大津のいじめ事件を受け、政府は文科省内にいじめ問題に取り組む専門チームを新設した。しかし、教育界の構造的問題を放置したまま「いじめ対策」を掲げても、対症療法にすらならない。かつて東京都で義務教育初の民間人校長となり、辣腕を振るった藤原和博氏(東京都杉並区立和田中学校・前校長)が、淀んだ教育界に風穴を開ける策を提言する。

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 現在の教育システムの始まりは連合軍総司令部(GHQ)による教育改革だ。GHQは学校教育が日本の軍国主義化を推し進めたとして、権限を徹底的に分散。教育行政の主体を国から地方へ移譲しただけでなく、首長から独立した機関として教育委員会を設置した。自治体の首長は、自らの選挙で「教育は私の責任ではありません」と言って当選する人はいない。だが、現実は教育委員会に命令する権限がない。

 つまり、実質的に国が教員の人件費の大部分を出し、都道府県・政令市教委の事務方トップである教育長が人事権を握り、自治体は学校の設置者として教材や施設などの責任を負うという、権限の3重構造が出来上がっている。これでは誰が最終的な責任を負うのか、よくわからない。

戦前の小学校修身教科書
 また、教委が独立しているということは、同時に閉鎖的であることを意味する。身内意識が強い中で純粋培養された教員がそのまま校長になるため、教育長(市区町村ではほとんどが校長経験者)と親分・子分の関係になりやすい。当然の帰結として、教育委員会と学校は馴れ合いに陥る。学校に問題が生じた時には「事なかれ」の意識が働く。隠蔽に走る背景には、構造的な庇い合い体質があるのだ。

 戦後60年以上にわたり温存され、放置されてきた組織の構造的問題は、教育内容にも影を落としている。

 効率重視の高度成長時代には、いち早く「正解」に到達する能力が重視され、学校教育は読み書き計算といった「情報処理力」の正確さを重視した。その成果として、優秀なホワイトカラーやブルーカラーが大量生産された。もちろん、その時代にはこれは正しかった。

 しかし、すでに日本は「成長社会」から「成熟社会」へ移行した。多様で複雑化した成熟社会においては、問題に対して答えは一つではない。誰も正解を決められない以上、状況によって知識や教養を応用し、自分や周りの人が納得できる答え――私はこれを「納得解」と呼ぶ――を導くための「情報編集力」こそ必要とされている。

 ところが、旧態依然たる構造的問題を抱えた組織のまま運営されている学校教育は、こうした本質的な社会変化に対応できていない。