江崎道朗(日本会議専任研究員)

地域社会で孤立する家族


 全国各地で高齢者が所在不明となっている問題で厚生労働省は八月二十七日、住民基本台帳の情報と受給者情報が一致せず、死亡している確率が高い八十五歳以上の年金受給者の所在を確認するサンプル調査を実施したところ、対象となった七百七十人のうち、すでに死亡している一人と、行方不明の可能性がある二十二人の計二十三人に年金が支給されていたと発表した。現在、生存確認を行っている八十五歳以上の年金受給者は約二万七千人。今回のサンプル調査に基づいて単純計算すると、死亡又は所在不明であるにもかかわらず年金を受給しているケースは、約八百人に上ることになる。

 ということは、自分の親が亡くなったか、行方不明であるにもかかわらず、生きていることにして年金を騙し取ってきた家族が少なくとも八百近く存在していることになる。これらの家族は、親が亡くなったとき葬儀をしなかったのか。苦労して育ててくれた親の葬儀もしないでどうして平気でいられるのだろうか。

 そもそもご近所は気付かなかったのだろうか。ある日突然、顔見知りのお年寄りの姿を見かけなくなっても不審に思わなかったのか。町内会が機能していれば、掲示板にどこそこの家の誰々が○月○日に逝去したという訃報が掲示され、近所の人々がその家に弔問に訪れるということになるのだが、いまやある日、突然、姿を見かけなくなっても誰も怪しまない社会となりつつある。家族が地域社会の中で孤立してしまっているのだ。

 三十年近く前から、都会で一人暮らしの人が誰からも看取られることなく死亡する孤独死が問題となっているが、いまや家族が同居していても、年金を騙し取るために葬儀もしてもらえず、近所の人にも気づいてもらえないのだ。

 なぜ親子の絆がかくもおかしくなったのか。なぜ家族は社会の中で孤立するようになったのか。専門家は、その原因として産業構造の変化や都市化など社会の変容や個人主義の普及といった価値観の変化などを指摘するが、GHQによる占領政策の影響を指摘する人がなぜか殆んどいないのは、実に奇妙だ。
 

神道指令によって否定された地域共同体


 いまから六十五年前の昭和二十年から約七年間、日本を占領したGHQは、「日本国が再び米国の脅威と…ならざることを確実にする」(米国務省「降伏後における米国の初期対日方針」)ため、徹底した日本弱体化政策を強制した。当時の米国政府は、日本を弱体化しない限り、米国主導のアジアの平和は維持できないと考えていたのだ。

 当時の米国は、日本の強さの秘密は天皇を中心とした強固な共同体にあり、その共同体を維持しているのが「国家神道」だと考えていた。だからこそGHQは占領開始直後の昭和二十年十二月十五日、国家神道・神社に対する政府の支援・弘布を禁じる「神道指令」を発したのである。

 この指令では、神道や神社に対する公的な財政支援、学校での神道に関する教育、役所や学校等での神棚設置、公務員の神道儀式の参加などが禁止された。

 神道指令を受けて文部省は十二月二十二日、文部次官通牒を発し、伊勢神宮遥拝、学校引率の神社参拝を禁止した。その趣旨は昭和二十二年三月に施行された教育基本法において引き継がれ、その後、学校教育において神道排除が続くことになった。

 問題は、神道指令の対象が学校教育だけではなかった、ということだ。神道指令は、神社を中心とした伝統的な地域共同体の破壊を目論んでいたのだ。

 GHQは昭和二十一年十一月六日、「神社や祭社其の他神道の諸活動を支持するために資金を集めたりお守りやお札を配ったりするために善隣組合(町内会、部落会、隣組)がひきつづき利用され」ているのは神道指令違反なので、直ちにこの事態を是正するよう日本政府に指示している。

 この指示を受けて日本政府は十日後の十一月十六日、地方長官宛に「町内会、隣組等による神道の後援及び支持の禁止について」と題する通牒を出し、おおよそ次の四つを指示した。

 ①神社や祭礼その他神道の諸活動を支持するために資金を集めたりお守りやお札(神宮大麻)を配ったりするために町内会、部落会、隣組等を利用することは神道指令違反なので、取り締まること。

 ②地元のさまざまな祝祭行事を行う場合は、いかなる場合でも神社の祭祀と切り離すこと。

 ③町内会等の有力な役職員が神社の総代や世話役に就任しないこと。

 ④氏子区域による氏子組織を改め、崇敬者だけによる組織に変革するよう勧奨すること。

 戦前までの地域共同体は言うまでもなく、その中心に神社があった。その年の豊作を祈る行事から、実りに感謝する秋祭りまで一年のサイクルを通じて、人々は、天地の恵みと神々への感謝という宗教的情操を自らの内に育み、氏神を中心として精神的結束を固めた。子供たちにとっても境内は絶好の遊び場であり、お祭は強烈な印象とともにその人生に刻まれることになった。

 政治的にもまた重要であった。地元の揉め事の解決からお祝い事まで地元のあらゆる問題は、神社で開催される寄り合いにおいて解決された。神社は精神的支柱であると共に、地元のさまざまな課題を解決する情報センター、行政拠点の役割も果していたのである。神道指令とその関連の通牒は、神社が果してきたこれら社会的機能を否定しようとしたのである。

 翌昭和二十二年一月二十八日には、文部省宗務課長から地方長官宛に「神道指令違反について」という通牒が出された。この通牒では、千葉で町内会長が回覧版や集会を通じてみこし製作の寄付金を集めたことが神道指令違反として地方検事局で起訴され、罰金刑を受けた事例を紹介し、「今後もこの種の違反は容赦なく摘発されるから、貴官において、貴管下の神社、及び下部行政機関に対し、一層の注意を喚起し違反のないよう十分に注意せられたい」と警告したのである。何しろ神社を支援したら逮捕されるのだ。地方自治体関係者も地元の有力者たちも震え上がったに違いない。

 公的機関、地域社会と神社との関係を徹底して断ち切ろうという神道指令の趣旨は、昭和二十二年五月三日に施行された日本国憲法にも次のように書き込まれた。

《第二十条 3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

 第八十九条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない》

 そして、この神社・神道排除政策が、戦後日本の社会政策を大きく歪めていったのである。

戦後イデオロギーの拠点としての公民館


 神道指令によって神社と地域社会とを分離させ、地域共同体をまとめていく力を奪っていく一方で、神社に代わる地域共同体の中心として構想されたのが「公民館」であった。

 昭和二十一年七月五日、文部省は公民館の設置運営を奨励する通牒を出し、地域社会の相談ごとや集まりは今後(神社ではなく)公民館で行なうよう指示した。この指示は、昭和二十二年三月に制定された教育基本法第七条(社会教育)に、「国及び地方公共団体は、図書館、博物館、公民館等の施設の設置、学校の施設の利用その他適当な方法によって教育の目的の実現に努めなければならない」という形で盛り込まれた。この条文の意味するところは「社会教育」を通じて、神社を中心とした地域共同体を、アメリカ流の民主主義イデオロギーを奉じた公民館を中心とした地域共同体へと変革しろ、ということであった。

 以後、全国各地で公民館は整備されていくのだが、敗戦後の財政難に苦しむ地方自治体に公民館を新築する費用を出せるはずがない。当然のことながら地元の人々の費用によって学校の教室や神社の社務所など現存する施設を整備し、公民館として転用するケースが多かった。

 恐らくGHQは、ことの展開に驚いたと思われる。せっかく神道指令によって行政と神社との関係を断ち切ったのに、神社の境内地に公民館が建てられては、その効果も半減だからである。

 そこで制定されたのが、社会教育法である。昭和二十四年六月に公布された社会教育法は全五十七条のうち二十二条を公民館のことに費やし、神社と公民館の関係を徹底的に切り離そうとした。具体的には、市町村の自治体が建設した「公民館」しか正規の公民館としては認知しない、としたのである。

 つまり、地元の町内会によって維持・運営されている、神社の社務所を転用した公民館を「公民館類似施設」(第四十二条)と規定し、公的な財政支援を一切禁止したのである(市町村が設置した「公民館」と区別するために「自治公民館」と呼ばれている)。

 さらに「市町村の設置する公民館は、特定の宗教を支持し、又は特定の教派、宗派若しくは教団を支援してはならない」(第二十三条)と規定することで、新築された公民館において、神社の祭礼の準備等を行うことも禁じたのである。神社・神道は、公的な集会所から徹底して排除されたのだ。