「俺が新しいパイを持ってくる」


撮影
(瀧誠四郎撮影)
 僕がプロレスの世界に入ってからも、プロレスの団体はどんどん増えました。ファンの数が変わらなくて、団体が増えれば、当然奪い合いになるし、いつしか団体も淘汰される。以前、猪木さんと対談した時に、「いつまでも俺がつくったパイを取り合うなよ」と言われたんですね。猪木さんは、決まってプロレスファンの人口をパイ生地にたとえて表現しますけど、そのときは「俺が新しいパイを持ってきますよ!」と豪語したんです。

 いま、他団体にも良い選手がいっぱいいますが、スターが生まれる状況にはない。これからのプロレス界は、スターが生まれる土壌にしていかなければならないのですが、それは口では簡単に言えても、実現させるのが最も困難な作業だと思います。僕も新日本に入って、普通に練習していたら、いつかはスターになれるんだろうなとぼんやり思っていたんですけど、現実は「やばい、このままじゃスターになれない」と焦ることが多かった。だから、まずは新日本からスターが生まれる土壌をつくっていくことに力を入れました。
新日本プロレス「レッスルキングダム9」IWGPヘビー級選手権
オカダ・カズチカ(下)にハイフライフローを見舞う棚橋弘至
=2015年1年4 日、東京都文京区・東京ドーム(撮影・荒木孝雄)
新日本プロレス「レッスルキングダム9」IWGPヘビー級選手権 オカダ・カズチカ(下)
にハイフライフローを見舞う棚橋弘至=2015年1年4日、東京ドーム
(荒木孝雄撮影) 

 プロレスラーというのは、やっぱり夢を与える存在でなければならない。怪我をしたら終わりだし、引退後がまったく見えない職業じゃないですか。アメリカでは、WWEのプロレスラー、ザ・ロックがハリウッドスターになった。

 プロレスラーになったら有名になって、テレビにも出られて、収入もあって、というところを僕が見せていかないといけないと思っています。そうなることで、プロ野球選手になりたいとか、サッカー選手になりたいのと同じように考える子供たちが増え、やっとメジャースポーツと肩を並べることができると思うんです。「プロレスラーになったら、棚橋みたいになれる」。そう思われるような存在になりたいですね。

 プロデビューから今年で16年。新日本プロレス最高峰のタイトルであるIWGPヘビー級王座の最多戴冠7回、最多連続防衛回数11回、そして通算最多防衛28回という、前人未到の記録を打ち出すことができました。

《8月16日、棚橋は新日本プロレス最強レスラーを決める「G1クライマックス」で、8年ぶり2度目の優勝を果たした。優勝決定戦の相手は共に看板選手として団体を支え続けたライバル、中邑真輔。得意技であるトップロープからのダイビングボディープレス「ハイフライフロー」で中邑をマットに沈め、両国国技館に集まった一万人のファンを魅了した》
新日本プロレス・G1CLIMAX(クライマックス)25 優勝決定戦 中邑を破り優勝、ロープに登って ポーズを決める棚橋弘至=2015年8月16日 両国国技館 (撮影・荒木孝雄)
新日本プロレス・G1CLIMAX(クライマックス)25 優勝決定戦 中邑を破り優勝、ロープに登って ポーズを決める棚橋弘至=2015年8月16日 両国国技館 (荒木孝雄撮影) 
 いまは、オカダ・カズチカとか内藤哲也とか、若手の勢いが良くて、追われる立場になっていますが、実はプロレスに世代交代っていうのはないんです。猪木さんなんか、世代交代もしないまま去っていったでしょ。長州さん、藤波さんもそう。世代交代はプロレスの歴史上、一度もないんです。トップのまま、みんなそのまま去っていっちゃうから。だから、ジャンルが縮小していったという側面もあります。それでも僕は、世代交代される側の覚悟があります。本当にかなわないと思うやつが現れたら、ですが。

 いま、一線で頑張っている選手はもっと自信を持ってほしい。過去の名選手や偉大なレスラーが残した言葉は、もちろん説得力があるし、実績もあるから素晴らしいと思います。ただ、僕たちが言っていること、やっていることが今のプロレスの最前線なんですよ。先輩たちへのリスペクトは必要だと思うけれど、遠慮することはない。

 昔プロレスを観ていた方は、猪木さん、藤波さん、長州さんという、かつてのプロレスのイメージをずっと抱いていると思います。それでも、いまの若い子たちは、そういう過去のスターレスラーを知らない。猪木さんは知らなくても、棚橋は知っているという状況なので。いまではイメージを壊す作業すらいらなくなった。となると、僕らにとっては、よりプロレスを知ってもらうという作業の方に集中できる。時代の移り変わりを感じています。でもね、新しいファンを広げながら、やっぱり昔好きだった人にも帰ってきてほしい。そういう人には僕、「おかえり」って言いますね。

「闘魂」を捨てた男


 力道山先生が遺し、猪木さんが受け継いだ「闘魂」という遺伝子を受け継いでいるかという質問には、僕は「受け継いでいない」と答えます。猪木さんの退団後も、野毛(東京都世田谷区)にある新日本プロレスの道場には、猪木さんのパネルが掲げられたままだったんですが、そろそろ外してもいいんじゃないですかと言って外させたんです。言うなれば、俺は闘魂を捨てた男なんですよ。

 そもそも時代背景が違いますから。力道山先生は戦後日本の復興のダイナミズムの真っただ中を生き抜いてこられましたし、猪木さんはブラジルに移民して日本に帰って来たというアイデンティティーみたいなものがあったわけじゃないですか。僕らにはそういうものがないですから。普通の家に生まれて、普通の家で育って、何不自由なく大きくなってきた世代じゃないですか。二人の魂は、受け継ぎようがないですよ。新しい、闘う理由っていうのは自分で見つけていかなきゃいけないと思っています。

撮影
(瀧誠四郎撮影)
 ただ、形は違えど、力道山先生も猪木さんもプロレスに対する偏見との闘いだった。猪木さんが異種格闘技戦をやったのは、プロレスというジャンルの社会的地位を高めたいからだった。僕も社会的地位を高めたいとは思っていますけど、モハメド・アリ戦に代表される猪木さんのような異種格闘技戦などの方法論ではなく、もっと違った形で有名になりたいと思っています。

 「プロレスは面白いよ」というイメージをどんどん広めていくことが先決ですし、他人から自分が好きなものを「面白いね」と共感してもらえるとやっぱり嬉しいじゃないですか。いま、プロレスを応援してくれている人たちと全くプロレスに興味がなかった人たちが「プロレスって面白いよね」「そうだね」っていう風に、日常の中で自然に語ってもらえるように、ジャンルをでかくすることが、僕にとってのプロレスの闘いでもあります。

 プロレスはこれから、力道山先生や猪木さんが活躍した黄金時代より、もっと輝くと思います。なぜなら、力道山先生や猪木さんのころは、日本人の8、9割がプロレスを知っていたじゃないですか。それに比べて、今はほとんどの人が本当のプロレスの良さを知らないんです。これは逆転の発想かもしれませんが、知らない人が多いってことは、それだけチャンスが隠されていることの裏返しでもあります。プロレスは輝きを取り戻すのではなくて、もっと輝き続ける。僕はそう信じています。(聞き手 iRONNA編集部 川畑希望)


たなはし・ひろし  昭和51(1976)年、岐阜県生まれ。平成11年、立命館大学法学部卒業後、新日本プロレスに入門。キャッチフレーズは「100年に1人の逸材」。類まれな肉体美と全力投球のファイトスタイルが人気を集める新日本プロレスのエース。第45・47・50・52・56・58・61代IWGPヘビー級王者。同王座の最多戴冠記録(7回)、通算最多防衛記録 (28回)保持者。著書に『棚橋弘至はなぜ新日本プロレスを変えることができたのか』(飛鳥新社)など多数。