江崎 道朗(日本会議専任研究員)

女性宮家問題とヴェノナ文書

 アメリカ国家安全保障局(NSA)が一九九五年に公開したヴェノナ文書には、いわゆる「女性宮家問題」の根本原因を解明する糸口がある。

 ヴェノナ文書とは、第二次世界大戦前後の時期にアメリカ内のソ連のスパイたちがモスクワの諜報本部とやり取りした秘密通信を、アメリカ陸軍情報部が秘密裡に傍受し解読した記録である。この機密文書の公開によって当時、アメリカ政府の内部にソ連・コミンテルンのスパイたちが大量に潜入し、戦前のアメリカ政府の対日政策だけでなく、戦後のGHQの政策にまで影響を及ぼしていることが、判明しつつある。

 特に日本にとって重視すべきは、ヴェノナ文書を研究している歴史家のジョン・アール・ヘインズ氏らの業績だ。ヘインズ氏らは一九九九年、トーマス・ビッソンという著名なアジア問題の専門家が、「アーサー」というカバーネームを持つソ連のスパイであったことを突き止めたのだ(中西輝政監訳『ヴェノナ』)。

 後述するように、トーマス・ビッソンこそがGHQの一員として現行憲法制定に際して「国民主権」論を確立し、いわゆる女系天皇を可能とする憲法解釈を生んだ張本人なのである。

 周知の通り、現行憲法はアメリカ主導のGHQが日本に押し付けたものだ。

 アメリカは真珠湾攻撃直後から戦後の対日占領政策について議論を始めている。そして一九四二年三月十七日、外交関係評議会の会合において元外交官のロジャー・グリーンが、軍部の特権を剥奪するために憲法を改正すべきだと主張した。公の席で対日占領政策との関連で日本の改憲について言及したのは、グリーンが最初であったと言われている。

 グリーンは戦前、アメリカ世論を反日・親中国に変えるために大々的な反日宣伝を繰り広げた国民運動組織「日本の侵略に加担しないアメリカ委員会」の理事長を務め、日本を戦争に追い詰めた中心人物であった。そして、この「アメリカ委員会」の発起人の一人が、ビッソンなのである。

コミンテルンの思想的影響下にあったアメリカ

 アメリカ国務省が正式に天皇問題について検討を開始したのは、一九四二年十一月九日のことだった。

 きっかけは、国務省顧問のS・ホーンベック博士が国務省極東課に対して、天皇に関するアメリカ政府の方針を検討するよう要請したことだった。その際、ホーンベック博士は、ウィリアム・C・ラモット「戦後の日本はどうなるか」(『アジア』一九四二年十月号)と共に、『アメラシア』一九四二年十月二十五日号掲載のケネス・コールグローブ教授とケイト・L・ミッチェル女史の論文を参照するよう勧めている。

『アメラシア』とは、アメリカ共産党の下部組織として創設されたアメリカ中国人民友の会の機関紙『チャイナ・トゥディ』を引き継ぎ、一九三七年二月に創刊された雑誌だ。当時、アメリカ共産党は「ソ連・コミンテルンとは無関係」と言い張っていたが、ヴェノナ文書によって、アメリカ共産党がソ連・コミンテルンの指示で対米工作をしていたことも判明している。『アメラシア』は、ソ連・コミンテルンによる対米宣伝工作の一環として発刊されていたわけだ。

 そしてこの『アメラシア』編集部の中心者がやはりビッソンであった。ビッソンは一九三七年六月、『アメラシア』編集部として中国の延安を訪問し、毛沢東や周恩来にインタビューするなど中国共産党とも密接なつながりをもっていた。

 当時ノースウェスタン大学政治学部長であったコールグローブ教授はこのような曰くつきの雑誌『アメラシア』において、「もしも天皇が、(政府・国会と軍部という)二重政治体制とともに存置されるならば、再び軍国主義の脅威が生じるだけであり、またもや次の大戦を招来することになろう」と指摘し、「天皇制」廃止を検討すべきだと示唆した。一九四五年三月にソ連のスパイ容疑で逮捕された同誌編集委員のミッチェル女史は「多くの日本問題研究者は、日本における天皇制存置は政治上の民主主義の発展と相容れないものであり、今日、日本の政策を支配している侵略的帝国主義的野心の再現を必然的にもたらすことになると信じている」と指摘し、天皇を擁護するジョセフ・グルー大使らを厳しく非難していた。
戦後、心斎橋戎橋商店街に掲げられた「新憲法實施記念」の看板
 国務省極東課は、謂わばソ連・コミンテルンの対米宣伝雑誌に掲載されたこの二つの「天皇制」廃止論を参考にしながら対日占領政策の検討を始めたわけだ。ちなみに、この時ホーンベック博士を補佐していたのがアルジャー・ヒスだ。ヒスはヴェノナ文書によってソ連のスパイであることが判明しており、ホーンベック博士が『アメラシア』を参考にするよう極東課に勧めたのは決して偶然ではない。

 そして昭和二十年十一月、国務省は、日本の憲法改正の基本方針を明記した「日本の統治体制の改革」(SWNCC228)という政策文書を作成する。この文書では、日本に改憲をさせる目的を、「日本人が、天皇制を廃止するか、あるいはより民主主義的な方向にそれを改革することを奨励支持しなければならない」と定めている。国務省は、日本人の手で「天皇制」を廃止させるか、または民主主義的な「天皇制」へと改革するため、憲法改正をさせるべきだと決定したのである。「天皇制」を解体するために現行憲法は押しつけられたのだ。

日本政府の果敢な抵抗

 国務省のこの文書は昭和二十一年一月七日、アメリカ政府の方針として正式に決定され、この方針に基づきマッカーサーは二月三日、GHQの民政局に対して日本国憲法改正草案の作成を指示した。

 民政局が僅か十日で英文の改憲草案、いわゆる「総司令部案」を完成させると、GHQは二月十三日、日本政府に対して「前年十二月に創設された極東委員会においてソ連は天皇制廃止を主張している。ソ連の主張を跳ね除けるためにも、『総司令部案』に基いて憲法を改正すべきだ」と強く迫った。

 日本政府は既に独自の改憲草案(いわゆる松本案)を作成していたが、二月二十二日、GHQの「総司令部案」に沿って憲法を改正する方針を閣議で決定した。そして二十七日に内閣法制局の入江俊郎次長と佐藤達夫第一部長を中心に日本政府案の作成に着手し、三月二日までに日本語で「三月二日案」を作成した(憲法草案条文の変遷については、内閣憲法調査会『憲法制定の経過に関する小委員会報告書』が詳しい)。

 その際、日本政府がしたたかだったのは、英文の「総司令部案」を直訳するのではなく、問題のある条文はできるだけ削除し、削除できない条文も日本側に有利に解釈できるような日本語に書き換えたことだ。天皇に関わる条文だけでも以下の七項目を改編している。

 ・前文については、「我等日本国人民ハ(中略)此ノ憲法ヲ制定確立ス」との一節が、「憲法改正は天皇の発議・裁可によって成立する」という帝国憲法の原則に反しているという理由で、すべて削除した。

 ・第一条の「皇帝ハ国家ノ象徴ニシテ又人民ノ統一ノ象徴タルヘシ彼ハ其ノ地位ヲ人民ノ主権意思ヨリ承ケ之ヲ他ノ如何ナル源泉ヨリモ承ケス」(以下、傍線筆者)については、「人民ノ主権意思」を「日本国民至高ノ総意」と書き換え、「之ヲ他ノ如何ナル源泉ヨリモ承ケス」を削除した。もし「皇位は人民の主権だけに基く」という趣旨のこの一節が残っていたら、皇室のあり方を皇室の伝統に基いて考えていくこと自体が否定されてしまった恐れがあった。

 ・第二条の「皇位ノ継承ハ世襲ニシテ国会ノ制定スル皇室典範ニ依ルヘシ」については、皇室典範は皇室の家法であり、その発議権は天皇に留保すべきであるとの考え方から、「国会ノ制定スル」を削除した上で、「第百六条 皇室典範ノ改正ハ天皇第三条ノ規定ニ従ヒ議案ヲ国会ニ提出シ法律案ト同一ノ規定ニ依リ其ノ議決ヲ経ベシ」を追加した。

 ・第三条は天皇と内閣、天皇と政治との関係についての条項で、総司令部案にはこう書かれていた。

「国事ニ関スル皇帝ノ一切ノ行為ニハ内閣ノ助言と承認(advice and consent)ヲ要ス而シテ内閣ハ之カ責任ヲ負フヘシ。

 皇帝ハ此ノ憲法ノ規定スル国家ノ機能(state functions)ヲノミ行フヘシ彼ハ政治上ノ権限ヲ有セス又之ヲ把握シ又ハ賦与セラルルコト無カルヘシ。皇帝ハ其ノ機能ヲ法律ノ定ムル所ニ従ヒ委任スルコトヲ得」

 日本側はこの条文を二つに分け、前半を第三条、後半を第四条にした。その上で第三条の「内閣ノ助言ト承認」という表現については、大日本帝国憲法の「輔弼」という言葉に書き換え、「天皇ノ国事ニ関スル一切ノ行為ハ内閣ノ輔弼ニ依ルコトヲ要ス」とした。内閣は、天皇の行為を補佐すべきであって、目下の者に対するように「助言と承認」を与えるべきではないとの考え方からである。

 後半の第四条は「天皇ハ此ノ憲法ニ定ムル国務ニ限リ之ヲ行フ。政治ニ関スル権能ハ之ヲ有スルコトナシ。天皇ハ法律ノ定ムル所ニ依リ其ノ権能ノ一部ヲ委任シテ行使セシムルコトヲ得」とした。天皇が国家の歯車であるかのような響きを持つ「国家ノ機能」という言葉は「国務」に、「機能」は「権能」にそれぞれ書き換えることで、天皇が「国務を行う権能」を持っている表現に変更した。

 日本がポツダム宣言受諾を決めることができたのは、昭和天皇のご聖断のおかげである。もし天皇が国務に関する権能を失ったなら、国家存亡の際に日本はどうなるのか、というのが当時の日本の指導者たちの共通の思いであった。