《ユニーク対談》
福田和也(文芸評論家・慶応大学教授)
戸髙一成(呉市海事歴史科学館館長)


「大和ミュージアム」の語りかけるもの


 福田 戦争に関する展示施設は国内にたくさんありますけれど、その中でも呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)はとても水準の高い施設ですね。今後のメルクマールになるでしょう。とくにメイン展示の戦艦大和の十分の一模型には感動しました。要塞や兵器は二十世紀の典型的な芸術である、という意味のことを語った芸術家がいましたけれど――ポール・ヴィリリオだったか――、大和ミュージアムはそうした美的な関心にも十分応える構成になっていると思います。

 戸髙 そうした見方をしていただけるのはとても嬉しいことです。明治以来、〝造船と海軍の町〟として発展してきた呉市の歴史を伝える博物館をつくろうということで大和ミュージアムの計画はスタートしました。戦艦大和はたしかに悲劇的な最期を遂げましたが、世界一の戦艦であったことは間違いない。それを伝えるためには半端な模型であってはならない。そうした意気込みで取り組みました。世界の海事関係博物館を見渡しても、五十分の一の戦艦模型はあっても、十分の一で再現された戦艦模型はありません。ここ(大和ミュージアム)の大和が世界初です。

《呉市海事歴史科学館は平成十七年四月二十三日に開館した。四階建て延べ九六〇〇平方メートルの館内や敷地内には、大和の模型のほか潜水調査船「しんかい」や水中翼船、零戦(実機)など資料約二千点が展示されているほか、操船を体験できるシミュレーターや「宇宙戦艦ヤマト」の展示もある。開館後二カ月半で来館者は三十六万人を超え、大変な人気を呼んでいる》

 福田 造船の歴史や先の大戦を伝えるという目的は、たしかに大切ですけれど、かりにそれを抜きにしても、美的な感動を与えるものに仕上がっていることが嬉しかったし、大変なことだなと思いました。

 戸髙 大和は現在にいたるも世界最大の戦艦ですから、十分の一といっても全長は二六メートルにもなる。しかしその大きさだけを誇っても本質を伝えたことにはならない。細部まで徹底的に復元しようと努めましたから、実際に大砲の弾が飛び出ないことをのぞけば、模型というよりは、精緻にスケールダウンした本物と言っても差し支えないと思います。

 たとえば一〇センチ間隔でリベットが打たれている箇所があれば、きちんと一センチ間隔で復元しましたし、ボートデリックの信号索についている小さな滑車なども、親指の先くらいの部品で、展示のときに動かす必要はありませんから、形だけで機能はまったく必要ないのですが、これも設計図から起こして実際に動く滑車を完璧に復元しました。

 また、大和の甲板には台湾檜が張られていたのですが、当初は予算の問題もあってベニヤ板を張ってそこに烏口(からすぐち)で線を引いてそれらしく見せる案だったのを、木目が台湾檜の十分の一に詰まって見える木材を探し出して一枚一枚張ってもらいました。木材は縮小がきかないので同じ台湾檜を張っただけでは十分の一にならないし、ベニア板だと安っぽくてどうにもならない。すべてにおいて他と画然と違う水準をめざしたわけです。建造を担った音戸の山本造船は大幅な赤字を覚悟で魂魄こめた仕事をしてくれましたし、作業に当たった全員が、呉市の誇りを見事に体現してくれたと思っています。

 福田 かつて戦艦大和を建造した呉市の人々の思い入れの深さが大和ミュージアムにつながっている。

 戸髙 ええ。そもそも広島県は原爆の犠牲になっていますから反軍思想が強い。兵器である戦艦大和の模型を展示するのに県が援助してくれるとは思えないし、予算措置をしてくれたらくれたで逆に博物館の構想にあれこれ注文をつけてこないともかぎらない。予算としては約六十五億円の枠組みでスタートしたのですが、十年以上の準備期間があって、資料収集などにかかった費用を含めるともっとかかっていると思います。それを支えてくれたのが一般の募金でした。呉市の商工会議所に募金会を立ち上げてもらって、五億円以上集めていただいた。福田さんがおっしゃったように、自分たちの博物館をつくるんだという小笠原臣也市長はじめ呉市の人々の情熱を強く感じました。

 福田 椹(さわ)木野衣氏のような現代美術の生きのいい評論家に大和ミュージアムを見てもらいたいですね。彼は〈戦争と万国博覧会〉というテーマで評論を展開してましたけれど、近年の万博ではパビリオンの建築様式が冷戦下のシェルター建築の影響を受けているとか面白い分析があって、そうした視点を持つ彼らが大和ミュージアムを見たら、またいろいろなことを吸収できるだろうという気がします。

《戦艦大和 全長二六三メートル、最大幅三八・九メートル、基準排水量六五、〇〇〇トン、満載時排水量七二、八〇八トン、主機タービン一五万馬力、速力二七ノット、航続距離七、二〇〇海里。主砲は四六センチ三連装砲塔三基(九門、最大射程四二、〇〇〇メートル=東京―大船間に相当)を装備。日本の造艦技術の粋を集めた文字どおり世界最大最強の戦艦だった》

 戸髙 大和ミュージアムはどんな博物館ですか、という質問を受ける度に私はこう答えるようにしています。原爆ドームの碑にあるような「過ちは二度と繰り返しません」という反戦平和思想だけでは、広島が経験した戦争体験をすべて語ったことにはならない。物事は片面だけを見せて教えてはならないと思います。広島で原爆の悲劇を見たら、呉にも来て戦艦大和を見てほしい。

 当時の日本人が何を大和に託したのか。両方見た上で物事を多面的に考えることが大切ではないでしょうか。われわれは材料を提供するけれど考えは押し付けない。そのとき大事なのは、提供する情報の程度が高くなければいけないということです。程度の低い情報だったら、受け取ったほうはその水準までにしか到達しない。

 少しえらそうな物言いになりますが、情報を咀嚼(そしゃく)し判断できる人間をつくることに役立ちたいのです。資料館や博物館に思想や歴史観はない。歴史観に到達する資料を提供する場であって与える歴史観はない。ただ資料が本物か否かについては資料館の責任だから、それについてはきちんとやる。マスコミからは時々こちらの歴史観を問う意地悪な質問が寄せられるのですが(笑い)、私の答えは以上のごとくです。