学生団体「SEALDs(シールズ、自由と民主主義のための学生緊急行動)」が、8月30日の国会正門前「戦争法案反対」デモに、警察発表で3万人の動員に成功したそうだ。かつての安保闘争の時代ならいざ知らず、若者が今時それだけのことを成し遂げるとは、それだけでも称賛に値する。学生たちが自らのそうした行動力を伸び伸びと健全に成長させることに、我々大人たちが適切に手を貸してやれるのであれば、いくら少子高齢化などと騒がれていても日本の未来は安泰だ。

 しかし現実は、そうした理想から程遠い。彼らに群がるサヨクな大人どもは、学生たちの行き過ぎや悪事を咎めるどころか、テロや差別をそそのかし、「革命」等の自らの歪んだ目的のために若い芽をスポイルすることに余念がない。

 デモの動員目標人数を10万人と事前に大風呂敷を広げていたせいか、警察発表人数の4倍もの12万人を「主催者発表」人数として「大勝利」を宣言したことも、それだけであれば若気の至りとして見逃せる程度のことだ。本来であれば、学生に群がるサヨクな大人どもが、過剰な目標人数設定の見通しの甘さと、まるでかつての大本営による戦果発表のような希望的観測のみに基づいた無根拠な水増しした数字を元に「大勝利」と騒ぎ立てることを諌めるべきなのであろうが、そこまでは求めまい。何しろ、そのサヨクな大人ども自身が、伸び伸びと増殖し続けている支那による南京大虐殺被害者数のごとく、常日頃デモや集会の「主催者発表」を十倍以上も水増しして自らの戦果を誇る不誠実さを本能とするような連中なのだから。
国会前で行われた安保法案反対デモ=8月30日、東京都千代田区の国会前(早坂洋祐撮影)
 そんなサヨクな大人どもの邪悪さは留まるところを知らない。当初主催者発表で12万人だった参加人数が、誰が水増しをしたのか、その日のうちに35万人と、警察発表のなんと12倍まで急膨張したのだから驚きだ。SEALDsのツイッターアカウントのつぶやきは「今日の国会前抗議、のべ人数35万人だそうです!!!!!」となっており、「だそうです」ということは誰かが学生たちの「12万」という過大な数字を諌めるどころか、更に空想的な数字を吹き込んだことを示唆している。理性と良心を説くべき大人が、逆にそれらの放擲を煽っているのだ。

 デモに参加したサヨクな大人たちの中でも、法政大学教授という教育者の立場にある山口二郎の言動は特に、学生たちに理性と良心の放擲をそそのかす、驚くべきものであった。何と彼は学生たちの前で、「安倍に言いたい!お前は人間じゃない!叩き斬ってやる」と、差別やヘイトスピーチどころか、殺人を宣言したのだ。しかも山口は信じられぬことに、法学部の教授だというのだから開いた口がふさがらない。その場でこの人殺し宣言を聞いていた参加者はもちろんのこと、デモを肯定的に報じる朝日新聞等のサヨクメディアも、山口のこの恐るべき発言を全く批判していない。今後在特会等が「支那人、朝鮮人は人間じゃない!叩き斬ってやる!」と言ったとしたら、どのようなロジックで彼らの行動を諌められるというのか。少なくとも、山口や彼の発言を見てみぬふりをしている朝日新聞等のサヨク連中には、在特会を批判する資格など永遠に失われたことは、幼児の目にも明らかであろう。

 しかし問題はそんなことではない。我が国の、いや世界の未来を担うべき学生たちにまでそのような邪悪な言動をお手本として見せつけることが、人類の未来にとってどれほどの損失、いやマイナスになるか計り知れない。

 山口は8月26日にツイッターでこうつぶやいている。

 「日本政治の目下の対立軸は、文明対野蛮、道理対無理、知性対反知性である。日本に生きる人間が人間であり続けたいならば、安保法制に反対しなければならない」

 呆れた思い上がりだ。自分こそが「文明」であり「道理」であり「知性」であり、そのオレサマに反対するやつらはことごとく「野蛮」な「反知性」だと言うのだ。幼児にさえも通じないであろうそのような野蛮なタワゴトで学生たちをたぶらかすサヨクな大人どもこそ、人類の敵である。余談ながら、山口の「反知性」という用語の使い方自体、私を含め最近多くの人々が指摘しているよう、「反知性主義」という概念を提唱したリチャード・ホフスタッターの定義からかけはなれた、恣意的で間違ったものである。学者としての能力や良心にも疑問を持たざるを得ない。

 学生たちに理性と良心の放擲をそそのかすサヨクな大人どものこの種の言動は、他にも一々列挙していけば、本一冊に余りある。デモそれ自体が、デマで学生たちに道を踏み外させるための暴力装置と化していたと言っても過言ではない。

 ただ残念なのは、保守勢力からの国会前デモ批判の多くが、学生たちに対する批判や揶揄に留まっているという事実である。サヨクな大人どもが将来ある学生たちを容易にたぶらかし悪の道へ誘うことができるのは、保守勢力が学生たちに対し、魅力的な活動の場を提示できていないからではなかろうか。何も政治活動の場を提供しろと言うわけではない。学業やアルバイト、恋愛、友達付き合い等、今の学生たちが安心して充実した学生生活を送れる条件が、果たして十分整っているだろうか。ブラックバイトやうなぎのぼりの学費、生活費、卒業後重くのしかかる「奨学金」という名の借金等、我々大人たちは、彼ら学生たちを余りにも蔑ろにし続けてきたのではなかろうか。

 国会前デモは、「戦争法案」に反対する行動と見るべきではない。将来を担う学生たちに注意を払って来なかった我々大人たちに対する異議申し立てとして捉えるべき事件なのだ。