ありとあらゆる事態を想定することは不可能だ


 マスコミなどは、今回の法案の最大の争点は「集団的自衛権」であると言い、この法案を「戦争法案」と呼びますが、この法案を最初から最後まで読んでください。どこにも「集団的自衛権」「戦争」「徴兵制」などという言葉はなく、どこをどういうふうに読めば、アメリカが過去にアフガニスタンやイラクにおいて起こした戦争のようなものに日本が参加できるなどと解釈することができるのでしょうか。もし、できると主張するのであれば「何法の第何条により、日本がアメリカの侵略戦争に加担することができる」と具体的に批判すべきなのですが、やっていることと言えば「違憲、違憲」と繰り返すばかりで、いくら反対する憲法学者の数を数えてみたところで説得力はなく、ないものをあるようにはできません。ありもしないことを、さもあるかのように言い、人々を不安に陥れるのは悪徳新興宗教や詐欺師の手口です。

 今回の法案は、ただ一緒にいる友人が襲われたときは「国籍に関係なく友人を助けることができるようにしよう」というだけの話であり、それすらもかなり厳しく要件を限定的にしています。それなのに「友人の国籍が違うから助けられない」、だけど「自分が困ったときは助けてほしい」というようなことを、反対派の人たちは大真面目に主張しているのです。そもそも集団的自衛権というものは「権利であり」必ず行使しなければならないというものではなく、行使するか否かは、我が国が国益を考えて判断するもので、それを制限したり禁止したりするのがおかしいのです。世界中のほとんどの国が、国家の成立時から自然発生的に持っている、ある意味憲法より上位にある権利を、どうして日本だけが行使できないのかを「憲法、憲法」という前に、考えてみる必要があるのではないでしょうか。
 
 それに、もともとわかりにくい今回の法案を、更にわかりにくくしているのが国会審議です。野党は、様々な事態を空想して「この時、日本はどうする」などと訊いていますが、いったいなぜ、それを知りたいのでしょうか?そのようなことを、最も知りたいのは日本を敵視する国で、それを参考に日本を攻撃してくるかもしれません。そのような質問をした同じ口で「自衛官のリスク」と言っても白々しく感じるだけです。相手がどう出てくるかわからないからこそ抑止力となるのであって、それをばらすのは利敵行為以外の何物でもありませんし、そもそも、ありとあらゆる事態を想定することなど不可能なのです。いわゆる脱法ドラッグが、いい例で、いくら法律で規制しようとも、悪人はその網の目を潜り抜けるための方法を考えるのです。
 
 また、違憲か否かという判断も重要でしょうが、より大切なのは日本の国家国民の安全であり、もしもそれに憲法がそぐわないのであれば、改憲の発議をするのが国会議員の役目です。本来、憲法というものは、国家国民のために存在するものであり、憲法を守るために国民が不幸になるなど、あってはならないことです。憲法を守るために自衛隊の行動を制限し、そのため自衛官のリスクが増大し、ひいては国民の生命財産が脅かされることがあってよいのでしょうか。国民のために働くべき国会議員が憲法のために働き、憲法の殻の中に閉じこもって、憲法の枠内でしか仕事をしないのであれば、本末転倒と言う他ありません。
 
 とにもかくにも、今回の法案に対する反論を聞いていると感情的で論理的整合性がないものが大半です。「違憲だ、憲法を守れ」と言いながら社会のルールを守らない人たち。「民主主義を守れ」と言いながら選挙や多数決を否定する人たち。公衆の面前においてヤクザまがいの言葉使い他人を罵倒する自称有識者。自衛官の身を案じるふりをしながら、自衛隊の行動を縛ろうとしている人たちは、過去に自衛隊の存在を否定する発言をしていたように記憶していますが、今は改心して自衛官の法的地位や待遇の向上のために何かしているのでしょうか。

 自衛隊の海外派遣に国会の承認が必要であるにもかかわらず、今回の法案が通れば「日本はアメリカの戦争に参加する」と言いながら、国会内の審議をそっちのけで国会前のデモで参加者を扇動している国会議員は、自分の職務を何と心得ているのでしょうか。自分たちは国民の負託を受け、自衛隊の海外派遣を決める国会の場において、その貴重な一票を投じる義務があるという自覚を持ってもらいたいものです。そもそも集団的自衛権に反対するのであれば、日米安保に反対し国連脱退を訴え、それを国会の中で議論するべきでしょう。おまけに大半のマスコミは社会の公器として国民の知る権利を守るという自らの役割を忘れ、法案の中身を国民に知らせることなく、相変わらず面白おかしく報道することに専念しています。この法案をより良いものにするためには、まっとうな反対論が必要なのですが、残念ながら、まともな反対論を聞いたことがありません。

まっとうな反対論とは


 まっとうな反対論を述べるのであれば、自衛隊の法的地位は避けては通れない問題であり、それこそが日本の安全保障における最大の問題点です。違憲か合憲かを問うのであれば自衛隊の存在自体を問うべきなのです。それを曖昧にしたまま自衛隊を海外に送り出すから、自衛官が国内では非軍人、国外では軍人として扱われるという奇妙な事態が生じるのです。これは自衛官が国際法に従えば国内法に違反し、国内法に従えば国際法に違反するという事態を招きかねず、自衛官のリスクを論じるのであれば、真っ先に論じられなければいけない問題点です。

 そして、この法案のどこが不完全なのかと言いますと、国際的な平和維持活動など自衛隊の活動範囲が広がり、それに合わせて一部武器使用の要件も緩和されましたが、その根拠は警察権の域を出ていません。これでは万が一自衛隊が紛争に巻き込まれた場合、日本だけが手足を縛られたまま戦わなければならなくなります。政府は、「だから自衛隊は危険区域では活動しない」と言いますが、100パーセント安全なところで、道路や橋をつくったり、物品を輸送したりするのであれば、民間の土建業者や運送会社に任せれば良いだけの話です。そもそも100パーセント安全な派遣先などあるはずがないのですから、机上の空論で自衛官の安全を語るのではなく、実情に沿った装備(法的なものを含む)を整えたうえで自衛隊を海外に送り出すべきなのですが、今回の法案では、それが不十分に感じられます。

 それに「自衛隊が○○をするには当該外国等の同意があること」などと、在外邦人の保護などを行う場合は、その国の政府機能が正常に働いていることを前提とした活動条件を定めていますが、本当に自衛隊の力が必要とされるのは、派遣先の国内に混乱が生じ、その国の政府機能が麻痺しているようなときです。例えば朝鮮半島で、戦争が再開されれば、前回のように政府機能がまともに働かない事態が予想されます。たとえ彼の国の政府機能がまともに動いていたとしても、彼らは自衛隊が自国の領域に入ってくることを拒むでしょう。そのようなときに、我が国は観光客を含めて数万人の在韓邦人や北朝鮮に囚われている拉致被害者を見殺しにするのでしょうか。今回の安保法制に足りないのが、このような現実的な視点での自衛官を含む自国民の生命の保護という観点です。

 一国の軍隊の行動は、その国の姿勢をあらわします。自衛隊が、海外では軍隊とみられているにも関わらず、安全な区域でしか活動しないということは、日本という国は危険なことは他国任せにする無責任な国であるとの誹りを受けても仕方がありません。世界中の国の中で日本だけが軍隊ではなく、なぜ自衛隊なのか、なぜ自衛隊でなければいけないのか、今一度、我々日本人はこの安保法制をきっかけに自衛隊というものを見つめなおす必要があるのではないでしょうか。