仲新城誠(八重山日報編集長)

石垣島の自衛隊配備問題で露呈 地元メディアの「冷戦思考」


 尖閣諸島を行政区域に抱える石垣市への自衛隊配備計画が具体化してきた。5月11日に防衛省の左藤章副大臣が市役所を訪れ、中山義隆市長と会談。「南西諸島の安全保障は大変厳しくなっている。部隊配置を考えざるを得ない」と自衛隊配備に向けた調査に協力を依頼した。国が配備計画を石垣市に打診したのは初めてである。

 中山市長も「安全保障は国の専権事項なので、協力態勢は取りたい」と応じ、調査に協力する方針を明言した。

 尖閣周辺では中国公船が連日航行を続けており、領海侵犯も常態化している。中国メディアですら、八重山諸島(石垣市、竹富町、与那国町)を日中間の「ホットスポット」と公言している状況で、自衛隊がいまだに配備されていない現状のほうがおかしい。

 しかし、自衛隊配備の動きに猛反発したのが地元紙「八重山毎日新聞」だった。同紙の社説(5月20日付)は「平和な島に波風立てないで」と題し「いざ有事となれば、日米の基地が集中する宮古、八重山を含む沖縄が真っ先に標的になる」と配備反対を主張した。

 「基地があると狙われる」というのは反基地派の常套句であり、さして珍しくもない。しかし同紙の社説を読み進めると、驚くべき主張に遭遇する。

 「政府が言うように中国はどこがどう脅威なのか。たかが尖閣のために中国が国のすべてを失ってでも戦争を仕掛けてくるというのだろうか。中国が尖閣の領有権問題で態度を激化させたのも、日本が突然国有化したのが始まりだ」

 沖縄全体をエリアとする県紙「沖縄タイムス」「琉球新報」は、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設に反対し、反基地の過激な主張で有名だが、両紙ですら、中国は脅威でないとまでは言い切っていない。在沖米軍は中国に対する抑止力にならないと訴えているのだ。八重山毎日新聞のように、自衛隊や米軍に反対する理由として「中国のどこがどう脅威なのか」と居直る論調は、反基地派の中でも特異と言っていい。

 本来なら中国の脅威に最も敏感であるべき「尖閣の地元紙」が脅威を完全否定し、その上「たかが尖閣」と言い放つ姿には絶句するほかないが、よく考えてみると、沖縄では最大の守旧派が主要マスコミなのだ。

 米ソが対立していた冷戦時代が終わり、国際協調の流れが定着するかに見えたポスト冷戦時代もまた終わった。今や、沖縄・八重山が中国の巨大な脅威と対峙するという国際環境の激変を目の当たりにしながら、マスコミだけ時代が冷戦時代で止まっている。「日米は帝国主義であり、沖縄は植民地だ」というかつての共産主義陣営のような論理で現在の米軍や自衛隊に反対する沖縄の新聞を読んでいると、時代感覚が半世紀ほどずれているのではないかと思える。

 同紙は、沖縄戦で軍事施設がなかったために攻撃されなかった地域の例を挙げ、自衛隊配備に反対する論拠の一つとする。だが、ある地域が他国の標的になるか否かは、軍事施設の有無だけでなく、地理的な条件にもよる。

 尖閣に近い石垣島は有事の際、自衛隊配備とは無関係に、攻撃の的になる可能性が高い。最初から白旗を掲げるつもりなら話は別だが「基地があるから狙われる」という主張は平和主義ではなく、敗北主義だろう。

 八重山では、自衛隊配備への危機感を煽り立てる新聞より、住民のほうがよほど冷静だ。一部の「平和団体」が市長に要請文を提出したりする動きはあるが、現時点で、自衛隊配備に反対する市民運動のようなものは活発化していない。

 雰囲気としては、安全保障だけでなく、災害時の備えを考えても、配備は必要か、またはやむを得ないと考える市民が多いように思える。議会の意見は二分されそうだが、現時点では配備に賛成する保守系議員が辛うじて多数のようだ。

 私は最近、石垣市で「革新の闘士」として反基地運動にかかわってきたある老人が「自衛隊配備もしょうがないんじゃないか」と話すのを聞いて仰天したことがある。尖閣をめぐる中国の動きを見ていると「国を守るのも大事だ」と言うのだった。老人でさえ思想を大転換させている。若者はなおさらだ。時代が変わり、人の意識も変わっていることを、唯一気づいていないのがマスコミだけ、というのが八重山の状況である。

沖縄と無縁ではない南シナ海危機


 今、中国の海洋進出は尖閣周辺よりも南シナ海で世界的な注目を集めている。6月にドイツで開かれたG7首脳会議では、中国による南シナ海の岩礁埋め立てに「強い反対」を明記する首脳宣言を採択した。東シナ海の尖閣問題と南シナ海の問題はつながっており、沖縄県民にも真剣に受け止めてほしい。

 普天間飛行場の辺野古移設では、東京ドーム約34個分となる海域約160ヘクタールの埋め立てが反基地派から「環境破壊」などと問題視されている。しかし中国による南シナ海の岩礁埋め立ては5月時点で東京ドーム約170個分に相当する8平方キロであり、辺野古の埋め立ての比ではない。

 辺野古の海に身を投げ出して移設作業を妨害している反基地派は、むしろ南シナ海にこそカヌーを漕ぎ出すべきではないか。沖縄人の誇りを懸けて米軍基地の重圧と戦うのであれば、当然、沖縄で領海侵犯を繰り返す国にも立ち向かわなければ理に合わない。

 反基地派は辺野古移設について「私たちは戦争加担者であることを拒否し、また基地からの事件・事故による被害をなくすために基地建設を阻止する」(ヘリ基地反対協議会ホームページ)と主張する。

 中国が南シナ海で建設しようとしているのも軍事基地である。報道によると、6階建ての建物や塔、滑走路が姿を現し、中国軍の艦船も接岸が確認されているという。

 南シナ海の位置を考えると、この「基地」は将来、尖閣を含む八重山や沖縄を攻略する拠点の一つとして利用されるかも知れない。通常の感覚からすると、辺野古ではなく南シナ海こそ、沖縄にとって切迫した危険ではないか。辺野古の反基地派がなぜ中国の新基地に抗議の声を上げないのか、全く理解できない。

「基地移設」と言わなくなった反対派やメディア


 「新基地」と言えば、沖縄で毎日、普天間飛行場問題の報道に接している身として、どうしても違和感をぬぐえないことがある。主要マスコミが普天間飛行場の辺野古移設を「辺野古の新基地建設」と意図的に言い換えているのだ。

 県紙だけでなく、NHKを除く民放テレビ各社も、アナウンサーが無造作に「辺野古の新基地建設問題で…」と発言している。米軍基地問題は沖縄最大の課題とされているのに、最近、沖縄ではめっきり「辺野古移設」という言葉を聞かなくなった。特に反基地派の運動家は、もう移設という言葉は使わない。この言い換えは昨年の県知事選から本格的に始まった。

米軍普天間飛行場の移設問題をめぐる集中協議に臨む杉田和博官房副長官(右端)と沖縄県の安慶田光男副知事(左端)=2015年8月24日午前、沖縄県庁
 以前にも本誌で指摘したことがあるが「移設」と「新基地建設」とは似ているようで全く違う概念だ。前者は沖縄にとっての負担軽減であり、後者は逆に負担増を意味する。

 厳密に言うと辺野古移設とは、市街地にある普天間飛行場の危険性を除去するため、辺野古海域を埋め立てて同飛行場の代替施設を建設するということだ。代替施設の完成後は、同飛行場は撤去される。「移設」を「新基地建設」と言い換えることは、同飛行場の撤去という沖縄にとって最重要な負担軽減の側面を、故意に無視した用法なのである。

 だから「辺野古新基地」とか「新基地建設」とは、国民や県民を欺く造語だ。この造語自体が強いイデオロギー色を帯びている。この造語がマスコミや反基地派の評論家によってあたかも当然のように使われるとき、賢明な国民や県民は、有権者を特定の方向へ誘導しようとする情報操作の意図を感じなくてはならない。

 しかし現在、沖縄では多くの県民が、洪水のような報道攻勢の結果「辺野古移設イコール新基地建設」という誤った固定観念を抱いているように見える。

 この問題に関する興味深い記事が6月5日付の沖縄タイムスに掲載されている。

 翁長雄志知事は5月末から6月上旬にかけて訪米し、米国政府に辺野古移設反対を訴えた。ここで翁長知事は「新基地建設」という言葉を使った。翁長知事と米国務省幹部の会談後、同省は即座に「代替施設は新基地ではなく、現存する基地に機能を加えるものだと指摘した」という声明を発表した。意図的な言い換えが日本では特に問題視されていないとしても、米国は強い危機感を抱いたという証拠だろう。

 同紙は、米国の声明を受けた名護市の稲嶺進市長が「『一言で言えば詭弁だ。二つの滑走路、弾薬搭載エリア、軍港並みの桟橋など、今の普天間にない新しい機能を持った基地だ』と憤り、機能強化した新基地との見方をあらためて示した」と報じている。機能が強化されれば「移設」ではなく「新設」だというのが反基地派の論理のようだ。

 最近、私が最も嘆かわしく思ったのは、翁長県政が6月1日、知事公室内に「辺野古新基地建設問題対策課」を設置したことだった。県自らが組織の名称に「新基地」を冠したことは、米軍基地問題に関しては、完全に「イデオロギー県政」と化してしまったことを示している。つまり思考の硬直化である。