配管、発電設備、防災・防火などの専門が細分化し、審査も各分野ごとに行われる。ところが審査担当官の能力差が著しい。優れた担当者もいれば、「素人で一からこちらが原発の構造を教えなければならなかった。規制庁は寄り合い所帯で、初めて審査を担当する役人もいる」(ある電力会社)という例もある。
注水ポンプ車は竜巻に備えてワイヤーで固縛されている
 そして事業者が規制庁の審査の特徴として挙げるのは「責任逃れ」だ。上司の言うことに過剰に反応し、責任を事業者側に押しつけ「朝令暮改」が繰り返されるという。福島事故の後に規制当局は「規制の虜(とりこ)」、つまり専門性のある事業者に取り込まれたと批判された。それゆえに今は事業者に厳しい態度を示しているのだろうが、その審査には安全性を合理的に追求したとは言い切れないものも多い。判断が審査官の裁量で左右されて行政が権力を振り回しているように見える。

 結果、事業者に規制当局への不信感が広がる。「基準を示してほしい。それに合わせる」。ある電力会社の担当者は不満を訴えた。しかし、これは危険な考えだ。原子力の運営で、規制に合わせることが目的になってしまうと、安全を向上させる意識が薄れてしまう。

 事業者側にも問題がある。規制委・規制庁のおかしな主張に対し、現場の実態を理解してもらう取り組みを尽くしていない。米国では1979年のスリーマイル島の原発事故の後で事業者が業界団体をつくり、技術情報の共有、規制当局との交渉、原発の安全性評価など国民への情報公開を行った。それがきっかけで規制内容は修正されていった。しかし、日本の事業者の動きは鈍い。規制側に主張するという発想が現場にも経営陣にもないのだろう。

 規制庁をマネジメントするのが規制委、つまり5人の規制委員の役割だ。民主党政権の人事で田中委員長が任期5年で選ばれた。炉の安全性審査は更田豊志委員長代理、地震関係は石渡明委員が担当する。彼ら3人は研究者で民間の原子炉を運営、管理したことはない。各委員は事務局の行動を追認、そして規制の混乱を放置している。

 田中委員長は、審査の遅れと混乱について、政治家やメディア、事業者から批判を受けているが、具体的な改善に動かない。彼は「原子炉の安全性のみを考える」「判定は安全について保守的に行う」と繰り返す。

 規制委側も状況のおかしさは認識しているようだ。退任した元幹部に非公開の勉強会で話を聞いた。この人は「素人が多く審査に慣れていない」「法律上の根拠がない規制が行われている」「審査の遅れは深刻だ」と、現状を正確に分析した。「では、なぜあなたは問題を正さなかったのか」と聞くと「自分の担当ではないし、スタッフがいなかった」などの弁解をした。高級官僚によくある責任逃れの体質を持つ幹部が、規制委の運営にかかわっていた。

 日本の規制の混乱は国際的に連携する原子力専門家の世界でも不思議がられている。福島事故前から日本の規制行政は、米国の追随が多く、科学的な分析が足りず、国際的な評価は低かった。今回の長期停止も「動かしながら新基準の工事をすればいいのに」と不思議がられているそうだ。長期停止によって事業者は損害を受けるし、運転員の技量低下や動かしてわかるプラントの不具合の見落としなど安全に関わる問題が発生しかねないためだ。

 日本の規制をめぐる国際的な評価の低さを示す例がある。日本原子力発電の敦賀発電所2号機の下に活断層があるとした規制委の判定に、同社は猛反発し、地質学の世界的権威である英国シェフィールド大学のニールチャップマン教授に審査を依頼した。同教授は「原電の主張が正しい」「日本では専門家と事業者と行政の対話が必要だ」とした上で、世界の地震研究の中心的な学会誌である米国地球物理学連合学会誌「EOS」(14年1月発行)に論文を掲載した。

 ところが規制委はこれを無視した。ある地震学者は「一流の学者におかしいと言われたのに日本というガラパゴスにいる規制委と周辺の学者は自分の姿に気づかないのだろう」と嘆いた。

安全文化を醸成するには


 「過剰に設備をつける」「リスクゼロを求める」。規制委が行う取り組みは一見良く見えるが、専門家が見ると安全性は必ずしも高まっていないそうだ。

 ある研究者は「稼働3年後に事故が起こるかもしれない」と警告した。新規制基準によって監視の必要な設備が増えた。しかし長期に亘りすべての管理などできないはずで、監視の緩くなった機器が壊れるかもしれない。そして「ゴテゴテプラント」が緊急時の対応を混乱させる可能性があるという。

 一つのリスクを減らす行為が別のリスクを発生させる。また「想定外」は常に起こり得る。規制委の新規制基準には、こうした当たり前の発想がない。

 東京大学大学院工学系研究科の岡本孝司教授は、規制委の活動について手厳しく批判する。「行政訴訟や事故時に責任を逃れるためという方針は一貫している。国民の安全を確保するという発想ではない」。

 岡本氏は機会あるごとに、世界の原子力工学で強調される「セーフティーカルチャー」という考えを提唱する。日本では「安全文化」として訳されるが、英語の「Culture」は、日本の「文化」という単語よりも意味が広く「態度」「社会的規範」も含む。

 「安全には終わりがない。規制をクリアするのは最低限。自発的に事業者がより高い安全を目指し、たゆまぬ努力を続けることが必要で、それを促すのが規制当局の本来の役割だ。今の日本の規制では事業者が向上する動機が欠ける」と懸念する。保守的に考えて、事業者に厳しく対応すればよいと考える規制委の態度では、「常に安全のために改善し続ける」という安全文化は醸成されない。

 また岡本氏など多くの研究者が、米国をはじめ世界の原子力プラントの設計、安全管理、規制で導入されている「確率論的安全評価」(PSA:Probabilistic Safety Assessment)の考えを日本に取り入れることを提唱している。これは様々な事故のケースの確率を推計し、そのリスクを総合的に分析し、対策に活かすものだ。

 日本の安全規制は、いまだにリスクの大小にかかわらず一つ一つの事象に対して個別に最大限の規制を行うという発想を続けている。リスクはもっと総合的に捉えなければならない。

 現在の原子力規制の問題は、「不適切な規制によって、原発がなかなか活用できない上に、国民の安全確保の観点からも疑問がある」ということだ。ところがメディアも社会も、原子力の賛成、反対の意見表明ばかりに熱心で、議論すべき論点がずれている。

 原子力に対する世論は厳しい。将来的に原子力を維持するか卒業するかについては意見が分かれるとしても、現時点では原発を使ってエネルギーの安定供給と経済合理性の両立を図らざるを得ないことは多くの国民が理解している。原子力規制委・規制庁の混乱した行政活動を是正することは、私たちの経済の安定と安全な生活につながる。